今年のインターネットは流行が早い。特に若者への感染力が強い。思い返せばそんな話は春頃から言われていた。
夏休みが終わり、新学期がはじまったと思ったら、インターネットのせいであちこち学級閉鎖が起きている。感染した子供たちはぐったりと寝転がって動かず、そうでない子供たちは暇をもてあまして、インターネットも恐れずに街をうろうろしている。
流行は国内だけの話ではない。インターネットが蔓延しているオーストラリアでは、ついに16歳未満の外出が制限されたという。
「だから今日、オフィスに来てない人が多いのか」お昼の時間、先輩のHさんは空席の目立つ社員食堂でハンバーグをつつきながら言う。
「お子さんが感染してる人も、お子さんに伝染された人も多いみたいですね」私は朝のニュースで見た話をする。
「ふうん」と答えるHさんは四十過ぎ。独身貴族を満喫していて、結婚や子供の話はいつも他人事のように聞いている。仕事にムラがあって、社内での評判は必ずしも高くないが、本人はあまり気にしていない。
「しかし僕が学生のころは、みんなインターネットでも学校に行ってたけどな」Hさんは言う。
「当時は感染力とか誰も気にしてなかったから」私は言う。「先輩も、どうせ手も洗わずにインターネットしてたんでしょう」
「ええー、失礼だなそれは」Hさんは笑う。「でもそうかも」
新入社員のZさんはしかめ面をする。
今年のインターネットは新種で、ファイ株と呼ばれる。東南アジアで変異し、国内でも多くの若者が感染した結果、あちこちの職場で人手不足が起きている。特に農業や物流業への影響は大きく、米や卵は高騰し、ビールが売り場から消えた。
当初は動きの遅かった政府も、最近は空港の閉鎖を検討しているという。これ以上、若い働き手がいなくなったら世の中は回らなくなってしまう。
「考えてみると、長く感染してないな。インターネット」Hさんは食べ終えた食器を返却しながら言う。「こっちは思春期からずっとインターネット漬けだったから、免疫があるのかもしれない」
「そう言って、いまさら感染する大人も少なくないですよ」私は言う。「大人になって罹患すると厄介ですから」
「らしいね。うちの地元でも同級生が一人いなくなったよ」
「ええ……インターネットですか」
「そうらしい。地元に残った連中はコロナ明けから、またしょっちゅう同窓会をやってたのに、そいつだけある日から顔を見せなくなったって。僕も地元にいた時はわりと仲が良かったんだけど、今はもう連絡がつかない」
「戻ってこれないんですか」私は言う。
「インターネットに捕まったら戻ってこれないでしょ」Hさんは当然というように言った。「余程のことでもなければ」
仕事帰り、本屋に行くと、インターネットの本がたくさん並んでいる。インターネットが世界を滅ぼすというものもあれば、インターネットが世界を救うというものがある。
一冊手に取ってみると、名前の知らない社会学者が、インターネットのすべてが悪性ではないと主張している。善玉インターネットも自然にはまだ残っているのだから、恐れるだけではなく、積極的に活用しなければいけないのだと。
そういえば、中高生が自然のインターネットを探して旅に出るというドキュメンタリーが数年前に話題になった。最後はハッキングの被害にあって、一文無しになるんだったか。
私も小学生のころまではインターネットで遊んでいたはずだが、当時の記憶はもうない。でも少なくとも時間を決めて、手を洗って、親の監視の元でやっていたはずだった。
「良質なインターネットはどこに行ったんだろうな」とHさんは言う。
別の日、私達は社員食堂でまたインターネット談義をしている。Hさんがインターネットの話をするのは、だいたい仕事がうまくいってない時だ。
「歴史の授業で習いましたよ」新入社員のZさんは言う。「インターネットが金になると知られるようになったのは平成後期で、そのころから良質なインターネットが乱獲され、質の悪い小ぶりな個体ばかり残ったと」
「でも、最近はインターネットがまた豊漁だって言ってなかったっけ」Hさんは言う。「つまり、良質なインターネットが」
「それは去年と比較した本当にミクロな話で、マクロ的にはインターネットの取れ高は減り続けてます」Zさんは新人なのに堂々としている。「良質なインターネットなんてもう絶滅寸前ですから。お店でも見ないでしょう」
Hさんは黙っている。
「そういうの、もう歴史の題材なんですね」と私は言う。
「そんな大袈裟なものじゃないだろ、たかがインターネットで」とHさんは言う。「もちろん、インターネットは危ないよ。でも、いいインターネットだって普通にあったじゃん。もう誰も覚えてないわけ?」
「私自身、生のインターネットって知らないです。もちろん、ワクチンを打ったりはしてますけど」Zさんは言う。
Hさんは信じられない、という顔をしている。「これがジェネレーション・ギャップか。インターネットを知らない世代がもう社会人とは」
Hさんが体調を崩したという話を聞いたのは、朝夕が急に冷え込みはじめた秋の終わりごろだった。はじめは誰もが季節の移り変わりのせいだと思ったが、しばらくして、どうもインターネットかもしれないと聞いた。
その少し前、深夜の八王子に野生のインターネットが出没して、街を歩いていた酔っ払いを襲う事件があった。二人が巻き込まれ、さらに五人が怪我をした。
ニュースでは被害者の名前は明らかにされなかったが、そうやって巻き込まれた一人がHさんらしいと職場で聞いた。Hさんは同期との飲み会で散々に酒を飲み、仕事の愚痴を言い、居酒屋を出たところで野生のインターネットと遭遇した。
怪我をしたHさんの同期いわく、店を出たところで暗がりから突然現れたインターネットが一瞬のうちにHさんともう一人を飲み込んだ。Hさんの同期は、インターネットの中に消えていくHさんをなすすべもなく見ていたという。
インターネットは年々凶暴化していると、長くインターネットの生態を研究している大学教授は新聞で語っている。昔のインターネットは猫とか牛丼屋の新作メニューとかいった平和な話に終始したものだった。しかし最近のインターネットは人を恐れない。
インターネットに免疫のある世代を中心に、対インターネット戦線を張るべきだという意見もあった。しかし、そうした世代はすでに高齢化している。今時のインターネットと戦えるのかは分からない。インターネットは進化を続ける一方で、老人たちには立ち向かうまともな武器さえない。
おまけに、そうした老人たちに限って古いインターネットに妙なロマンを抱いていたりして、最近のインターネットの恐ろしさを正しく理解していない。
政府は空港の封鎖など、現実的だが経済活動に悪影響のある対策を断念し、インターネット・ワクチンの割引クーポンなどを配ってお茶を濁そうとしている。これだけ流行してるのだから、ワクチンなんて無料で配ってもいいはずなのに。
私はまた本屋でインターネットの本を調べる。インターネットに囚われて、それでも帰ってきた人の話を探して。ありえない話ではない。昔はインターネットで人と知り合い、そこから戻ってきて、現実の世界でも交流を続けることが普通にあった。古い本を読めば、そんな例はたくさん出てくる。
でも今のインターネットは違う。
年末、季節外れの超大型インターネットが太平洋に発生する。朝方に和歌山あたりで上陸し、日本列島を東に横断して、午後には東京も直撃するルートだ。
「Hさんも中にいるのかもしれない」私は言う。
「インターネットに巻き込まれて戻ることはないって習いましたよ」Zさんは呆れたように言う。「インターネットには憧れない、触れない、近寄らない」
夕方になって、早めに家へ帰るようにと、上司が言い出す。インターネットの侵攻は思ったよりも早く、今にも鉄道が止まりそうらしい。だったら、もっと早く言ってくれれば良かったのに。
オフィスの窓から、空を暗いインターネットが覆っているのが見える。危険なインターネットがあちこちで光と音を放つ。しかし先日読んだ本によれば、どこかにインターネットの目があって、そこではしずかなインターネットが存在する。
荷物をまとめてオフィスを出る。最寄り駅が帰宅難民で大混雑しているのを確認すると、私は外を歩くことにする。街は驚くほど静かで、他に道を歩く人は見当たらない。インターネットがどの物陰から現れるかは分からない。でもそうなったら、私はまたHさんと会えるかもしれない。
風が強くなる。空はますます暗くなる。
私は風の強くなるほうへと歩く。方角は分からない。まだオフィス近くの、見知ったエリアのはずだが、インターネットの影に覆われた今ではまったく知らない場所のようだ。風が激しく鳴り続ける。それから遠くでインターネットが落ちる音。
「Hさん、いますか」私は声を出す。もちろん、なんの返事も聞こえない。
どれくらい歩いたか、どちらの方角に歩いたか、誰にも出会わないままに時間が経つ。人もいない。インターネットもいない。しかし、気付いたら風は止んでいる。空にはインターネットの切れ目から光も見える。
その時、はげしい光と共に、巨大なインターネットが目の前に落ちる。一瞬、あたりが真っ白になったかと思うと、すさまじい音が鳴る。私は思わず目と耳を塞ぐ。
目を開くと、Hさんはそこにいた。インターネットの影は消え、空からは太陽が覗いている。これがインターネットの目か。Hさんは私を見て、驚いた顔をしている。「Mさん? なにをしてるの?」
「仕事帰りです」私は言う。 「先輩はどうしました」
「ああ、インターネットだったけど、帰ってきた」そう言ってHさんは横にいる女性に目をやる。Hさんと同じ年くらいの、小柄な、くたびれた女性。「言ってただろ、地元でインターネットだったやつの話。彼女とさっきそこで偶然会ってさ」
「ああ、なるほど」私は言う。女かよ、と私は口には出さなかったと思う。
(このショートショートは2025 Advent Calendar 2025の22日目です。毎年主催して声をかけてくれる@taizoooさんには本当に感謝しています。前日は平文さん、明日はnagayamaさんです。同カレンダーには「終議員」(2024)、「鬼」(2023)、「2022年と、AI戦争の歴史」(2022)、「2021年よ、さようなら」(2021)、「2020年のタイムマシン」(2020)、「インターネットおじさんの2019年」(2019)と、毎年その年っぽいショートショートを書いています。それ以前にはエッセイ「2018年のダンシング・ヒーロー」(2018)、「2017年、ビジネスパーソンはポコニャンを読む」(2017)を書きました)
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