台風が東京を直撃した日曜日、雨がようやく上がったのは日付けが変わってからで、それから私はいつも通り犬を散歩へ連れて行くことにした。外はまだ蒸し暑く、アスファルトは水溜りだらけで、時々涼しい風が吹いたかと思えばすぐにやむというのを繰り返した。
高齢の犬は結局、家でのトイレを学ばないまま今日まで来た。朝夕の一日二回、犬は几帳面に散歩の時間を待って、いつも通りのコースを少し歩くと、いつも同じ、大きな一軒家の前で用を足す。いつか家主と鉢合わせするのではないかと気を揉んでいるが、幸いにも人の出入りを見たことがない。もしかすると空家なのかもしれない。これだけ立派な家を空家にしておく理由は分からないけれども。
犬はいつもどおり路地の狭いほう狭いほうへと歩き、私はそれについて行く。駅から離れた静かな住宅街で、古い家と新しい家が混在しているが、他人の家というのは無個性に感じるもので、毎日歩く道なのにどれも記憶に残らない。犬だけが満足そうに一つ一つの家を眺めながら、軒下に生えた雑草の匂いを嗅いで、私を振り返ったりする。たぶん犬は、一日に二回、私を散歩に連れて行ってやっていると考えている。仕事で忙しく、こうでもしなければ落ち着いて家のまわりを歩く余裕もない私のための散歩。
いつもより遅い時間のせいか、路地裏はいつも以上にしんとしていて、犬のリズミカルな呼吸音だけが聞こえる。日中あれだけ分厚かった雲は綺麗になくなり、満月になりきれなかったような月が浮かんでいる。一方でこの時間になっても蒸し暑さがおさまる気配はなく、歩くほど汗が吹き出してくる。家に帰って、風呂に入り、それからすぐに寝つけたとして、また明日は仕事。いや、その前に朝の散歩か。
気付けば少し開けた通りにいる。シャッターの閉まった店が並んでおり、ちょっとした商店街のようだが、見覚えのない通りである。いつの間にか知らない道へ入ってしまったらしい。ぼんやりと犬に導かれるままだったから、どこかで道を曲がったのか。スマホで地図を確認しようと思ったが、家に置き忘れてしまった。犬は気にせず先へ先へと歩こうとするので、思わず呼び止める。家への帰り方は分かってるんだろうな、と。犬は少し私の顔色を伺うが、すぐにまた歩き始める。
商店街は思ったよりも長く、いろいろな店があるようだが、多くはシャッターが閉まっており、そもそもどれも真っ暗で、はたして何の店なのか、普段から営業しているのかも分からない。それでも、しばらく歩いたとはいえ、家の近くにこんな寂れた街並みがあるとは知らなかった。夜中とはいえ、歩く人がまったく見当たらない、無人の商店街。いつの時代からあって、いつ栄え、いつから寂れて行ったのだろうか。
道は蛇行しており、右へゆるやかに曲がったかと思うと、左へと折れ曲り、私はあっという間に方向感覚を失う。店と店のあいだに狭い路地を見つけると、そのさらに暗い道を通って商店街を離れたほうが良いのではないかと考えるが、そうして家に近付けるのか、ますます離れて行くだけなのか、まるで分からない。犬だけが、さも行き先を知っているかのように歩き続ける。私は反対する理由がないというだけで、それに従い続ける。
いつもより散歩はだいぶ長くなっているように感じるが、老犬は元気そのものである。むしろ毎日の散歩は短すぎたと言わんばかりだ。私は足を交互に動かすのが精一杯。商店街は実は円環で、先程から同じ道をぐるぐる歩いていると言われたら、そう信じたかもしれない。視線は上がらなくなり、左右になんの店があるかは分からないまま、前を行く犬を見守るだけである。
どれくらい歩いたか、そしてどれだけ長い商店街だったのか、犬が大きく角を曲がったかと思うと、ひときわ狭い道になり、そこを抜けたところで商店街は唐突に終わる。目の前に車道があり、車が行き交い、赤く点滅した信号と横断歩道があって、反対側にはファミリーマートがある。あれは知っている。よく利用している、家の近くのファミリーマートだ。私と犬は、そこから三分ほどで家に戻る。帰宅してから時計を見て、散歩に出ていたのはいつもと同じ、三十分ほどだったと知る。
翌朝、また犬の散歩に出る。うってかわって朝は涼しい。犬はいつもの家の前で用を足し、いつものコースをいつも通りに歩く。分かれ道のたび、ここを曲がればあの商店街に辿りつけるのだろうかと考えるが、犬はそんなことに興味がないようで、より道をせずに家の前まで戻ってくる。
職場の昼休みで台風の話になったあと、私は犬の散歩と、静かな商店街の話をする。「どこに住んでるんでしたっけ?」と若い同僚が尋ねるので、私は答える。「じゃあ、それはS町ですよ。最近人気の飲み屋街で、いい店がたくさんあるんです」私はS町をネットで調べると、確かに我が家から徒歩圏だが、写真で見る賑いの様子は夜に見た寂れた光景とまったく似ていない。「それは台風が来てたからじゃないですか」と若い同僚は笑う。「あのへんに住んでるなんていいなあ。今度みんなで飲みに行きましょう」私は曖昧に頷く。
2025/09/09 - 2025/09/15
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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