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目の調子

朝起きたら、なんだか視界がぼんやりする。物が見えないというわけではないが、ピントが合わないのである。そうすると足下もおぼつかない。

 

「ねえ」私はAIに尋ねる。「なんだか目の調子が悪いんだけど」

「どうしたんでしょうね」AIは心配そうに答える。「寝不足でしたか?」

 

妻に相談しようかと思ったが、いつも通り早くに仕事へ出てしまっていた。用意してもらった朝ごはんを冷蔵庫から出して、電子レンジで温める。電子レンジのタッチパネルもなにが表示されているのかよく分からない。手探りで試したら、煮物がずいぶん熱くなってしまった。

 

妻と違って私は在宅勤務である。朝からオンラインミーティングが続くが、画面がよく見えない。声を頼りに、誰がどういう話をしているのか追いかけて、それらしい相槌をうつ。今日中に作らなければいけない資料があったのだが、そこはもうAIに任せることにする。「来期の営業目標についてまとめてスライドを作ってくれ」と私は言う。今更ながら、声で依頼できるので便利である。「完成しました」とAIは事もなげに言う。

 

「同僚たちもスライドは作ってくれたかな」「はい、資料はもう完成しています」AIは言う。「完成度はどうだろう、君の目から見て」「よくまとまっていると思います」AIは言う。「ぶっちゃけ、ぜんぶ君が作ったのだろうか」「はい、ほぼAIが作ったものです」AIは言う。そのうちみんなリストラされるかもしれないな、と私は思う。

 

昼ごはんに冷凍のパスタを温める。今度は時間が短すぎ、パスタはまだ冷たい。「朝からずっと目の調子が悪いだが 」私はまたAIに尋ねる。「どうしたものだろうか 」「失礼ながら」AIは答える。「老眼かもしれません」「ううむ」私は返答に窮する。「昨日までは問題がなかったのだけれどもね」「いずれにせよ」AIは言う。「眼科にかかってみてはいかがでしょう。良ければ午後の空き時間で近くの眼科を予約してみます」

 

AIが選んだ眼科は家のすぐそばであった。優秀である。午後のミーティングの合間に家を抜け出して訪れる。医者は恰幅の良い中年だが、診療中こちらに見向きもしない。見てくれるのはAIである。「老眼かもしれませんね」AIは言う。「老眼だと思いますよ」眼科医は言う。「今朝から急になったのだけど」私は言う。「疲れかもしれません」AIは言う。「疲れでしょうね」眼科医は言う。

 

処方箋をもらい、隣の薬局で目薬を処方してもらう。家に戻ってからも仕事は続いたが、まったく集中できない。画面はますますぼんやりして、このまま何も見えなくなってしまうのではないかと不安になる。仕事を終えても、椅子から立ち上がれない。妻が帰ってくるまでに晩ごはんの用意をしなければいけないし、そのためには近くのスーパーまで買い出しに行かなければいけないが、その気力がない。かといってぼんやりテレビを見ることも、本を読むことも難しい。

 

妻が帰ってきたのは8時過ぎ。私は少し寝ていたかもしれない。目のことを話そうと思ったが、先に話をはじめたのは妻だった。「あら、メガネはどうしたんです?」

 

2025/05/20 - 2025/05/27

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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