夏期講習の授業が終わり、家に着いたのは10時すぎ。遅い夕食に、母が作ってくれたカレーを食べる。その母は先に食事を済ませて、リビングのテレビでニュースを見ていた。
「ねえ、いま受験生向けAI補助金の話をしてるけど、これってあなたが使ってるやつ?」
「そうじゃない?」私は言う。政府は数年前から、教育機会を均等に与えるため、受験生向けAIの利用に補助金を出している。だから受験生は、様々なAIを金銭的な負担なしで利用できた。もちろん、世の中にはさらに高品質でさらに高価なAIが無数にあって、そうしたものは補助金ではまかなえないけど、それでも無料AIを使わされるよりはずっといい。
「補助金がどうしたの? 増える?」私は尋ねる。近年の物価高で、AIは毎年のように値上げしていた。
「なんか、補助金を打ち切るとか言ってるけど」
「うそ」私は食事を置いてテレビに向かう。
ニュースキャスターは無表情で、補助金の打ち切りを説明している。いわく、受験生向けAIは価格が無秩序に高騰しており、財政を逼迫しているとか、補助金の対象外となる一部AIの利用者からは不公平性を批判されているとか。
「いつから打ち切りになるって言ってた? 来年度?」
「来月からってニュースでは言ってたけど……」
「来月って? 九月? もう来週だけど? もうすぐ受験なのに?」
その年の春に政権交代があって、新政権は予算捻出のために、あちこちのコストカットをはじめた。そうやって狙われたのが、選挙権も被選挙権もない私達、受験生だった。
補助金は九月から本当に打ち切りになった。その他多くの受験生と同じように、私もAIの必要性を親に訴えた。受験まであと少し、高額なAI使用料を払う家もあった。そして我が家のように、払わない家もあった。
「塾にもたくさん払ってるのよ」と母は言った。
「AIがなくても頑張ってみればいいんじゃないか」と父は言った。「昔はそんなもの不要だったんだから」
両親はもちろん、受験にAIがなかったころの世代。どれだけ説明しても、AIの必要性が分からない。そもそも多くの学校が、入学試験中のAIの利用を許可している。だから現代の受験は、いかに優秀なAIを手に入れて、いかにそれを使いこなすかだ。
もちろん、お金持ちの家は桁違いに高性能なAIを購入したり、優秀なエンジニアを雇って、一般には販売されていない、カスタマイズされたAIを使ったりしている。おかげで学校はAI入試を通じて、優秀でお金持ちの生徒を自然と集めることができた。
もちろん、秋には私の成績は急降下した。生まれてこのかた、ずっとAIに頼ってきたのだ。自分の頭で計算することも、漢字を書くことも難しかった。3問解くたびに30秒の広告が流れる無料AIを試してみたが、性能は悲惨だった。
九月の終わりに最後の模試があって、両親は結果を見て青ざめたけれど、もう遅い。受験AI各社は次年度の受験生向けに年間契約キャンペーンを始めていて、いまさら入試直前の受験生なんて相手にしていなかった。
受験当日は、もちろん最悪の気分だった。会場に集まった受験生の中で、私と、たぶんあと数名の不幸な仲間だけが、AIもなしに自分の頭で問題を解く。AIの飛躍的進化にあわせるよう、近年の受験問題はますます難化が進んでいる。そんな中で私は、ここ何十年かの技術的革新を無視し、負けるための戦いに挑むのだ。
そういうわけで、受験日に起きたトラブルには最後まで気付かなかった。その日、ちょうど試験開始時間と前後して、大手クラウドサービスに障害が発生し、ほとんどの受験AIが機能しなかったのだ。大勢の受験生は混乱し、試験のやり直しとか、受験AI企業に補填を訴えることになったが、私はなにも知らぬまま第一志望だった私立の学校に合格した。正確には、それでも補欠だったけれど、最終的には合格した。
ちなみに入試のやり直しは結局なかったという。本当にお金持ちの受験生は、推薦入試枠でとっくに入学が決まっていたと、後になって知った。
春からは小学生だ。わりと古風で厳格な学校を選んだので、校則によれば、授業中はAIは利用できないという。エレベーター式の大学までずっと。
2025/02/22 - 2025/03/08
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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