夕方、学校を出たところで母から電話があった。おじいちゃんが目を離したときに車で出かけて、トラブルを起こしたという。
「いま警察にいるんだって。申し訳ないけど、こっちはまだ幾つかミーティングがあって。おじいちゃんをお迎えに行ってもらえない?」在宅で仕事をしている母はそう言う。
わかった、と私は答え、一緒に帰るつもりだった友達と別れ、警察署へ向かった。
おじいちゃんが捕まるのはこれが初めてではない。私が迎えに行くのもこれで三度目。
いつまでおじいちゃんの好きにさせておくの、免許を取り上げたほうがいいでしょ、まわりにも迷惑なんだから。
これまでもそう言ってきた。両親も、そうだね、とは言って頷きはする。でも最後には、もう他に楽しみがないんだから、とか言って、おじいちゃんの好きにさせるのだ。
三年前におばあちゃんが亡くなって、おじいちゃんと一緒に住むようになった。普段のおじいちゃんは年のわりに元気で、気前が良くて、優しい。私は昔からおじいちゃん子だと言われていたし、今でもそうだと思う。だからこそトラブルを起こされるたび、つらい気持ちになるのだ。
おじいちゃんは警察署の受付で小さくなって、婦警さんの話を聞いていた。婦警さんと話をすると、おじいちゃんはすぐに解放された。
「よくあるトラブルなんで、あまり責めないであげてくださいね」婦警さんは別れ際、私に言った。私が責めるのだろうと見越したかのように。そして婦警さんはiPhoneをおじいちゃんに渡した。おじいちゃんのiPhone 43。
おじいちゃんの車に乗って家に帰る。「自宅まで20分です」車はそう言って、自動走行をはじめる。二人乗りの狭い車で、おじいちゃんと並んで座る。
しばらくは黙っていた。でも、おじいちゃんはすぐiPhoneを取り出して、なにか熱心にキーボードで打ち込んでいる。ソーシャルメディアとかいうやつ。
「おじいちゃん、もうスマートフォンはやめたら?」私はそう言わずにはいられない。「さっきも、それでトラブルになったばかりなんでしょ」
おじいちゃんは外出中、ネットに喧嘩腰でなにかを書き込んで、見知らぬ誰かと言い争いになったらしい。それをネットの第三者に通報され、警察沙汰になったのだ。婦警さんによると、喧嘩相手はAIだったという。
「見てよ、綺麗な夕陽だよ」おじいちゃんは誤魔化すようにそう言い、iPhoneを横向きに持って外の写真を撮る。カシャリという不愉快なシャッター音が鳴る。
「写真を撮ってなんになるの? インスタとかってやつ?」
「ちょっとエモいかなと思って……」
「夕陽の写真ばっかり撮ってるんだっけ?」
「そういうアカウントもある」
「フォロワーとか言うのは? 何人くらいが見てるの? おじいちゃんの写真」
「ぜんぶで500人くらい」
「それもみんなAIなんでしょ」私は溜息をつく。インターネットなんてもうAIか、おかしな人しかいないのに、おじいちゃんはまだまともな人間とやりとりをしていると思っている。「未だにネットに何か書き込んだりしている人、おじいちゃんくらいだよ」
「そんなことはない」おじいちゃんは力強く言う。「昔の友達もまだいるよ」
「みんな生きてるの?」私がそう言うと、おじいちゃんは黙ってしまった。
言い過ぎたかもしれない。私は黙って家に着くまで窓の外を見ていた。おじいちゃんは引き続きiPhoneで、つまらなさそうなゲームを遊んでいた。
免許更新の葉書が届いたのは、その翌日だった。
「またか? このまえ更新したんじゃなかったか」おじいちゃんは溜息をつくが、60歳を過ぎたら、スマートフォン免許は一年更新なのだ。
「若いころは免許なんていらなかったのに」とおじいちゃんは言う。「十代のころから夜な夜なインターネットをやってきて、いまさら免許だなんて」
おじいちゃんは青春時代から今日に至るまで、膨大な時間をインターネットに捧げてきた。本人はそれが自慢のつもりらしいのだが、私にはなにが自慢なのかさっぱり分からない。世界と繋がってすごかったのだとか言うけれど、おじいちゃんは今も昔も英語ができない。知らない人達と仲良くなれたと言うけれど、現実におじいちゃんがインターネットで知り合ったという友人を見たことはない。
「18歳になったらすぐ免許をとるんだろ」と、おじいちゃんは私に言う。私は曖昧に答えるけれど、正直、免許をとるつもりはない。ここしばらく、若者の免許取得率は下がる一方だ。スマートフォンは高すぎるし、ゲームとかソーシャルメディアとか、くだらないことにしか使えない。ときどき免許必須の仕事があって、そういう職種を狙う人が、泊まりの免許合宿に行ったりしている。
「おじいちゃん、もう免許の更新はやめたら」そう正面から言うのは私だけだ。父や母はなにも言わない。そして、おじいちゃんは聞こえないフリをする。
「おじいちゃんの更新に付き合ってきてあげたら」母はそんなことを言って、私に目配せをする。はっきりは言わないが、御目付け役をやれということだった。
「そうだ、週末一緒に行こうじゃないか」おじいちゃんは言う。免許センターに行けば、私が免許に興味を持つと思っているみたいに。
日曜日、おじいちゃんと二人でめったに乗らない京急の普通電車に乗って、下りたことのない駅で下りる。駅から10分ほど歩いたところに免許更新センターはあった。並んでいるのはおじいちゃんみたいな世代のお年寄りばかりだ。
「なんでスマートフォンの免許なのに、スマートフォンでできないの」私は文句を言う。
おじいちゃんは最初に視力検査を受ける。なるほど、だから免許センターに行かなければいけないのか、と私は気付く。おじいちゃんは数年前に手術で視力を回復させているので、これは全く問題がない。
次は簡単なテストである。私は横で見守っているが、おじいちゃんは苦戦をしている。
「このボタンがなにか分かりますか?」試験官がハートマークを指差して言う。
「ふぁぼ」おじいちゃんは言う。「ふぁぼらいと」
「うーん、ちょっと違いますね」試験官は言う。「これはどうですか」そういって矢印が二つお互いを示すマークを指す。
「RT」おじいちゃんは言う。「いや、正確にはリツイート」
「うーん、ちょっと違いますね。これは一昨年からプロモートになったんですよ」試験官は言う。「これはどうですか」次は鉛筆のマークだ。
「正式名称は分かりませんが、書き込みとかですか」
「そうですね!」試験官は嬉しそうに言う。「まあ、これが分かるならいいでしょう」
「一問分かるだけでいいんですか?」私は横から口を出す。「もっと厳しくしてもいいんじゃないかと」
「ええ、まあ」試験官は面倒臭そうに言う。「だいたいのことが分かってそうなので、大丈夫でしょう」
そうやってトラブルが起きても責任をとるのは家族だからね、私はそう思うが、口には出さずに済ませる。
そうやって免許更新はつつがなく終わる。最後におじいちゃんはスマートフォン安全協会へ会費を払っている。
「スマートフォンに貼ってくださいね」受付が新しい免許シールを渡してくれる。おじいちゃんはiPhoneから古いシールを剥がそうとする。
「あ、ちょっと待って」私は言う。朝、父から渡されたものがあったのだ。先週発売されたばかりのiPhone 45 Ultimate。「これ、お父さんからのプレゼントだって。免許更新にあわせて新しいのに替えたら、って」
「えっ、本当か」おじいちゃんは言う。そして新しいiPhoneを受け取ると、いそいそと設定をはじめる。
帰りの電車でもおじいちゃんは上機嫌だ。「カメラの画質が全然違う」とおじいちゃんは言う。「歴代最高のアップデートかもしれない」
私にはもちろん、違いが分からない。
新しいiPhoneにしてから、おじいちゃんのトラブルはなくなった。そのことに気付くまで、しばらくかかった。そう言えば最近、警察沙汰になることがない。そう思って母に尋ねたのは、三ヶ月くらい経ってからだった。
「ああ、あれね」母は言う。「お父さんのアイデアなの。あの新しいiPhone、実際はネットに繋がってないのよ。ソーシャルメディアとかニュースとかで流れてくるのも、おじいちゃんの書き込みに対する反応も、みんなAIなんだって。だからもう安心。だけど、おじいちゃんには内緒にしてね」
2024/10/08 - 2024/10/17
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
星新一賞入選のロボット子育て小話「キッドイズトイ」はAmazon Kindleにて100円で販売中。
終議員
9月1日。夏休みの終わりと同時に、今年も終議員選挙がはじまった。……
幽霊たち
終電までには仕事を終わらせようと長いあいだパワーポイントと向き合っていたが、今になって上司から新しい指示のメールが飛んできて、諦めがついた。……
AI不足
マッチングアプリで知り合った女性をデートへ誘い出すことに成功し、洒落たフレンチレストランでピノ・ノワールを嗜みながら、相手が控え目なのをいいことにワインの産地のうんちくを披露していたら、突然言葉が続かなくなった。……
ジェネレーティブな愛
Sに別れを切り出したとき、心のどこかで、自分はここで死ぬのかもしれないと思った。愛する人から捨てられるくらいなら殺してやる。Sは、そういう考えを抱いてもおかしくない人間だった。会社の同期として知り合い、三年ほど付き合って、うち半分くらいの時間を同棲して過ごした。たくさん楽しい思い出を作ったが、Sの難しいところも十分に理解していた。……