youkoseki.com

AI不足

マッチングアプリで知り合った女性をデートへ誘い出すことに成功し、洒落たフレンチレストランでピノ・ノワールを嗜みながら、相手が控え目なのをいいことにワインの産地のうんちくを披露していたら、突然言葉が続かなくなった。

 

「ブルゴーニュにおけるグラン・クリュってのはさ、つまり、その、えー」と僕は言う。

「どうしました?」と彼女は言う。

「やば」僕は言う。「やばい」

「大丈夫です?」

「これはやばい。ええと、今日、今日は何日でしたっけ」

 彼女はスマートフォンをちらりと見る。「28日ですね。5月28日」

 

しまった、もう月末だ。契約しているAIのクオータがなくなったのだ。今月は仕事が忙しかったり、女性を口説いたりしたりして、AIを使いすぎていた。

 

「やば」と僕は言った。「いや、やばじゃなくて、その。ちょっと、すみません」

「本当に大丈夫ですか?」彼女は心配そうに言う。

「ええ、やばいんですが、いや、その、なんて言うんでしたっけ。まじで。その、排泄の、便器的なものがある」

「お手洗い」

「お手洗い。ちょっと、やばいんで、行きますので」

 

そう言って僕はお手洗いにかけこむ。やばい。AIに頼りすぎているから、AIのサポートがなければなにも言葉が出てこない。前回、月末にうっかりクオータが切れたときは、家にこもって仕事も休んでやり過ごした。あの失敗はもう二度と繰り返さないと思ったのに、こんなタイミングで切れるなんて。やばすぎる。だいたい、まだ28日ってどういうことだ。えー、5月は何日まであったっけ?

 

深呼吸をする。落ち着け。そう、たしか追加料金を払えばクオータは増やせるはずだ。そうすれば今晩は乗り切れる。AIが普及してから、すっかり使わなくなったスマートフォンを取り出す。でも、そこで途方に暮れる。クオータの増やし方が分からない。やばすぎる。スマートフォンの操作方法もまともに思い出せない。AIのサポートがないから。AIがサポートしてくれればAIに追加料金を払えるのに。

 

こんなことなら、最初から無制限プランにしておくべきだった。でも普通の人はそこまでのクオーターを使わないから、今のプランが最適だとAIが教えてくれたのだ。実際、これまではそれでだいたい上手く行ってた。

 

無制限プランってどれくらい高かったんだっけ? 質問をしてもAIは答えない。クオータが切れても、古いAIならタダで使えるんじゃなかったっけ? 第三世代とか、ものすごく旧式の。

「AI、聞いてる?」僕は呼びかける。「旧世代でもいいから助けてよ」

「はい」AIは答える。「情報によれば、無制限プランは一番高価です。申し込み方法はウェブをごらんください」

 

どれくらいお手洗いにこもっていただろう。僕は諦めて席に戻る。彼女は健気にも待ってくれていた。

「大丈夫ですか?」彼女はもう一度そう尋ねる。

「いや、はい、まあ、あんまり」僕は答える。

「当ててもいいですか? 月末が近くてAIを使いきっちゃいましたか? クオータ、どの会社のどのプランにしてます?」彼女は言う。「どういう用途で、どれくらいの頻度で使っているのか、教えてくれたら一番いいプランのアドバイスができますよ」そう言う彼女は、先程までとうって変わって饒舌だ。

「ええと、なんて言うんだっけ、その、ありがたい、ありがたいんですけど」

「なんで私が急にこうやって饒舌になったかですか? 私は22時からの使いホーダイプランなんです」

 

2024/04/25 - 2024/05/14

ツイート このエントリーをはてなブックマークに追加

この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

星新一賞入選のロボット子育て小話「キッドイズトイ」はAmazon Kindleにて100円で販売中。

その他のテキスト

幽霊たち
終電までには仕事を終わらせようと長いあいだパワーポイントと向き合っていたが、今になって上司から新しい指示のメールが飛んできて、諦めがついた。……

ジェネレーティブな愛
Sに別れを切り出したとき、心のどこかで、自分はここで死ぬのかもしれないと思った。愛する人から捨てられるくらいなら殺してやる。Sは、そういう考えを抱いてもおかしくない人間だった。会社の同期として知り合い、三年ほど付き合って、うち半分くらいの時間を同棲して過ごした。たくさん楽しい思い出を作ったが、Sの難しいところも十分に理解していた。……

家の更新
冬になってから、家の調子がますます悪くなってきた。寒い朝に冷房をつけたり、頼んでもないのに90年代のヒップホップを再生したり、冷蔵庫の中身を間違えたのか、やけに難しいフレンチのレシピを提案してきたりする。……

どろどろ
マッチーが結婚するというので、新年早々からちゃんとしたスーツを着た。マッチーは新卒で働いていた食品会社の同期だ。十数人いた同期の中で東京出身でなかったのは私、マッチー、翔子の三人だけ。入社前の内定式ですぐに仲良くなり、入社してからも東京出身者たちへの反発でなんとなく団結して、いつも一緒につるんでいた。……