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ジェネレーティブな愛

Sに別れを切り出したとき、心のどこかで、自分はここで死ぬのかもしれないと思った。愛する人から捨てられるくらいなら殺してやる。Sは、そういう考えを抱いてもおかしくない人間だった。会社の同期として知り合い、三年ほど付き合って、うち半分くらいの時間を同棲して過ごした。たくさん楽しい思い出を作ったが、Sの難しいところも十分に理解していた。

 

別れようと決めたのは、それなりの理由があってのことだった。私が出張に行っているあいだにSが浮気をしていたことを、また別の同期から聞かされた。Sは誰かと堂々手を繋いで、職場近くのラブホテル街を歩いていたという。近くのライブハウスから出てきた同期がそれを見ていた。Sに真偽を尋ねてみたら、本人は泣くばかりで、まともな反論はなかった。あのあたりをたまたま歩いていただけとか、そんな見え透いた嘘さえ言わなかった。ただ、まだ私を愛しているとだけ言った。

 

人生がメロドラマ的な展開に陥ると、人間はメロドラマ的な言動しかできなくなる。私は自分が出演するメロドラマを冷めた目で見ていた。

 

その夜はそれ以上、Sを問いつめることはできなかった。私は近くのホテルに泊まり、翌日職場へ行き、家に戻ってあらためてSと会うと、別れを切り出した。ここで死ぬのかなと思ったのはその時だった。近くに包丁なんかをひそませ私を待ち構えていたSの姿が、簡単に想像できた。

 

幸い、その夜のニュースの主役になることはなかった。Sはまた泣いて、引き止めようとも謝ろうともしなかった。もっと激しい反発を予想していたので、少し拍子抜けに思った。もちろん死なずに済んだのは良かった。Sがなにも言わないことを返事として受け取ると、私はそのまま家を出て、新居を見つけるまでホテル暮らしを続けた。

 

ひと月ほど後にSに恋人ができたと聞いたとき、例の浮気相手が昇格したのだと思ったが、そうではなかった。Sは私と別れ、また私と付き合いはじめたらしい。何人か共通の知り合いがそう教えてくれた。インスタを見たら分かるじゃん、ずっと二人の写真が上がってるから、と知り合いたちは言う。Sとは先月に別れてから会っていないのだと言うと、みんな驚いた。だって、昨日も一緒にカフェに行ってたでしょ?

 

私はふだん見ないインスタを確認した。Sは絶え間なく投稿を続けており、その多くに私が映っていた。仕事中、散歩中、家で一緒にゲームをして、飲み会に一緒に参加している。私の知らないところで、私はSと一緒にいた。そうやって無数の投稿を遡っていくと、いつの間にか私と確かに一緒に過ごした家の写真や、一緒に行った旅行の写真が出てきた。確かに、どこかまでは本当の写真だった。でもどこからかは捏造なのだ。

 

職場でSを見かけて、声をかけた。詰問したと言うべきかもしれない。どうなってるの、これ。合成? 私を写真に登場させるのはやめて。

 

Sは今度こそ待ち構えていたように、きっぱりと言った。これは私の作品だから。あなたとのこれまでの思い出に基いて、新しい思い出を作り出してるだけ。迷惑だったらインスタに上げるのはやめるけど、あとは私がどうしようと自由でしょう。Sは笑っていた。そして言った。ある意味で私は、思い出を振り返っているだけ。過去が続いたらどんな未来になったのかなと。

 

私はうまく反論できなかった。そのせいか、Sの投稿は続いた。Sと水族館に行く私。Sと話題のレストランへ行く私。Sと犬を飼いはじめる私。もう追い続ける気にはなれなかったが、知り合いたちは二人の進捗をつぶさに教えてくれた。無神経な知人はこう言った。これで、二人がヨリを戻したらどうなるんだろうね。また投稿は現実に戻るのかな。

 

もちろん、ヨリを戻すことはなかった。半年ほどして、投稿は止まった。Sは会社を辞めて引っ越し、知り合いからも連絡がつかなくなった。

 

後になって後輩の一人が、Sのために生成AIの設定をしてあげたのだと教えてくれた。まさかこんな用途に使われると思わなくて、と後輩は言った。後輩によると、Sは私の写真や動画やメールや読んだ本や見た映画の情報をどんどんAIにインプットして、インスタに上げていたような写真や動画や、実際には行われなかったメッセージのやりとりをたくさん生成していたという。Sはそうやって私との生活を続けていた。

 

でもある日、AIは突然、私のコンテンツを生成するのをやめてしまった。Sは後輩にサポートを頼み、後輩はいろいろと設定を変えてみたが、だめだった。原因は今も分からないんです、と後輩は言った。でも私は思った。たぶんAIは私のことを十分に学習したのだろう。そしてSと別れたのだ。

 

2024/04/04 - 2024/04/06

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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