冬になってから、家の調子がますます悪くなってきた。寒い朝に冷房をつけたり、頼んでもないのに90年代のヒップホップを再生したり、冷蔵庫の中身を間違えたのか、やけに難しいフレンチのレシピを提案してきたりする。
「AIの調子が悪いんだろうな。年季物だし」夫は言う。
「直したりできないの」
「どうだろう。前も様子を見たんだけど」そう言って夫はしばらくあれこれと設定していたが、相変わらず何も入れていないのに食洗機が動き出したりしている。
「十年くらい使っているから、もう寿命なんだよ」と夫は言う。そうして諦めたかと思うと、さっそく次はどのホームAIに乗り換えようかと調べはじめた。
玄関のチャイムが鳴るが、来客は誰もいない。ホームAIに愛着を覚えるのはおかしな話かもしれない。でも多少の愛着があることは否めない。結婚してこの家に引っ越してきたとき、当時としては高性能なAIを奮発して買ったのだ。狭い家には不似合いなほどハイスペックなAIだった。これだけの性能があれば、将来もっと大きな家に引っ越しても使えますよ、と量販店の店員は言っていた。子育て機能やペットの見守り機能が充実しているのも売りだった。
結局、そうした機能は使われなかった。AIに相応の大きな家に引っ越すこともなかった。おまけにAIは世代を追うごとにあっという間に進化していって、あの量販店は潰れてスポーツ用品店になった。
今朝は目覚ましが鳴らなかったので、危うく仕事に遅れるところだった。毎朝の日課のコーヒーも出来ていない。
「AIのくせに、寝ているようなもんだな」と夫は苛々しながら言う。そして、これ見よがしにワールド・ドリーム社のカタログを広げる。WD社の新製品は天井に設置したセンサーがこちらの脳波をワイヤレスで読み取るので、声に出して頼まなくてもタスクを片付けていくという。
「わざわざ命令するなんて時代遅れなんだって」と夫は言う。
夜、仕事から帰ってくると、今度は家の電気がつかない。「電気をつけて」私は言うがAIは反応しない。マニュアルのスイッチはどこにあっただろうか。スマートフォンの明かりでまわりを照らし、AIのブレーカーを切って再起動させる。家の明かりはゆっくりと戻る。アンプが動き出し、90年代のヒップホップが流れる。ごはんはもちろん炊けていない。玄関のチャイムが鳴るが、来客は誰もいない。
夫はどこに行ったのだろうと探すと、暗くなったままの寝室で寝ていた。
「起きて」私は言う。「いよいよ、家のなにもかもが動かない」
夫は面倒くさそうにこちらを見る。「じゃあ週末に買い替えに行こうか。今の、このAIを買ったのはどこだっけ」
私は量販店で買ったことを思い出させる。「もう潰れたけれど」
「そうだっけな」
「晩ごはんもなにもない。何か買って来ようか」
「大丈夫、あんまりおなかが空いてない」夫はそう言って、また横になる。
週末、私達はまた別の量販店へ行く。AIコーナーには各社の新製品が並んでいる。フロアを歩いていた店員を呼び止めると、こちらを見て目を丸くした。「いや、失礼ですが、これはまた年季物ですね。十年ですか? また動いているのがすごい」
「特に不具合はなかったもので」私は答える。「でも最近、ホームAIの設定ができなくなって」
「そうでしょうね。最近のAIはどんどん自動でアップデートしてますからね」そうして店員は夫を興味深そうにまじまじと見る。「最新モデルをごらんになりますか? 今なら新生活応援で、安く乗り換えも可能ですが」
私は夫を少し振り返ってから言う。「そうね、カタログを見せてもらえますか?」
2024/02/13 - 2024/02/25
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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