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宇宙人の美

春に転職してきた若手の歓迎会を職場近くのいつもの中華でやったら、大半の参加者は会計が終わるなり、さっと帰っていったが、何人か酒癖の悪いメンバーと当の若手は残り、そのまま二次会、三次会へと流れついた。若手は名前をTといい、中華の狭いテーブルについた時から、バーのカウンターに至っても、ひたすらビールを飲んでいる。

 

「こんな美味しいものは初めて飲みました」とTはビールグラスを片手に言う。カウンターに並んで座った結果、その話を聞くのは私だけである。「本当は桜が咲くのにあわせて来たかったんです。桜は有名ですからね。それなのに3月のうちに散ってしまうなんて。温暖化が進行してるってことですか」

 

その時はまだTが働きはじめて二週間ほどで、私は外回りばかりでまともに新入社員と顔を合わせることがなかったから、Tの話をちゃんと聞くのは初めてだった。それでも、少し変わっているところがあるという評判は耳にしていた。はじめこそ、なんとかという若者に人気のアイドルグループのメンバーにそっくりらしいと話題だったが、翌週には容姿の話は誰もしなくなり、かわりに言動の話ばかりになったという。

 

ここ数年は業界の景気が良くなって、皮肉なことに、 優秀な若手から辞めていくようになった。先日も、新卒のころから目をかけていた若手が大手に引き抜かれたばかり。かわりに入ってくる若手は、まあ、かわりに入ってくるレベルということだろうか。優秀な人間は有名な会社へ行き、そうでない人間はそうでない会社に。資本主義。かくいう自分がずるずると転職できずにいるのも、そういうことなのだろう。

 

結局Tは終電を逃したというので、オフィスの仮眠室に寝かせた。「ハートランドが悪いんですよ。覚えましたから」とTは言って、すぐいびきをかいて寝た。私は終電をつかまえて、ちゃんと家に帰った。

 

Tの面倒を見てくれないかと部長に言われたのは、ゴールデンウィークが明けたころだった。内勤要員として採用されたはずだが、どうもみんなの手に余っていると、部長ははっきり言った。そういうわけで、私はTを営業に連れ回しはじめた。当人はというと、まわりの評価など気にしていない様子で、「外を歩くほうが好きなんですよね。街の人を見るのは勉強になりますから」などと言っていた。

 

外回りをはじめたTは、隠れた才能が開花するというほどのことはなかったが、半人前程度には働くようになった。なんといっても容姿は客先の目を惹いたし、突飛な話し振りも一部には受けが良かった。得意先の一人が、そんなTに渾名をつけた。「宇宙人」。なるほど、ぴったりの渾名だ。ほどなくTは社内外で宇宙人と呼ばれるようになった。

 

夕方になって雨が激しく降った梅雨の日、私とTは客回りを切り上げ、かといって電車も止まっているので、居酒屋で時間を潰した。Tはその日もビールばかり飲んで、つまみはほとんど食べなかった。

「みんな宇宙人って呼んでくるんですけど」Tは言った。

「気に入らないか」私は言った。

「いや、なんで分かったのかなと思って」Tは真面目な顔で言う。

「宇宙人なのかい」

「はい、ここだけの話」Tはビールをぐいぐいと飲みながら言う。「だいぶ勉強してから来たんです。だいぶ優秀だったんですよ。お前ならもっといい星に行ける。地球なんて辺鄙なところはやめておけと、みんなに言われました。でも、みんなが行かないところに行きたいじゃないですか」

「そうかもな」私は言った。

「地球人は美男美女に甘いと聞いたので、容姿も整えてきたんです。それなのに、こんな閉鎖的な文化だとは思いませんでした」

「なるほど」私は言った。「そうかもね」

幸い、雨は九時前に止み、私たちは駅前で別れて、家路についた。

 

Tは少しづつだが、仕事に慣れてきた。記憶力が良く、客先で聞いた他愛ない話を決して忘れないのが営業向きだった。あの人は巨人ファン、あの人はいつも最後になって値切ってくる、あの人は娘がバレエをやっている、あの人とあの人は出世争いをしている。いつの間にか、私がTを頼るようになっていた。

「あの人、誰だっけ?」

「先月、総務から異動してきた人ですよ。国立大卒なのをいつも鼻にかけて、そのせいか話が長いって、前の担当さんが言ってたじゃないですか」

 

年明け、Tと営業を一回りしたあと、どこかへ飲みに行くかと聞くと、Tはいつになく真面目な顔で「会社を辞めることにしました」と言った。

 私は驚いた。

「ようやく仕事に馴染んできたところじゃないか」そう答えたが、しかし、一方でどこか納得もしていた。待遇のいい会社ではない。Tはまだ一人前とは言えないが、どこも人手不足なのだ。

Tは何も答えない。「どこに転職するんだ」と私は尋ねた。

「いや、ふるさとに帰ります。親の体調があまり良くなくて」

「それは、つまり」私は素面で次の言葉を考えた。「宇宙のどこかに帰るということか」

「そうですね」Tは言った。「都合がつけば、いつかまた戻って来ようかなとは思うんですが」

 私はTを正面から見た。Tはいたって真面目だった。

「地球はどうだった」私は尋ねた。

「食事は良かったです」

「悪かったところはなにかあるか」

 Tはめずらしく少しためらってから、言った。「美術ですかね。美の字も見つけられないです」

 

 そうやってTは会社から去り、私はまた一人で外回りをすることになった。三月になって桜が咲いた。せめて、これを見てから帰っても良かったのではないかと、私は思った。

 

2025/08/14 - 2025/08/15

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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