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2020年のタイムマシン

 大橋さんがまた転職した。今度はタイムマシンを開発するシリコンバレーの会社で働くと言う。

 

 大橋さんは私が新卒で入社した会社の、一つ上の先輩だった。オンラインで事務用品を取り扱うその小さな会社は、入社して二年で倒産し、それから私も大橋さんも一つの会社に留まらず、留まれず、渡り鳥のような生活を続けている。

 実際、大橋さんと前に会ったのも、彼女が転職をしたときの壮行会だった気がする。あのときはネットメディアの会社からオンライン教育系の会社に転職したのだったか、その反対だったか。

 ともあれ、大橋さんの壮行会ということで、忘年会を兼ねて数名の仲間内で集まることになった。二人で昔よく行った焼鳥屋に時間通り着くと、すでにみんな飲みはじめている。

 

「それっていつの話」と順也が言う。キッチンテーブルに向かいで座る彼は、また一回り大きくなった。

「20年前だから……2020年」

「ウイルスの年だ。ニジューに大変、ウイルス蔓延」

「そうだったかもしれない。いや、そうだった」私はテーブルポットからコーヒーを注ぐ。

「忘年会ということは年末? 冬に? 飲み屋で集まったの?」

「そう」

「自殺行為じゃん」

「今はそう思うかもしれないけど、当時はみんな、そこまで深刻に考えてなかった」

 

 その夜、大橋さんはとても陽気だった。ハイだったと言ってもいい。めっきり酒に弱くなっていた私が烏龍茶を飲んでいるあいだ、大橋さんは次々に中ジョッキを空けていた。

 一年半のあいだ、化粧品の通販サイト運営にかかりきりだった、と大橋さんは言った。導入した通販用ソフトウェアがバグに次ぐバグだらけで、最後には自らプログラムとにらめっこしていた。ようやくつまらない仕事から解放されたのだから、ビールなんて何杯飲んだっていいじゃないか。

 改めて確認すると、大橋さんがネットメディアで働いていたのはそのさらに前、オンライン教育はさらにその前の前の前の話だった。

 それで、次はタイムマシンの会社に行くって言うんだよ、と仲間の一人がいった。シリコンバレーにタイムマシンを開発中のベンチャーがあって、そこでマーケティングの仕事を始めているんだって。

 ずっとIT系だったから、マーケティング畑に移るのは意外だな、と誰かが言った。

 いや、そもそも、タイムマシンを開発している会社ってのが意味不明でしょ、と私は突っ込みを入れた。

 ははは。酔っぱらった大橋さんはご機嫌に笑った。みんな心配してくれるのは嬉しいけど、ここだけの秘密で、タイムマシンはもう完成している。大橋さんは言った。アメリカでまもなく発売になり、春には日本でもローンチできるんだから。有楽町に展示場を作って、そこで体験してもらえるようにする。その準備をやらなきゃいけなくてもう忙しいくらい。

 

「タイムマシンとか本気で信じてたの」順也は言う。

「さすがに、誰も信じてなかったよ。みんな優しいから、その場では誰も言わなかったけど」

「そうすると、その人は転職に失敗するわけだ」

「いや、タイムマシンはちゃんと実現した。みんなが思っていたのとちょっと違っただけで……」

 

 タイムマシンは予定より少し遅れたが、翌年の夏にアメリカで発売された。当然ながら、たいへんな話題になった。日本でも大きなニュースになったが、例のウイルスのせいで、アメリカに渡航して実際に体験できた人は少なかった。

 そういうわけで、2021年の秋、タイムマシンの展示場が有楽町にオープンしたときは、ものすごい騒ぎになった。当時のタイムマシンは高級車が何台も買えるような値段で、実際に購入できる人は限られていたが、だからこそ大金持ちはこぞって予約をしており、製造がまったく追いつかない状態だった。

 そしてお金がない人も、展示場ではタダでタイムマシン体験ができるとあって、体験予約のための行列が毎日、朝からまったく絶えなかった。

 私は大橋さんから招待してもらい、早朝の開店前に、特別にタイムマシンを体験をすることができた。国内発売から少しだけ経った、ちょうどハロウィンの頃だったと思う。

 展示場の中央に置かれたタイムマシンは、歯医者の時に座る椅子そっくりだった。体験する気持ちも歯医者にそっくり。これから素晴らしいことが起きると言われて、自分もそれを信じようとしていたが、その瞬間は不安でいっぱいという。

 

「へえ……それで何時代に行ったの」

「そのタイムマシンは過去には行けない。未来を覗けるだけだった」

「え、そうなの」

「最初のバージョンってそういうものでしょ」

「それで未来はどうだった? 僕もいたわけ?」

「そう、あまり先の未来に行っても仕方ないと思って、30年ほど先の未来に行ったのだけど……」

 

 30年後に辿りついたとき、私はベッドに横たわっていた。狭い部屋の、小さなベッドだった。体を起こして回りを眺めたが、部屋にはこまごました文房具の入った机と、地味な服ばかりのクローゼットがあるくらい。未来らしいものはなにもなかった。開かない窓から外を見ると、ここが二階であることが分かった。外は小雨が降っていた。

 階段を下りて、外に出た。雨を感じながら、ぶらぶらと歩いていると、どことなく見覚えのある風景が続いた。学生時代に住んだ街なのかもしれない。どちらかというと過去に迷いこんだようで、30年先の未来だとは感じられなかった。

 ほどなく雨は止み、太陽が見えてきて、夕暮れどきであることがわかった。すぐに暗くなって、街は真っ暗になった。街灯はあるのに点かなかった。そして、どれだけ歩いても、誰ともすれ違わないことに気付いた。街は無人だった。

 

「10年後はそんな風になってるってこと? うける」

 

 無人のコンビニに入り、食料は確保できた。廃墟というよりは、みんな慌てて逃げ出した街に、寝坊して取り残されたような雰囲気だった。酒でも飲みたかったが、アルコール類は見つからなかった。

 駅前に、鍵をつけっぱなしで運転のできる車があった。免許は持っていなかったけど、警察がいそうでもなかった。そもそも未来で無免許運転をしたら、未来で捕まるのだろうか? 現在に戻ったときに捕まるのだろうか?

 それ以前の問題として、どうやって現在に戻るかだ。間抜けな話だが、タイムマシンをどう終了すればいいのか、誰も教えてくれなかった。タイムマシンで未来に来たら、そこにタイムマシンがあるべきなんじゃないか? ドラえもんだってそうだし、バック・トゥ・ザ・フューチャーだってそうだった。

 

「でもそれはフィクションの話でしょ」

 

 車はナビも動作した。通信衛星は動いているということか、などと思った。行き先は有楽町。そこに今も展示場があれば、タイムマシンだってあるはずだった。小一時間ほど無人の街で無免許運転をした。幸い、事故は犯さなかった。

 展示場は一回り大きくなって、同じ場所にあった。歯医者の椅子みたいなタイムマシンはもうどこにもなくて、かわりに本気でオートバイに乗る人が被るヘルメットみたいなものが、新商品として陳列されていた。バッテリーで動作する、最新のワイヤレスモデル。店の奥で説明書を見つけて、私は過去に戻ることにした。

 

「2020年に?」

 

 私が選んだのは、2023年だった。その時は、2020年に戻ったら、自分と鉢合わせするんじゃないかと不安に思っていたから。タイムマシンもので自分と出会うと、常に最悪の結果を引き起こす。それに、2020年まで戻るとタイムマシンが完成していない。平和に自分と共存できたとしても、居心地は良くないだろう。

 2023年にも自分はいるのかもしれないが。少なくともそれは、少し老いた、少し違う私のはずだった。

 自分が論理的な思考をしていたと言うつもりはない。タイムマシンの理論なんて、体験前に誰も教えてくれなかったのだから。

 幸い、2023年はふつうだった。暗い曇の日で、また知らない家のベッドで目覚めたが、少なくとも人は街を歩いていて、すこし歩くと駅に辿りつき、山手線が走っていた。当たり前かもしれないけれど、体験した2050年よりも、自分の知る2020年にずっと近かった。

 有楽町のタイムマシン展示場は閑散としていて、大橋さんが椅子型タイムマシンにもたれかかりながら、暇そうにしていた。私はちょっと悩んで、正面から会いに行った。

 あっ、と大橋さんは私の顔を見るなり言った。元気だったのね、と。

 

「タイムマシン……ってこれね。2021年に日米で大流行」順也は手元の端末を取り出して調べはじめている。「実際に時間旅行をするのではなく、時間旅行をしたような気分を味わえるマシンだった。要するに夢を見る機械だったと。それ自体、当時の技術では先進的であったけれど、タイムマシンとは程遠いわけで、期待が大きかったぶん、数年後には早くも廃れてしまった」

 

 元の時間に戻る方法を教えて欲しい、と私は大橋さんに言った。2020年から来たんだ。元の自分に戻りたい。

 慌てなくても、そのうち自然に戻れるから大丈夫、と大橋さんは答えた。もう気付いてるでしょ、これは夢みたいなものだから、覚めるのを待つだけ。

 いま戻りたい、と私。

 そういうニーズがあることは理解してる。だからいま、いつでもすぐに元に戻れるよう、新しいオプションパーツを開発しているところ。

 それは何年くらいで完成するの。

 わからないけど、5年か、10年か。このタイムマシンだって、何十年と開発してきたわけだし。それまで、ここに残ればいいじゃない。私の家はこの近くだし、仕事ももうすぐ終わるから、一緒にコーヒーでも飲みましょう。

 自分と会いそうで怖い。2023年にいる自分と。

 それは二重の意味で間違ってる。まず、2020年に戻らなれば、2023年のあなたは今ここにいるあなただけ。そうでしょう。それに、ここはあなたが思い描いた世界なんだから、あなたを邪魔する人はいない。もっと楽しんだほうがいいんじゃない? 2020年に戻っても、楽しいことなんてないでしょ。

 私はそれを聞くと、黙って椅子型のタイムマシンに乗り込んだ。え、ちょっと、と大橋さんは言った。私はタイムマシンを10年後にセットする。そこに大橋さんの静止する手が伸びてきて……。

 

「辿りついたのは2040年だった」

「今じゃん」

「そして、この世界ではタイムマシンはすでに廃れていた」

「詐欺だったわけだからね」

「だから私は、一人で元の時間に戻る方法をずっと考えていた」

「えーっと、ちょっと待って」順也は私をじろりと見てから、言う。「話について行けてないのだけど、つまり、僕の親は過去からやってきた、ってことを言ってる? 本物はどこかに行ったの? いつ入れ替わったわけ?」

「正直に言うと、気付いたらここにいた。ここにはしばらくいた気がする。記憶が曖昧になってきてる。2020年からタイムマシンを繰り返してここに辿りついた気もするし、タイムマシンとは無縁の世界で、ふつうに平和な家庭を築いてきた気もする」

「そんなことをずっと考えながら今日まで呑気に子育てしてきたってこと? 毎日会社に行って、休みは家でゴロゴロしながら?」

「分からない、色々な可能性がある」

「とりあえず、今は、親がとつぜんおかしくなったと思っておくよ……」順也は長く腰を下ろしていたキッチンの椅子から立ち上がる。「病院に行ってみる? 昨日までそんなこと一言も言ってなかったけど……」

「いや、大丈夫」私は言う。「大丈夫じゃないかもしれないが……とりあえず、試してみるしかない」私も立ち上がり、冷蔵庫を開く。中には缶ビールがぎっしりと詰まっている。

「え、いつビールなんて入ってた? 飲まないじゃん」

「タイムマシンが夢を見せる装置なのだとしたら、少しばかりは自分の思い通りに操作できるのかもしれない。けっきょくは自分の脳味噌なんだし」私はビール缶を取り出す。「そしてこれが自分の脳から生まれた想像なのだとしたら、そこで意識を失うとどうなるんだろう。はたして、自分で自分の未来は選べるのか……」私はプルタブを開ける。

「え、ちょっと待ってよ!」

 私はもうビールを飲んでいる。

 

「やばいね」目の前にいる眼鏡の男は言った。左のレンズに大きなひびが入っている。「だいぶ朦朧としてる。しっかりしてくれよ、『タイムマシン』のやりすぎでしょ」

 薄暗い部屋には、他に何人かの男がいる。みんなマスクをして、上半身は裸。痩せこけている。

「……タイムマシン」私はそう言おうとするが、口から出た声は弱々しい。「ここは……何年?」

「あのさあ」男は眼鏡を外すと、ズボンで丁寧に拭いて、かけ直す。「俺は長老のことをまだリスペクトしてるけど、もう笑えないよ。明日にでも死ぬんじゃないかって、ジョージは言ってる。マーガレットも、もう老人の面倒はみきれないって」

「戻りたい」私は言う。自分の体が、まわりの男達よりもさらに細いことに気付く。「戻らないと」

「またその話? 災いの時代に戻る? いつも言ってるけどさ、話を聞く限り、そんなに素晴らしい時代だったとは思わないんだけど」

 奥にいた、ぼろぼろのジーンズを履いた男がこちらの様子を見に来て言う。「長老は大丈夫か」

「大丈夫だったことなんてない」

「もう長くはないだろ。好きなだけ『タイムマシン』をやらしてやるのはどうだ」そう言いながら男はジーンズのポケットからなにかを取り出す。小さなチョコレートが三つ、四つ。いや、よく見るとそれら茶色の塊はもぞもぞ動いている。芋虫だ。「とっくに中毒なんだから」

 遠くで花火のような爆発音が聞こえる。「もう『宣伝』の時期か」ジーンズ男が言う。

「『井戸』の様子を見てこよう」眼鏡男が言う。

 もう一度、さらに大きな爆発音。眼鏡男とジーンズ男は顔を見合わせる。その少しの隙に、私は芋虫に手を伸ばす。機敏に動いたつもりだが、細い自分の体は、驚くほど重い。ジーンズ男は簡単に私の手を払う。しかしその手は芋虫たちを乗せていたほうで、私を振り払った勢いで芋虫たちが床に落ちていく。私は振り払われた勢いで、芋虫たちの方向へ頭から落ちていく。首を動かしながら、口を開ける。そして、床をさまよう芋虫たちにかぶりつく。

「おい! いま何匹落ちた!」眼鏡男の声が遠くから聞こえる。

 

 頭が痛い。

 お、ようやく起きたぞ、と誰かの声がする。

 なんとか顔を起こす。眩しい光。見覚えのある場所だ。昔よく行った焼鳥屋。テーブルにうっぷしていたらしい。

 飲みすぎたんじゃないか、と隣の男が言う。すごいペースで中ジョッキを飲んでたからな。

 ちゃんと起きたから良かったじゃない。そう言うのは大橋さんだ。遅くなったし、そろそろおひらきにしましょうか。

 口の中がザラザラする。取り出してみると、薄皮のようなものが出てくる。

 私は立ち上がり、店の外へ出る。居酒屋の並ぶ通り、マスクをつけた人たちで溢れている。二次会に行く人ー、と誰かが言う。2020年。戻ってきたのだ。私もポケットから、マスクを取り出す。

 駅の方向はこちらだったはず。私は歩き出す。みんなに挨拶しなかったかも、と思いながら。

 そんなに急がなくてもいいじゃない。そう言われて横を見ると、大橋さんがいた。大丈夫、飲みすぎた?

 大丈夫、と私は言う。

 そう。大橋さんは頷く。

 だったら、頼みたいことがあるんだけど。

 

 

(この記事は2020 Advent Calendar 2020の16日目として書かれた。今年も誘っていただいた主催の@taizoooさんに感謝します。前日はhysyskさん、明日はxKxAxKxさんです。同カレンダーには2019年に「インターネットおじさんの2019年」を、2018年に「2018年のダンシング・ヒーロー」を、2017年には「2017年、ビジネスパーソンはポコニャンを読む」を書いています)

 

2020/11/19 - 2020/12/16

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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