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本を飼う

 本を拾ったのは小学生のときだった。正確には覚えていないけれど、高学年だったと思う。下校途中、家の近所にあるアパートの入口に、段ボールに入れて捨て置かれた小さな本を見つけたのだ。一緒に歩いていた友達は気付きもしなかったけれど、私は完全に本と目があってしまった。「ちょっと待って」と友達に言って、私は本をそっと拾った。

 

 小さくて、文字でいっぱいの本だった。表紙は古びていたけれど、中身は綺麗。後で知ったが、それはアメリカ産の童話で、有名な翻訳家に訳されて、日本でも昔よく流行ったものだった。

 

 私は本を胸に抱えて家に帰った。家で何か飼いたいと、これまで何度も親に訴えて、いつもダメだと言われてきた。だから拾ったばかりの本も、捨てて来なさいと言われるのではないかと思っていた。そんな時に限って、母は仕事を早く終え、家でもう夕食の用意をしている。しかし、私が抱えた本を見て言ったのは、ずいぶん綺麗なのを拾ったのね、とだけ。それから本は我が家の一員になった。

 

 本とはいつも一緒だった。もちろん散歩には毎日連れて行ったし、一度出かけると、隣町まで歩きすぎることもあった。小さな本は寂しがりやで、布団には必ず入ってきて、お風呂やトイレにまで入ってこようとした。学校にもいつのまにかついて来て、先生に怒られたこともあった。

 

 中学生になったある日のこと、同級生と遊びに出かけたとき、いつものように本がついて来たのだけど、慣れていないその子が、いきなり本を掴もうとしたので、本は慌てて逃げてしまった。私達はあたりを必死に探したけれど、本は見つからなかった。私は泣き、同級生も責任を感じて、同じように泣き続けた。家に帰ると母は優しく私を抱きしめ、父はかわりの本を買ってあげるよと言ったが、私はあの本でなきゃ嫌だと言った。

 

 本は翌日、家に戻ってきた。近所の人が、道端で小さくなっていた本を見つけて、あれは私の本ではないかと連れて来てくれたのだ。おまけに、すぐ隣にはこの本もあったのだけど、と私に手渡した。それは日本の古いミステリーだった。こうして本はつがいになった。

 

 本は繁殖をはじめた。理屈はよく分かっていなかったけど、本と本が一緒にいると、別の本が増えるのだ。はじめはゆっくりと、しかし確実に、本は私の部屋を占拠しはじめた。私は自分の部屋をすっかり本たちのために作りかえることになった。大きな本、小さな本、うるさい本、静かな本、手間のかからない本、手間のかかる本。見た目がそっくりの本も、個性はおどろくほど違うのだ。

 

 本はそれぞれに違って、私はどれにも公平に付き合ったつもりだったが、うまくいかないこともあった。幸い、高校に入るころには同じように本を飼う友達が増え、付き合いきれない本を譲りあうことができた。

 

 大学に入り、一人暮らしをはじめ、狭いワンルームは自然とほぼすべて本のすみかとなった。卒業して、就職し、結婚して、子供が生まれても、私はたくさんの本を飼い続けている。はじめて拾った、あの本も含めて。ようやく歩きはじめた子供が、無邪気に本に手を伸ばそうとすると、私はさっとその手を遮る。大丈夫、いつかあなたも自分の本を飼うようになるから。

 

2021/02/08 - 2021/02/17

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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