四月の頭、ニュースで見た通りに郵便屋が荷物を届けに来た。
「マジかって感じですよね」と若い配達員は私のサインを待ちながら笑った。そう言う配達員には、もう首輪がつけられている。
適当な相槌を打ち荷物を受け取る。郵便屋は愛想の良いまま帰る。少し悩んでから箱を開ける。中にあるのはもちろんあの首輪だ。テレビで散々見せられた、いかつい首輪。装着すると会話の長さを音量や逐次計測する。そして会話税に換算される。
首輪の利用が正式にはじまるのは来月からだったが、受け取った国民は、ただちに利用を開始することが推奨されていた。起きているあいだはずっと装着し、寝る時には外して充電用アダプタに繋げる。そうすると一日のあいだでどれくらい話したかというデータが、国の傘下にある管理団体へ送信される。
首輪は自宅内では外しても良いが、外出中は必ず装着しなければならない。もし装着していないのが見つかったら多額の罰金が課される。すでに街には何千人という監視員が待ち構えているという。どこから集めて来られたのか分からないが、彼らは無給で働くボランティアで、ただ違反者を見つけると報奨金が貰えるのだ。
首輪をつけて鏡の前に立つ。どう見ても不恰好だし、重いし、惨めな気分になる。世の中で散々言われているとおり、人間の尊厳を毀損する装置だ。でも確かに、みんながこれを装着すればお喋りは減るだろう。そうすればウイルスの流行を食い止められる。それこそがこの首輪の狙いなのだ。そもそも、人に会いたいという気持ちがなくなるかもしれない。
やってやろうじゃないか、と私は思った。
首輪の運用は五月からはじまったが、予想通りというべきか、はじめは大混乱だった。届いたときから全く動かない、初期不良に当たったという人達もいれば、電池が切れたらそれっきり充電もできず動かなくなったという人達もいた。ごはんを咀嚼しているだけで喋っていることにされる人もいたし、犬が吠えたら大声のおしゃべりとして計測されてしまったという人もいた。
そもそも最初の一週間はデータを送信しようとしてもネットワークエラーが頻発したし、データが無事に送信されても、自分がどれだけ喋ったのか確認できるポータルサイトにはまるっきり繋がらなかった。試しに一言二言喋ってみただけで、何百万円と税金で引き落されたと騒いでいる人達もネットにはいたが、これは本当のことかそもそも怪しい。
ともあれ、だいたいにして毎日充電し、インターネット経由でデータを送信するというが難しい。若者にとっては日常的な作業だろうけど、お年寄りにWiFiの設定は難易度が高すぎる。「わかる! 会話税!」とかいった本が書店に並ぶ。
充電と通信ができるスポットがお役所やコンビニ、病院などに次々と設けられたけど、使えない、分からないという人達は後を絶たなかった。あるとき郵便局で知らないおじさんから「この首輪どうすりゃええんじゃ」と声をかけられた時は笑ってしまった。うっかり返事をすれば会話にカウントされてしまう。
けっきょく会話税の正式導入は一月遅れ、六月からということになった。
測らずも準備期間が十分に用意されたことで、私達は会話のない生活に少しづつ馴染んでいった。そもそもいつだってスマホを触ってるわけだから、口を動かすかわりに手を動かせば、友達とのチャットが成り立つ。知らない人と話さなきゃいけない時は、テキストを打ち込んで他人見せるためのアプリがある。スマホに依存しなくたって、紙とペンで筆談という手法があるのだ。
そういうわけで、黙ったままコミュニケーションをするのは、やろうと思えばそれほど難しいことではなかった。ただでさえ、ウイルスのせいで外出する機会は減っていたのだから。
一日中スマートフォンと向きあいたくないという人達は手話を学びはじめた。モールス信号を使おう、なんて人達までいた。
会話なんて最初からいらなかったよね、と若者たちは言う。
一方で会話税の問題も早々に露呈した。税金を気にせず会話を続ける人達が現れたのだ。人前で、大声で、一人でも喋り続ける人達。金銭的な余裕のある人達にとって会話税はさほど重いものではない。黙っている人達に向かって、わざと、挑発的に話しかける人達もいて、そのまま喧嘩沙汰になることも少なくなかった。
悪質な会話をしている人はいないか繁華街では見回りが行われることになった。
テレビ番組は多くが成り立たなくなり、アニメか昔の番組の再放送が繰り返された。ラジオはヒットソングが何度も何度もオンエアされるだけ。寄席では漫才師がパントマイムをし、落語家が税金覚悟で噺を続けていた。
職場は静かになり、居心地が良くなった。いつも怒鳴っていた部長は不満そうだが、その不満を吐き出す方法がない。多くの会議がメールで済むようになって、若手が今までになく積極的な意見を出すようになった一方、こうるさいことばかり言っていた偉いさんたちは早すぎるチャットの流れについてこれなくなった。
驚いたのは、それでも上司たちはめげず、暑気払いに飲み会をやろうとメールを送ってきたことだ。会話ができなくても飲みには行きたいらしい。親睦が深まるとかなんとか。
若手たちは理由をつけて断ったが、欠席しても会費は安月給から徴収されてしまう。私は怖いもの見たさで参加してみることにした。
それはこれまでに参加した飲み会の中で、もちろん、もっとも静かな飲み会だった。乾杯はなし。上司の長い話はなし。注文はタッチパネル。みんな片手でビールジョッキを持ちながら、反対の手でスマホを操作している。
賢い人はいるもので、こうしたニーズを予想して世の中では新種の飲み会チャットアプリが普及しはじめていた。なにが他のアプリと違うかというと、チャットから抜けて他のアプリやゲームで時間を潰そうとすると、参加者たちにバレてしまう機能が備わっているのだ。おかげで飲み会のあいだ、指定されたチャットルームからは離れられない。ずっとスマホの同じ画面を見せ続けられる地獄。アルコールを飲むしかなかった。
それでも飲み会は21時の定刻に終わり、帰ろうとしたところで、苦手な部長につかまる。「いい店があるから、二次会に行こう」と部長は声に出して言う。おっと、会話税。私の薄給とは違って、部長の給料なら気にならないのだろうか。回りを見ると他のメンバーは既につかまっている。私は仕方なく頷く。
雑居ビルの六階にエレベータが到着する。ドアが開くと、中からは聞きなれない音が聞こえる。それは人の声だ。「ささ、外して」と部長はすでに首輪を外して言う。「ここは大丈夫だから。知り合いがやってる雑談クラブなんだ。監視員もいないから」
中にはすでに大勢の男女がいて、思い思いに会話を弾ませている。笑い声、乾杯の音頭、下手な歌、スタッフを呼びとめる人、「ご注文は以上で?」そんな言葉、久々に聞いたな。
席に座ると、部長は昔のように喋りはじめ、幸せそうに喋りまくる。私は首輪を外してはみたけれど、あまりに久々すぎて、なにを話せばいいのかよく分からない。そもそも部長の独演会が続く限り、話す必要さえないのだろうけど。「ささ、みんなも喋って」と部長は促すが、けっきょく喋っているのは自分だけである。
その時、背後から悲鳴が聞こえる。振り返ると店の入口にタブレットを抱えた男が二人立っていた。監視員だ。
監視員は体の前に抱えたタブレットの画面を見せつける。画面にはこう表示されている。「動かないでください……あなたたちを告発します……天井の隅を見てください……監視カメラがずっと動作していました……あなたたちの会話量は計測されています……重会話税の対象となります……」
「どうなってるんだ、おい!」と部長が叫ぶ。これも会話税。
監視員のタブレットは表示を続ける。「こちらの店舗は先日から更生プログラムの対象となっています。監視カメラの設置には事前の了承を得ています。これからお一人ずつ回りますので、首輪の電子コードを表示してください。一週間以内に今晩の会話税と、装置未装着の罰金が通知されます」
店内の客を一人ずつ確認していた監視員が、私のところまでやってくる。首輪を見て、内側に書かれている電子コードを読み取る。監視員のタブレットがまた光る。「全然喋ってなかったですね」私は頷く。「でも罰金は罰金ですからね」私は頷く。
部長は泣きそうな顔で監視員と向き合っている。いい気味だと思いながら私はそれを眺めている。沈黙は金。
翌週、書留が届く。あの若い配達員が笑顔で、だが無言で、私のサインを促す。
中には三通の書類が入っていた。まず会話税が「確認の結果、認められませんでした」という通知書。それから装置未装着の罰金の通知書。ニュースで聞いていたとおり、給料の半月ぶんくらいが消える。
それから最後に、あなたも監視員になりませんか、というご案内。
(Photo by Volodymyr Hryshchenko)
2021/01/31 - 2021/04/27
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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