朝起きてスマホを見たら、動かない。画面が真っ暗なのである。充電が切れたかとケーブルを繋いでみたら、何の問題もなく画面がついて、充電は完了していますと表示が出た。とはいえ操作はできないまま。どこかが壊れたのかもしれない。
パソコンを引っ張り出してきたが、こちらは画面こそ最初からついたものの、ログインできない。顔認証や指紋認証は反応しないし、パスワードも通らない。パスワードを間違えたのかと何度も試しているうち、パソコンはロックされてしまった。次にログインを試せるのは二時間後だと言う。
仕事の連絡が来てるかもしれないなと思いながら、朝ごはんを食べる。スマホのない朝食なんていつ以来だろう。手持ちぶさたで、何度もスマホを手に取っては真っ暗な画面を見つめる。
動かないスマホを持ったまま仕事へ向かう。すると今度は駅の改札が開かない。助けを求めてロボット駅員をつかまえようとするが、こちらを無視して目を合わせようともしない。なんとかならないかと改札に近づいたり遠ざかったり、まごまごとしていると、後ろから舌打ちが飛んでくる。諦めて駅を出て、タクシーを探す。なにかがおかしい。
タクシーは目の前を走って行くが、手を振っても止まらない。まわりは次々とタクシーを呼びとめていくというのに。五分くらい手を振り続けただろうか、ようやく一台のタクシーが止まる。古ぼけた、ガソリン式の自動車だろうか。前席には人間の運転手がいる。
ドアが開かれたので思わず中に入ったが、こんな車で大丈夫なのか。「どちらまで?」そう言う運転手は、車に負けないくらい年老いている。オフィスの場所を伝えると、運転手は荒っぽい運転で、狭い路地ばかりを通って行く。
オフィスに到着し、料金を支払おうとしたところで、スマホが動作していないことを思い出す。「お客さん、うちは現金しか対応していないよ」運転手は言う。現金。そんな時代遅れのものを持ち合わせていただろうか。鞄の奥底を調べると、名刺入れに千円札が入っていた。
「これしかない」
「これは旧札だね、まあいいよ」
ようやくオフィスだ。しかし、なんとなく予想していた通り入館ゲートが開かない。まごまごしている私を同僚たちが横目で通りすぎていくが、誰も助けてくれない。遠くから様子を見ていた警備員が、こちらへ近付いてくる。
「どうしたの?」と後ろから声をかけられる。同僚の田村さんだ。
「いや、なんかおかしくて」私は言う。「今朝からスマホも動かないし、電車にも乗れないし、オフィスにも入れない」
「あー」田村さんは言う。「それなんかニュースでやってたよ。ちょっと待って、ほら」そう言って田村さんは自分のスマホをこちらに見せる。「ここ見て、人間になってないでしょ」
「本当だ」田村さんのスマホに私の顔が表示され、名前が横に沿えられているが、人間マークがない。
「それでロボット扱いになってるんだね。ニュースでも最近こういう不具合がちょくちょく起きてるって言ってたよ。役所に行ってみたら?」
「ありがとう、そうする」
区役所はオフィスのすぐそばにあるので、電車やタクシーには乗らずに済んだ。
最近はなんでもオンラインで手続きができるから、役所に来るのは久々だった。駅と同じように役所もロボットばかり動き回っており、人間が見つからない。ロボットには相変わらず無視され続けていたので「すみません、どなたか! どなたか!」と声を上げ続ける。すると窓口の奥から若い大男が出てきて、ようやくこちらに気付いてくれた。
「はい、どうしました?」
「あの、なんか不具合があったみたいで、人間マークが消えちゃったんですよ」
男は自分のスマホを取り出し、何かを確かめている。「ふむ、本当ですね。深夜のアップデートで人間マークが消えてます」
「あー、良かった。いつ戻せますか?」
「うーん」男はスマホを引き続き触っている。「でも、人間だという保証はないですよね」
「えっ」私は絶句する。「いや、人間ですよ、見れば分かるじゃないですか。あれとは違います」そう言って横を走り抜けていくロボットを指差す。
「まあ、あれとは違いますけど、人間そっくりのロボットが流行った時期もあったじゃないですか。だから人間マークが導入されたわけで」
「いや、人間ですよ、だから人間マークがあったんです」
「でも取り消されちゃったわけですよね」
「いや、だから……」
「何か人間の証明になるものはあります? スマホとか、確認できるものがあればいいんですけど」
「そのスマホが動かないんですよ! 人間マークがないせいで」
男は、やれやれ、という表情でこちらを見た。「そうすると、人間テストを受けてもらうしかないですね。近くに認定のテストセンターがありますよ。ここで一通りのテストに合格すれば、人間マークの申請ができるようになりますから」
私は黙って、うなだれた。
「テスト、頑張ってください」男は言う。「私は落ちましたから」
私はその足で、テストセンターに向かう。古びた雑居ビルの四階、入口に「区認定・人間テストセンター」と書かれている。ノックをしてドアを開けると、中年の女性が慌しく書類をめくっている。
「あの、すみません、こちらで人間テストを受けたいんですが」私は言う。
「えーっと、後日にしてもらえませんか? ちょっと今は立て込んでいまして」中年の女性は言う。
「こちらも急いでるんです。今朝、人間マークが突然消えちゃって」
「うちも今朝、区の認定が消えたんです」
2021/07/15 - 2021/08/12
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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