「メルペイは使えないんです」マスターに言われて、俺の酔いは吹っ飛んだ。会社の飲み会が終わり、二次会に後輩たちとバーへ寄ったのだ。来たことのない店だったが、洒落たところで、酒も旨く、さっきまでは大満足だった。メルペイが使えないと知るまでは。
確かに、マスターが指差した壁には「カリペイ使えます」のロゴがあった。それはつまり、メルペイは使えないということだ。不覚だった。いつもはちゃんと下調べをするのに。そしてメルペイが使えない店なんて絶対に選ばないのに。
もう何十年も前、高校生のとき最初に口座を作ったのが、Mのロゴ輝くメル銀行だった。以来、電子決済はすべてメルペイで過ごしてきた。そのうちに現金やクレジットカードを使うことがなくなり、すべてがメルペイで済むようになった。給料はメルペイで貰うし、マンションもメルペイキャッシュで買った。
競合のカリペイも、かつてはメルペイと同じ企業が提供していた。ただ電子決済分野であまりに支配的な存在になったため、政府により会社を分割させられたのだ。しかし、二社に別れ競争が激しくなったことで、決済に伴うすべてのことが二つの陣営に分断されることになった。
たとえば、メルペイ陣営のコンビニでは、カリペイが使えない。カリペイ陣営の電車では、メルペイが使えない。それでも、両方のアカウントを持つのはすごく奇特な一部の人だけ。メルペイは使えば使うほどメルポイントが貯まるし、使わなければ使わないだけメル利息が増える。カリペイもそうだ。
メルペイにロックインされたら、カリペイが使えるレストラン、タクシー、病院、役所には近寄らなくなる。メルペイの男がカリペイの女と結婚するなら、家計をどう統一するのかという笑い話もあった。答えはもちろん「そんな女とは結婚しない」。
しかし、今はこの店でカリペイが必要であった。うちの会社はメルペイで給料を払っているから、後輩たちもカリペイは使えない。いまからでもアカウントを作るべきだろうか。メル=カリ間の両替はアングラで行われているが、べらぼうに高いレートを負わされる。
なにか策はないか。俺はあたりを見渡した。そして「カリペイ使えます」の横に、控え目に輝くZマークがあることに気付いた。「あっ、あのZロゴは……!」俺はスマホをチェックする、間違いない、あれはZペイのロゴだ。メルペイとカリペイの競争が激化するまえに使われていた電子決済。「Zペイ、使えますよね?!」
マスターはぎょっとしたが、なにやら手元のタブレットを操作すると、確かにZペイは受け付けるようだった。俺がZペイのアプリを起動すると、タブレットとのあいだで「ゾゾゾゾゾ……」と共鳴がはじまる。しかしZペイなど、最後に使ったのはいつだろう。残額も70ゾゾしかなくて足りない。「あの、じゃあ……」俺は後輩に聞かれないことを祈りながら、恥を忍んで言った。「ツケ払いで」
2017/09/17 - 2017/10/02
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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