後輩の野上がとんでもないことを言いはじめた。「このまえ、バーで女の人に声をかけられたんです」
金曜日の仕事あがり。野上と同僚の栗田、行き付けの居酒屋でビールを飲む。そこまではいつもの光景であった。しかし野上の一言で俺達は我に返った。
「ちょっと待て」と栗田。「それはつまり、ナンパされたってことか」
「はい」と野上、落ち着きなさそうに認める。「そうなんです」
「ということは、リコメンデーションじゃなかったってことか?」と俺は言った。
「はい、そうなんです」野上は小さく頷く。「こんなこと、初めてだったんですけど……」消えそうな声でそう言った。
男女の(時に同性の)出会いをサポートするマッチングサービスは、ゼロ年代後半に登場したスマートフォンと連携することで、華々しい進化を遂げたと言われている。人々の行動がデータ化され、そうして得られた膨大なデータを綿密に分析することで、いつしか私達はマッチングサービスのリコメンデーションにすべての出会いを委ねるようになっていた。
かつてマッチングサービスでは、次々に表示される出会いの候補を、右や左にスワイプして判定したそうだ。いまではアプリを起動すると最適な相手がリコメンデーションされる。そしてすでに繋がっているのだ。
俺はそうやって出会った相手と、27歳の時に結婚した。栗田もそうだ。今日ではみんな27歳に結婚する。それがアプリの言う最適な時期だからだ。野上もそろそろのはずだった。
「それでどうしたんだ」と栗田。
「とりあえず、別の店で飲み直そうと言われて」野上は言う。「それで、その、知らない店に」
「知らない店!?」俺は思わず声をあげる。
世の中には無数の店がある。安全な店、値頃の店もあれば、危険な店、ぼったくりの店も。だから今ではみんな、レストランのリコメンデーションアプリを使う。この居酒屋に毎週来るのも、それが最適な選択肢だからだ。知らない店に入るなんて、野蛮で、不潔で、危険なことだった。
「大丈夫だったのか」栗田は本当に心配している。
「はい、僕も不安だったので、とりあえずビールだけ飲んだんですけど、見たことのないラベルで……味もよく覚えてません」
「だいぶ危ない橋を渡ったんだな」俺は言う。「体に問題はなかったか」毒など入っていたかもしれない、と俺は口には出さず考える。
「小腹が空いてたので、その、彼女が注文したスパゲッティを食べました」栗田は言う。「見たことのない野菜が入ってて、でも、今のところ、問題なかったと思ってます。もちろん、余分な栄養ではあったんですけど……」もちろん俺達はみんな、何を食べるかリコメンデーションに従う。そうすれば健康になれる。「あと、そんなに高い店ではなかったですけど、余分な出費ではありました」野上は言う。そりゃあそうだ。自分の意思でなにかを買うなんて、失敗して当たり前だろう。リコメンデーションに従っていればなんの問題もないのに。
「それで、結局どうなったんだ」と俺は言う。
「はい、彼女と盛り上がって、家が近くだと言うので寄ることになり」
「つまり」栗田は言う。「知らない女に声をかけられて、知らない店で飯を食い、知らない家に上がったんだな」
「……そうです」野上は言う。俺達は空いた口が塞がらない。「でも」野上は慌てて言う。「その、それからの、あれは、彼女のデータを入力して、ちゃんとリコメンデーションに従いました」野上は言う。「だから、そこは悪くなかったと思います」
それを聞いて、俺達はほっと溜息をついた。俺は言った。「リコメンデーションに従ったのは良かったな」
2017/12/12 - 2017/12/13
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
星新一賞入選のロボット子育て小話「キッドイズトイ」はAmazon Kindleにて100円で販売中。
深圳すごい
「仕事で半年、深圳に行ってきたのさ」と熊五郎は言った。「すごかったね。リニアモーターカーはあちこち走ってるし、ドローンは街中を飛びかってるし。買物に至っては、QRコードを読みとるだけでなんでも決済ができちゃうんだから。なんでも、二次元バーコードではもう間に合わないとかで、いまは四次元バーコードを使いはじめてるんだって」……
ふたつのテレビ
テレビを点けると、いつでもニュースが流れだす。Aボタンは「Aチャンネルニュース」。Bボタンで「ニュースチャンネルB」。どちらも24時間放送で、流れる内容はまったく違う。今日はジャイアンツとタイガースの試合があって、Aチャンネルではジャイアンツが4-0で、チャンネルBではタイガースが8-3で勝った。……
メルペイとカリペイ
「メルペイは使えないんです」マスターに言われて、俺の酔いは吹っ飛んだ。会社の飲み会が終わり、二次会に後輩たちとバーへ寄ったのだ。来たことのない店だったが、洒落たところで、酒も旨く、さっきまでは大満足だった。メルペイが使えないと知るまでは。……
1995年はすごかった
1995年といえばWindows 98が発売された年で、発売日には秋葉原中のパソコンショップが深夜営業をしていたものだった。あちこちに長い行列が出来たせいで、一部の行列で混乱が起き、「物売るっていうレベルじゃねぇぞ」の名言が生まれたのがこのとき。……