現場に着いたとき、ツイートはすでに消えていた。炎上の跡らしきものといえば、行き先をなくしたメンションがちらほらと届くくらいであった。
「魚拓は?」私が聞くと「とれてます」とアシスタントが印刷したファイルを取り出して言う。
「ねとらぼは?」「まだ記事にはされてません」
「メディアには言及を控えるように言ってくれ」そう言って僕はエゴサをはじめる。いまのところ言及は100、200、全部で300程度。批判は6割、botが2割といったところか。炎上レベルは3、つまり《軽微》。エゴサーチの定義が違うとか言わないでくれ。
「ゲハブログが記事を上げたそうです」とアシスタント。Tweetdeckの通知がどっと増える。「Facebookの監視を。インフルエンサーが動くかもしれない。コメント欄にも目を光らせろ」
しかし、連中は動かなかった。炎上はそのまま鎮火し、あまり有名でないアイドルの不倫が話題をさらっていった。
「いつもこれくらい簡単な仕事だったらいいんですけど」アシスタントは言う。私は現場検証をやめて、保険会社向けの鑑定書とクライアント向けの請求書を同時に仕上げる。なにかがおかしいと思いながら。
「酸素がある限り、炎上は広がり続ける」
かつて、鑑定師仲間はそんなことを言っていた。「つまり、ネットユーザーが吸って吐く酸素がある限り、炎上は続く」しかし最近は小規模な炎上が頻発している。耳なれない企業や団体が、炎上が発生するまで誰も知らなかったような話題で、安易な炎上を起こす。安直すぎるほどに。
理由を教えてくれたのは、やはり鑑定師仲間だった。「あれは自分で炎上させているんだよ」と彼女は言う。
「なんのために?」「もちろん、注目を集めるために。誰にも知られないまま消えていくくらいなら、炎上したほうがマシってわけ」
「本当に? 企業の価値を毀損してまで、そんなことをする意味があるのか?」
彼女は笑う。「悪評も評判のうち、って言わない? それに、炎上で損害が発生しても、今の時代なら挽回する手段があるでしょう」
僕は息を飲む。「保険金」
「そういうこと。ただコケるくらいなら、盛大にコケて炎上したほうが金になる。今の仕事に飽きたなら、私がコンサルティングしている炎上屋を紹介するけど?」
彼女が紹介してくれた炎上屋のシステムは、実に見事だった。コマンドひとつで、ソーシャルメディア各所の乗っ取り済アカウントが動き出す。過去のオーセンティックな炎上から取り出したコメントを人工知能が学習して、筋の通った批判を生成しては撒き散らす。まとめ記事を自動的に作り上げ、批判ブログをクラウドソーシングで募り、タイミング良くネットメディアやインフルエンサーをけしかけて、必要な炎上のサイズに必要なだけの酸素を送り込む。
専用のデータベースには、誰がどの分野の話題をどれくらい不用意に拡散するか、どれくらい影響力があるか、すべて数値化され、日々更新されている。そうやって、新聞やテレビで話題にされるまでの大事にはならず、保険金が得られる、ちょうど良いレベルまで炎上を作り上げる。
もちろん、必要ならマスメディアもけしかける。不買行動を呼びかけるウェブサイトも、クリックひとつで立ち上がる。そこまで望むクライアントは少ないそうだが。
「いくら払えば炎上ひとつ起こしてもらえますか?」
システム担当者は面倒くさそうに答える。「炎上で下りる保険金の45%」
そういうわけで鑑定業は辞めた。炎上屋を始めたわけじゃない。もっと良いビジネスモデルを思いついたのだ。理屈は簡単、炎上屋が作為的に炎上させている案件を発見したら、横からさらに焚き付けて、必要以上にまで騒ぎを大きくする。やめて欲しければ、保険金の分け前をくれればいい。保険金の50%とかで手を打つ。すべて自動化できるし、コストもほとんどかからない。炎上屋の炎上を乗っとるわけだ。
はじめてみると、副次的な効果にも気付いた。つまり、上場企業の炎上をどのタイミングで終わらせるか操作できれば、裏で株の売買と連動させることもできる。
もちろん、そうそう乗っ取れる炎上があるわけじゃない。本当に大きな炎上を作るのも、簡単ではない。毎日が試行錯誤だ。でも、やりがいのある仕事です。
2017/05/18 - 2017/07/06
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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