「すいません」と、駅前で女性に声をかけられた。
美人だったが、これは何かのセールスに違いない。僕はとっさに身構える。「結構です」僕は目を合わせないようにしてそう言い、早足で立ち去った。
しかし彼女はすぐに追ってきた。「いえ、あの」彼女は言った。そして僕の名前を告げた。「ですよね?」
僕は彼女に向き直った。彼女の輪郭を捉え、目鼻立ちを確認した。僕の口から、一人の名前が飛び出した。「そうそう!」彼女は嬉しそうに言った。その笑顔で僕は確信した。
彼女は小学校の同級生だった。ゴロゴロと、記憶がすこしづつ蘇る音が聞こえるようだった。小柄だけどバレーボールが得意だったこと。一緒に保険委員をやったこと。卒業式で誰よりも泣いていたこと。中学の入学式では見かけず、あとになって私立の女子校に進学したと誰からとなく耳にしたこと。
十年一昔。まさに一昔の話だ。今、目の前にいる彼女は身長も伸び、胸が張り、化粧が様になり、大人びた様相。大人なのだから当然なのかもしれない。しかし彼女との間に流れた空白を、僕はまだうまく認識出来ないでいた。
「今、ちょっと時間ある?」彼女は言った。僕は頷く。僕達は近くのカフェへ向かい、その隅に陣取り、溢れるように会話を交した。
それから僕は三十万円する英語教材の契約書にサインをし、彼女は満面の笑顔を残してカフェから消えた。
2005/11/02
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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