ハッシュタグ #検察庁法改正案に抗議します が大きな話題となり、今国会の焦点であった検察庁法改正が見送りに追い込まれた。Twitter世論が政治を動かした、と言われている。
Twitterが世の中を大きく動かしたのは、これが初めてではない。というか、Twitterは今や巨大な炎上プラットフォームで、これまでは個人の炎上や企業の炎上が続いていたが、今回は炎上したのが政府だった、という感じである。炎上と政治デモを同列に並べると嫌がる人がいるかもしれないけど、私は良い悪いではなく、構造は同じだと思う。
検察庁法改正以前を少し振り返っただけでも、お肉券、お魚券、あるいは給付金案などで、政府案が炎上し(どこまでもともと確定した内容で、どこまでTwitter世論の影響を受けたかはさておき)修正を迫られることがあった。今後Twitter世論の存在感はますます強まっていくだろうし、今回の盛り上がりに貢献した有名人、インフルエンサーも、飾らずに言えば、その価値を上げていくだろう。
一方、賢い人は、こうしたネット世論のうねりをどうやって人為的に起こしていくか考えはじめているだろうし、今後も検察庁法改正への抗議のように「正しい」行為にだけ用いられると考えるのは、いささかナイーブである。
そして、そのようなうねりが次々に生み出されたとき、世の中が良くなるのか、悪くなるのか、単純に分断されるのかというと、私はその行く先にわりあい悲観的である。たとえばファクトチェック、フェイクニュースといった概念も、あっという間に陳腐化し、互いに互いをフェイクと呼びあうだけの相対的な意味になってしまった。
また、総理が犬を撫でる動画に50万超のいいねがつき、 #検察庁法改正案に抗議します には数百万のツイートが寄せられたことについては、botと複アカが跋扈するTwitterでそうした数字にどれだけの価値があるのかずいぶんな議論もあったが、そうした数字の大小にこだわる意味はほとんどないと私は思う。
むしろ正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると、その声の大きさに関わらず捉えることが、今後はいっそう重要になると思いたいし、Twitterがトレンド重視の、声の大きい意見が勝つ世界であるのはとても危険である。声が大きいことが正しいのであれば、たとえばInstagramで1.7億人のフォロワーがいるキム・カーダシアンの言うことが一番正しいということになってしまう。
有象無象の声を、どのように整理し、まとめていくかというのは、一時はキュレーションなどと言われてもてはやされたが、今のところプラットフォームにおけるキュレーションの試みは失敗続きと言ってもいいだろう。
そういうわけで、私は当の法案が見送りになったこと自体はとても良かったと思うが、その反面Twitterが今回このように「勝利した」ことについては、期待よりも不安のほうが大きい。
また、たとえどのように山が動いたにせよ、その貢献という意味ではマスメディアの存在感が低下したと改めて感じずにはいられなかったし、はっきり言えば今回の騒動で一番の負け組は政府以上にマスメディアだったかもしれない。
本当はここから新聞主体の構成がいかに新聞社のネットメディア化を阻害しているか、夕刊紙やワイドショーなどの低品質な存在がマスメディア全体の価値を毀損しているか、などを書くつもりだったが、すでに長くなったので、とりあえずここまで……。
2020/05/20
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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