「Hit Refresh: マイクロソフト再興とテクノロジーの未来」はサティア・ナデラ、マイクロソフトの現CEOによる本である。原著、翻訳ともに2017年の出版なのだが、今になって読んでとても面白かったので、簡単に紹介する。
1975年に創業されたマイクロソフトには、これまで3人のCEOしかいない。ご存知ビル・ゲイツと、「デベロッパーズ!」でおなじみのスティーブ・バルマー、そして2014年からCEOを勤めるナデラである。有名すぎる前任の二人と比べると、いささか印象が薄いことは否めない。巨大IT企業を率いながら、スティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグ、イーロン・マスク、ジェフ・ベゾスのようにニュースの題材になることも少ない。
しかしナデラ体制になってからのマイクロソフトは絶好調である。
マイクロソフトが、経営不振と呼ばれるほどの危機に陥ったことは一度もない。しかしナデラがCEOになる前後は、ネットサービス、モバイル、クラウドといったイノベーションに乗り遅れたため、おどろくほど新陳代謝の早いこの世界において、過去の巨人あつかいされることもあった。GAFAのGFよりも時価総額が大きいのに、このメンバーの一員と見なされないのも、その証左であろう。今となっては不思議だが、スマホが普及すればPC=Windows市場は無価値になるとか、ウェブサービスが一般化になればソフトウェア(Office)は陳腐化するとか、そういう見方もあったのである。
ナデラは1992年からマイクロソフトに勤務するベテランなので、本ではまずこのマイクロソフトの浮き沈みが率直に描かれている。有名な「部署同士が拳銃を向けあっている組織図」についてもわざわざ言及する。2017年の本ということもあり、近年の成功あれこれが細かに書かれているわけではないが、CEO就任から短期間のうちに、副題にある「マイクロソフト再興」の試み、あるいは原著の副題にある「マイクロソフトの魂を再発見するための探求」が記されており、結果はごらんの通り、という感じである。
では、その試み、探求とは具体的になんなのか? 記されているのは、ビジョンを共有する、カルチャーを明確にする、チームの連携を大切にするなど……正直、びっくりするようなことはなにも書いていない。しかし愛するクリケットから学んだという規範が、かなり徹底されたのだろうということは文体から伝わってくる。この本からサティア・ナデラの人となりについて分かるのは、とにかくクリケットが好きなんだなということである。
そういうわけで、マイクロソフト再興の具体的な戦術を読み解く資料としては物足りなく感じるかもしれないが、この本にはそれを上回る魅力がある。それは徹底して貫かれる、内省的なトーンである。巨大企業のCEOに抜擢され、就任から数々の変革を起こしながら、なんというか、ハイな感じがまったくないのだ。
たとえば、ナデラはCEOになる以前、クラウド部門の責任者であった。ソフトウェア中心であったマイクロソフトが、クラウド分野で新興のアマゾンに追いこされる。社内組織は分断され、古い考え方から抜けられない。典型的なイノベーションのジレンマである。ナデラはそこを改革し、クラウドを稼ぎ頭として育てることに成功する。繰り返しになるが、具体的な戦術は書かれていない。書かれているのは、顧客の意見に耳を傾けよ、社内外の関係を目を向けよ、という教訓である。
AR、AI、量子コンピュータという先端技術に胸踊らせる章において同様である。語られるのは技術自体の素晴らしさではなく、それをどう使うか、どのように世の中に影響を与えるのか、という話ばかりである。
プライバシーについて語る章では、さらに踏み込んで、エドワード・スノーデンの事件をわざわざ持ち出す。そして顧客のプライバシーを守ることと、政府の命令に従うこととのジレンマを取り上げる。また最終章では技術がどのように社会に影響を与えているか、格差拡大や不平等に寄与しているのではないかと自問する。経営者として、あるいは技術者として、自慢できることも自慢したいことも沢山あるのだろうが、こうした難しいトピックにわざわざ触れるのが、この本の面白さであり、著者の人間性なのだろう。
この本を読むまですっかり忘れていたが、ナデラはCEOになって間も無い2014年に、自身の発言で炎上したことがある。IT業界における男女の賃金格差について問われ、女性が昇給を求める必要はなく、「システム」を信用すべき……というような答えをしたためだ。このエピソードを久々に思い出したのは、もちろん、ナデラ自身が失敗の体験として文中で触れており、どのように考えを改めたか記しているからである。
ITプラットフォームと社会責任というのは、近年になってますます世間の注目を集めるトピックとなっている。このような時代だからこそ、社会問題を内省的に考察できる経営者がますます重要になるだろう。そしてそんな経営者を早くに擁することができたマイクロソフトの地力を感じる本であった。
2020/08/31 - 2020/09/01
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
政治家に学ぶキャリア・デベロップメント
「政治家に学ぶキャリア・デベロップメント」みたいな本があれば面白いのではないか、と思った。私は政治に詳しくないので、誰か書いて欲しい。……
西和彦氏の「反省記」がむちゃくちゃで面白い
「反省記ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”で学んだこと」は実業家、西和彦氏による著書。還暦を過ぎ、これまでの半生を振り返ってみてはどうかと編集者に依頼され、編集側から出てきたタイトルが「反省記」だったらしい。ひどい。素晴らしい編集者だ。……
アフターコロナ時代のテレワーク・マナー99
インターネットが流行をはじめた90年代後半、あるいはそれ以前から、デジタルテクノロジーにおいて私達の仕事や働き方はどう変わるか、多くの議論がなされてきた。しかしパソコン、スマートフォン、電子メール、ビデオ会議、人をダメにするクッションのようなツールがどれだけ発展し、普及しようとも、朝オフィスに出社し、夕方から深夜のうちに家に戻るというサイクルには概ね、なんの変化も与えなかった。……
ローソンのデザインの難しい問題
ローソンのプライベートブランドがデザインを一新し、議論を呼んでいる。熟考があっての結果なのだろうし、このデザインが好きだという人もいるのだろうけど、現時点でリニューアル自体は、控え目に言っても失敗だろう。……