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ルッキズムが否定されたとき、広告は何を語るのだろう

私は、広告というものが昔から好きであった。しかし広告のメッセージが、ときどき(あるいは頻繁に)息苦しく感じることも確かである。その息苦しさは、最近、Netflixが見事に広告にしてみせた。

 

リラックマのアニメの広告が広告批判ですごく良かった。 pic.twitter.com/19jkhfVPrR

— 荒井杏五郎 (@arian_dw) May 6, 2019

 

私もこれはすごく良い広告だと思うのだが、ちょっと意地悪に言えば、あれをしろこれをしろと言っていた広告が、次にはリラックスして君は君らしくあればといいと言いはじめるのは、この業界の常套手段でもある。緊張と緩和、アメとムチだ。

 

一方で、なんだか潮目が変わりつつあるのかなと思うこともある。それはルッキズムに関することである。

 

たとえば、外見をよくしよう、というのは広告の基本的なテンプレートであった。具体的には、お洒落になってモテよう、恋を見つけよう、できる男は見た目が違う、ママになっても綺麗に、何歳になっても若々しく、みたいな。多くの場合、それは自己表現についてではなく、他者にとって心地よいものであれというメッセージであり、だからこそルッキズムなどと言われる。

 

ところが、これは私の肌感覚でしかないのだが、こういった広告のごくありふれたテンプレートに対して、批判を目にすることが増えてきたと感じる。要するに、うるせえよ、と。そういう批判には、ファッションモデルみたいに痩せなければいけないのか、みたいな形もあれば、別に恋を見つけるだけが正解じゃないだろとか、クソ忙しいママに美容を求めるなとか、年をとったら外見が変わるのは当たり前だろとか、とかいう形もある。

 

こうした批判は、昔からあったものが、怒れるプラットフォームことツイッターのおかげで可視化されるようになっただけなのか、それとも最近になって生まれた潮流なのか、あるいは広告が近年さらに押し付けがましくなっていて、その反発なのかは、私には分からない。

 

ただ、いわゆるロスジェネ世代の一人としては、終身雇用の時代でもないんだし、他者のために見た目を頑張っても別に報われないことがバレてしまったのでは、とは思う。

 

世の中には、ああすべき、こうすべきというお節介なメッセージで溢れている。多くの場合は、なんとなく真に受けたり、聞き流したりするだけでも、あまりにしつこいと、反発だって生まれる。最近は、なんだか奇妙なマナーがネットで話題になるたび、マナー講師はくたばれ、と反発を受けている。広告も、多くの場合、おせっかいなマナー講師みたいなものではないか。

 

これがちょっとしたトレンドというかツイッター上のガス抜きで終わるのか、今後さらに拡大していくのか、なんとなく後者の場合も考えはじめたほうがいいのではないか、というのがこの記事のメッセージである。外見をよくしよう、という広告の定番テンプレートが否定され、おせっかいなマナー講師役が反発を受けたとき、さて、広告はなにを言えばいいんだろう、と。

 

私は広告クリエイターではないので、どうなりますやらと思っているだけなのだが、このまえ、ほぼ同時期にP&Gと資生堂の広告を見たときは、さすがに頭を抱えてしまった。P&Gは、広告が伝えるべきメッセージとして、明らかに一つ先に行っている。

 

P&Gと資生堂の広告、比較すると泣きなくなるな……。 pic.twitter.com/mNs4fq6xgJ

— yu koseki (@youkoseki) April 17, 2019

 

広告は良くも悪くも声が大きいのだから、その声の大きさを、マナー講師みたいに振る舞うために使うのではなく、世の中を風通しよくするために使ってもいいわけだ。

 

さらにいえば、広告におけるルッキズムが否定されたら、過去の広告はどうなってしまうのだろう、とも思う。少し前に任天堂の広告が話題になったが、これはせいぜい15年くらい前の作品だろうけど、ジェンダーをこのように取り上げた手法は、今では完全に古臭く感じてしまう。

 

任天堂がイタリアで実施したニンテンドーDSの広告。写真撮影でなぜか後列の男子だけが全員揃ってうつむいてしまっています。それにしてもほんと男っていつまで経ってもゲーム大好きですよね… pic.twitter.com/U5yzDjHzV8

— INSPI(インスピ)|広告デザインとアイデアの教科書 (@inspi_com) April 16, 2019

 

同じように過去の多くの広告が、ルッキズムの観点から、悪い意味での再評価を免れないだろう。

 

というわけで、数年後、もしかしたら来年くらいには、広告で行われる表現というのは、だいぶ違ったものになっているのかもしれない。そうなったらどうなっちゃうのだろうという気持ちと、そうなると面白いかなという気持ちが半々で個人的には楽しみにしている。

 

(一方で、本当に問題にすべきは、個人のコンプレックスを刺激するような本当に不愉快な広告なのだが、それは今さら批判もされず炎上もせず、今後も残り続けるのだろうか……)

 

2019/05/08 - 2019/05/09

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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