不思議なことだが、技術力のすごい会社というのは、往々にしてマーケティングが下手である。逆に、マーケティングのうまい会社は、だいたい技術力がそれに伴ってなかったりする。「あっちの会社の技術に、こっちの会社のマーケティングがあれば最強なのに」みたいな業界話はいろいろなところで聞くのではないだろうか。
同様に、新しいプロダクトを始めるのが得意な会社は、長い時間をかけてプロダクトをサポートするのが疎かになりがちである。若手がのびのびと仕事をしている会社に限って、マネジメントは疲弊している。経営者にビジョンがあると言われる会社は、現場に発言力がなかったりする。人材が硬直化している会社では中途採用で優秀な人を確保するのが難しいし、流動化しすぎた会社にはよく分からない人がコネで入ってくる。
なぜ完璧な組織はないのだろうと思っていたけど、恥ずかしながら私もそれなりに社会人としての経験を積んで、ようやくその意味が分かってきた。けっきょく、会社の経営だったり、組織作りだったりというのは、なにかを優先して、なにかを後回しにすることである。その積み重ねが、意識的にか無意識的にか、組織の性格を築いてしまう。
たとえば、会社にすごく優秀な技術リーダーと、同じくらい優秀なマーケティングのリーダーが入ってきたとする。しばらくは、どちらのチームも順調に進んでいく。しかし、あるタイミングで両者の利害が衝突する。来年の採用枠をどちらに割り振るかという話かもしれないし、広告のメッセージでどこまで技術寄りにするかという話かもしれないし、次期幹部をどちらのリーダーに任せるかという話かもしれない。
どれだけ頑張っても、いつまでも両者に公平に進めることはできない。そして実際の会社にはもっと多くのチームがあって、もっと多くの利害が複雑に絡んでいるのだ。そうやって組織の優先順位を決めると、それが組織の性格につながっていく。
驚くほど多くの会社で、どこか特定の部署が力を持っている。そして社員はその力関係を認識しながら働いている。「あそこは営業の会社だから」とか「あそこは技術の会社だから」とかいうこともあれば、「うちでは経理の言うことに逆らえないから」みたいな話もあるし、複数の商品チームのうち特定のチームが「出世ルート」とされていることもある。
わたしが過去に働いていた会社で、とても偉い人が、今年の戦略はこれだと言ってチームが取り組むべきプロジェクトの優先順位を発表したことがあった。それはとても明確なビジョンだったが、その優先順位には一番から最後まで描かれてあって、話を聞いた社員の中には、もっとも優先順位の低いプロジェクト担当も当然いた。そこまで優先順位が明らかになったとき、そんな担当のモチベーションを維持するのはほぼ不可能だろうが、「みんなの働きが同程度に大事なのです」と言いつくろい続けるのもまた不可能に近い。
そして一度そういう優先順位が生まれてしまうと、ひっくり返すのは難しくなって、ほど良い均衡に近づけようとするのはさらに難しい。誰だって優先順位の低いチームでは働きたくないし、すでにいるメンバーは優秀な人から未来に見切りをつけて、他のチームへ異動したり退職したりしてしまう。
無尽蔵のリソースを抱えてそうな大企業から、ときどき無残なプロダクトが生まれてくるのもこれが理由だろう。みんな成功しそうな、優先順位の高いプロダクトに関わりたがって、優先順位の低いプロダクトには誰も関わりたがらない。優先順位が高い・低いと誰かが公言しなくても、みんなその様子を察知してしまう。
優先順位を決める以上、あらゆる面で強い組織を作るのはむずかしい、というか、不可能だろう。一方で恐しいことに、あらゆる面で弱い組織というのは十分に存在しうる。技術が弱い会社だからといって、マーケティングに強い会社だとは限らないのだ。そう考えると、だいたいの会社は、一つ強みがあれば十分なのかもしれない。
他方、スタートアップが魅力的に見えるのも、同じ文脈で説明できるかもしれない。スタートアップでは、どの部署も等しくリソースが足りない。利害調整やリソース配分以前に、やれる限りのことをやることが求められる。それは苦しいが、ある意味では幸せな状態だろう。成功して成長すれば、いつか利害調整やリソース配分といった問題に直面するのだが。
私は経営者ではないので、この問題をどう解決しようという気はないし、この話にオチもないのだが、会社を見る時に「ここは何に強く、何に弱い組織なのか」を見るのは面白いなーと思うのであった。
2019/04/04
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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