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清掃課のヤマさん

 夏場は案件が少ない。八月は特に静かだ。会社に決まった盆休みはないが、大半の社員がこの時期にまとめて休みをとる。働いているのは、数字の足りない営業と、清掃課のヤマさんくらいである。

 他の社員同様、ヤマさんも本名ではない。転職してきたおき、自己紹介で趣味は登山だと言ったら、まわりからヤマさんと呼ばれるようになった。もう十年ほど前のことである。

 人の入れ替わりが激しいこの業界、ヤマさんはすでに古参だ。社内でヤマさんの由来を知っている人はもうほとんどいない。ヤマさん自身、不惑を過ぎて、昔のように山登りをする余裕はない。時間の余裕やお金の余裕はあるはずなのだが、遠出するエネルギーの余裕がないのである。

 

 盆の時期、ヤマさんはあえて休みをとらず、がらんとしたオフィスに出社する。コーヒーを飲んだり、溜まった経費の清算をしたり、昼ごはんに出かけては食後に喫茶店へ寄り、古本屋で買っておいた文庫本をじっくり読破したりする。

 そうやって有給休暇を溜めて、忙しくなってきた時期にちょくちょくと休むのがヤマさんのテクニックであった。

 サボリと言えばサボリである。とはいえ普段から、ヤマさんが何をしていようと気付く人はあまりいない。清掃課とはそういうところである。誰かがサボろうと休もうと、仕事がまわっていればそれでいいと、ヤマさんは考えている。そして仕事をまわすことにかけては、ヤマさんには定評があった。

 

 その日も昼食後、ヤマさんはいきつけの喫茶店に向かった。窓際の席に座って文庫本を取り出す。読むのは決まってミステリーである。一日で中盤まで一気に読み、一晩トリックについて悩んだあと、翌日残りを読むのが習慣である。新しい事件に触れていく日と、事件が解明されていく日の繰り返し。今日は後者だから、注文を済ませるとさっそく本に没頭していく。

 電話がかかってきたのはそんなタイミングだった。ヤマさんは仕事用と個人用のふたつの携帯を持ち歩いている。だからこれが面倒な仕事の話であることは出る前から分かる。それでも出なければいけない。

「ヤマさん、いまどこですか」若い男の声である。ハタケさんだったか。由来は忘れた。半年前くらいに転職してきた営業である。こんな日も働いているのか。そうすると、この後の展開は読みとれる。

「オフィスの近くにいますよ」ヤマさんは答える。

「仕事を頼みたいのですが」やっぱりそうか。

「了解です」ヤマさんはそう言って本を閉じる。普段なら外注を準備させておくのだが、こう急ではどうしようもない。「どこへ行けばいいですか?」ミステリーの解明は明日に持ち越しだった。

 

 地下鉄を乗り継ぎ、駅からしばらく歩き、表通りから外れた、古びた雑居ビルに辿りつく。指定されたのはこの五階だ。オートロックも何もない。エレベータを呼び、五階へと向かう。廊下に面して部屋が三つあり、そのうち一番奥が現場だという。ドアに鍵はかかっておらず、そっと開くと、狭いワンルームの床にもう死体が転がっている。若い女性だ。

 ヤマさんがここに辿りつくまで小一時間はかかった。そのあいだに他の誰かが来たらどうしたのだろうか。いや、実際に誰か来ていたのかもしれないし、そもそも被害者が殺されたとき、悲鳴などあげてもおかしくない。死体には刃物で刺したあとが幾つかあって、近くには大ぶりなナイフが転がっていた。

 今時の若手には参るね。ヤマさんは今更ながら部屋に鍵をかけ、仕事に取りかかる。誰かの雑な仕事を丁寧に片付けるのがヤマさんの役割だった。みんなもう少し丁寧に殺すようにしてくれたらと思うこともあったが、そうすると自分の仕事はなくなる。難しいところであった。

 

 時間をかけて丁寧に清掃を終わらせると、外は少しづつ暗くなってきている。そうしてようやく、奥の洗面所に明かりが点いていることに気付く。まさか。ヤマさんはトイレのドアに近づく。隙間を見ると、トイレのドアには鍵がかかっていることが分かる。

 一息ついて、ヤマさんはドアをノックする。

「すみません」ヤマさんは言う。

 返事はない

「なにが起きたかは分かってると思います」

 ヤマさんはドアが開かないか身構えつつ、中から音が聞こえないか耳を立てる。

「こちらの仕事は終わりました。私はもうすぐ出て行きます。ご迷惑をおかけして申し訳なかったです」

 返事はない。

 ヤマさんは静かに深呼吸をすると、工具でドアをこじ開ける。便座に座った男性が、驚いた様子でヤマさんを見ている。その表情が変わらないうちに、ヤマさんは大ぶりなナイフを男性の脇腹に刺す。

 誰かが雑な仕事をしたら清掃課が片付けてくれる。清掃課が仕事をした時は誰が片付けてくれるのだろう? ヤマさんはそう自問するが、もちろん答えは他にない。自分でやるしかないのだ。

 明日は有給をとろう、そうしてミステリーを思う存分読もう、とヤマさんは思った。

 

2022/04/23 - 2022/06/23

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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