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僕のウォッチ

 取引先との接待カラオケがようやく終わろうかという午前ゼロ時、ウォンウォンというサイレン音が鳴り響く。僕のウォッチだ。調子良く80年代のヒット曲を歌っていた先方の上役が真顔に戻る。「どうしたかね」と隣の課長が僕を睨んだ。ウォッチは有機ELディスプレイを派手に光らせている。ディスプレイの表示はこう。「就寝時間になりました」。

 

「なんでもありません」そう言って僕は部屋を出る。ウォッチはまだウォンウォンと言っている。

 

「今から帰るよ」僕はトイレにかけこみ、小声でウォッチに言う。「まっすぐ帰って、ベッドに直行する。一時には眠れる」しかしウォンウォンとサイレンは鳴り止まない。「じゃあ風呂に入るよ。半身浴を半時間する。一時半には眠れる」サイレン音は弱まる。「明日は土曜日だし、なにもない。そのままゆっくり寝てればいいじゃないか」サイレン音がウォンウォンまた強くなる。「分かった、ちゃんと風呂、それから寝る、いつも通り七時起き、朝はグラノーラだ、豆乳を飲む」サイレン音はようやく止まる。

 

「あの音はなんだね、興醒めだったな」先方の上役がマイクを握ったまま言う不満の声が部屋の外まで聞こえる。

 

 翌朝七時、ウォッチはウォンウォンとサイレン音を鳴らす。眠い。コーヒーを煎れようとすると、またサイレン音が鳴る。そしてカフェイン中毒についてのまとめ記事を有機ELディスプレイに表示する。まとめ記事は竜頭を回して、文末までスクロールしないと消えない。ようやく記事が消えたと思ったら、今度は「リマインド:豆乳」の文字だ。もちろん冷蔵庫には見当たらないので近くのコンビニまで歩く。なぜ豆乳を飲むなんて言ってしまったのだろう。

 

 グラノーラを食べ終えると、一息つく間もなく、僕のウォッチは足のアイコンに表示が切り替わる。すでにストップウォッチがカウントをはじめている。「今日も元気に! 走りましょう!」ウォッチは唐突に明るい男性の声で言う。僕の知らない洋楽のポップソングが流れはじめる。古いスニーカーを下駄箱から出そうとすると、ウォッチは最新のランニングシューズを表示する。「ワンタッチで買いますか?」いいえ。

 

 街を走りはじめると、ランニングの軌跡がウォッチに表示される。その位置情報はビルやコンビニに掲げられた看板や広告と自動的にマッチングして、僕に次々と商品をリコメンドしてくれる。「コンビニで一押しの限定エナジードリンクを買いますか?」いいえ。「前方のファストファッション店にディスプレイされている服に興味がありますか?」いいえ。「マンションの購入、あるいは投資に興味はありますか?」いいえ。「ではもっと走りましょう!」ウォッチは言う。ファーストフード店が近付く。「新しいヘルシーなハンバーガーに興味はありますか?」いいえ。

 

 お昼時、僕はウォッチが薦めたカフェでやけに高いサンドイッチを食べる。「25分休みました! もっと、走りましょう!」ウォッチが突然大きな声を上げる。

 

 こんなはずではなかった。そもそもこのウォッチを買ったのは、ここから所有者限定のコミュニティにアクセスできて、そこで新しい出会いが生まれると喧伝されていたからだ。「近くのウォッチユーザを探す」もう半年以上、何度も何度もそう言ってきたのに、ウォッチはいつも「めぼしい人は見当たりませんでした」と返すのだ。同じウォッチを身につけている美女が目の前を歩いているときでさえ。

 

 あの女性はどうなのさ、僕はウォッチにぼやく。「あなたはあの女性のめぼしい人ではありません」ウォッチは簡潔で的確な返答を表示する。

 

 夜、大学時代の友人たちが飲み会をやるというので、居酒屋に行く。アルコールと揚げものの山を前に、僕のウォッチは警告を発し続けている。「それ、買ったんだ」久々に会った、名前もおぼろげにしか覚えていない女性が僕のウォッチを見てそう言う。「私も買ったんだけど、あれこれうるさいからつけるのをやめちゃった」彼女はそう言う。そうなんだ、と僕は答える。「彼女と話すのをやめましょう」と、僕のウォッチが小さく点滅しながら訴える。

 

「ウォッチ、またなにか言ってる?」彼女はいう。いや、別に、と僕。「彼女とのコミュニケーションはおすすめしません」とウォッチは表示する。なぜ、と僕はウォッチの表面にクエスチョンマークを描く。「彼女はバツイチです」ウォッチは示す。その様子を彼女は覗きこんでいる。「そうそう、バツイチですよ、言わなかったっけ」彼女は言う。でもそれは彼女のせいとは限らないだろ、と僕は連携するスマートフォンから入力する。「彼女には多額の借金があります」ウォッチは画面で必死に訴える。「私が不倫して、夫と不倫相手の奥さんに慰謝料を払ったからね」彼女は言って笑う。「それに彼女は」ウォッチはまた画面を更新しようとする。

 

 そこで僕のウォッチは機能を停止する。画面は真っ暗になり、画面に触れても竜頭を回しても反応はなくなる。なんの音も発せず、スマートフォンからの通信は受け付けなくなる。「バッテリーが切れたのよ。ずっと触れてたら二時間ともたないから」彼女は言う。僕は頷く。

 

 飲み会はウォッチも渋々納得するような、健全な時間に終わる。別れ際、「また飲みに行く?」と彼女は言う。そうだね、と僕は答える。そして家までの帰り道を静かに歩く。そして思う。充電が終わったら、ウォッチは彼女のどんな秘密を教えてくれるのだろうと。僕のウォッチ、次期モデルではもうすこしバッテリーが保てばいいんだけど。

 

2014/10/06 - 2015/07/27

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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