その頃、私が働いていた会社は六本木交差点からすぐの雑居ビルにあって、四階から七階までを借り切っていた。もっとも、六階以外には行ったことがない。私のキュービクルは六階にあったからだ。六階でさえ、自分のキュービクル以外には入ったことがない。それぞれのキュービクルは本人しか入れないよう、内側にも外側にもカード式のロックがかかっていた。
キュービクルは二畳ばかりの狭さで、壁は天井まで届く青いマット地。一畳ばかりの机にコンピュータと電話だけがあって、仕事も事務作業もみんなそこで済ませることが出来た。誰かと一緒に働くということはなかった。誰かがやって来るということも、誰かのところに行くこともなかった。分からないことや手伝って欲しいことがあった時は、イントラネットに書いておけばいい。すると誰かが答えを教えてくれたり、仕事を済ませたりしてくれる。そういうわけで、誰一人として同僚とは面識がない。ときどきビルの入口で人とすれ違ったり、エレベータで人と一緒になることはあった。思えばあれが同僚だったのだろう。会うのはいつも違う人だったが、皆同じように沈んだ目をしていた。そして私以外は、誰もが大きな鞄を持っていた。
思えば、採用からして徹底されていた。転職活動をしていた私は、たまたま目にした割のいい採用情報に惹かれ、そこにあったメールアドレスへ自分のレジュメを送った。すると程なく、勤務場所を書いたメールが返信されてきた。面接どころか、電話さえなし。私は既に前職を退職していたので、訝しみつつそこで働くことにした。嫌になったら辞めればいいと思って。
勤務初日、人事部に会うこともなく、郵送されてきたカードキーを頼りに自分のキュービクルに辿り着いた。そしてその瞬間から、私は全ての勤務時間をここで過ごした。家の住所や扶養家族をイントラネットに登録して、交通費を申請したところから、コンピュータだけが仕事の付き合い相手だった。一週間の研修は全てイントラネットで行われた。有給休暇の申請もイントラネットだ。祖父が亡くなった時、トップページから「忌引」と検索したら、ちゃんと答えが出て来た。いわく「ご親族が亡くなった時は、プルダウンメニューから親等数を選んでOKをクリックして下さい」。給与交渉もイントラネット経由だった。画面に表示される額面に対して「レイズ」か「コール」を選ぶのだ。
二年働いて、私はドロップすることにした。ある日、いつも夜食を買う近くのコンビニエンスストアに寄った。そしていつもと同じ弁当を買った。しかし、いつものように温めるかどうか尋ねられず、そのまま袋に詰められた。私は憤って「温めて下さい」と言おうとした。しかし、口を開いても言葉が出て来なかった。職場では会話のない毎日で、コンビニエンスストアでは「温めますか?」に頷くだけで、家では一人。発話能力が衰えてしまったのだ。その瞬間、私は退職を決めた。
翌日、仕事を終えた私はイントラネットを見た。FAQのページにちゃんと「退職したくなったら」という項目があった。クリックするとすぐ「退職しようとしています。続行しますか?」というダイアログが表示された。選択肢は「はい」「いいえ」。あまりに急だったので、私は思わず「いいえ」を選ぶ。画面は何事もなかったようにFAQのページに戻った。私は後ろを振り返ったが、もちろんそこにはキュービクルがあるだけだった。深呼吸をして、もう一度「退職したくなったら」をクリックする。「退職しようとしています。続行しますか?」「はい」
画面は真っ白になった。見守っていると、いつもエラー音しか発さないスピーカから、ラベルのボレロが軽快に流れて来た。ディスプレイの下から文字が現れ、上へスクロールし始めた。こういう文章だった。
「退職届は正式に受理されました。長年の勤務に感謝します」それから、社長の名前、部長の名前、課長の名前がずらずらと表示された。知らない部署の知らない名前ばかりだった。社員は五十人ばかりいた。そのあとさらに取引先企業の名前が続いて、スペシャルサンクスとして聞いたこともない人や企業の名前が延々と続いた。エンドロールとボレロはちょうど同じタイミングで終わった。十五分ほど経っていた。
しかし、まだ終わりではなかった。ディスプレイがいつものイントラネットの様子に戻ると、そこにはこういう文章が表示されていたのだ。
「業務でのご活躍ありがとうございました。今後の採用活動の参考に致しますので、よろしければアンケートにお答え下さい」それから、弊社の業務内容はどうでしたか、1)とてもやりがいがあった、2)やりがいがあった、3)ふつう、4)やりがいがなかった、5)まったくやりがいがなかった、などなど。
私は立ち上がって、キュービクルを出ようとした。私はもう退職したのだ。アンケートに答えてやる義理はなかった。私はカードキーをドアに差し込んで、外に出ようとした。しかしロックは解除されなかった。もう一度差し込んだが、同じだった。カードの拒絶を示す、赤いランプが小さく光っていた。私は電話を手に取った。ここに来て電話を手にとったのは初めてだったが、そこからトーンは聞こえなかった。念のためダイアルボタンを押してみたが、なんの反応もなかった。仕方なくコンピュータに戻って、アンケートに答えた。二十問全てに満点の評価をして「OK」をクリック。画面は切り替わり、こんな文章が表示された。
「お忙しい中、ご回答頂きありがとうございました、お答え頂いたアンケート内容は個人情報保護法に従い、厳密に管理し、目的外の利用は致しません」
そして天井の電気が消えた。コンピュータは自動でログオフを始めた。私は自分のIDでログインを行おうとしたが、返答は「アカウント名かパスワードが違います」だった。
私は叫ぼうとした。お〜い!と。しかし喉から出て来たのは虫の羽音のような弱々しい声だった。私は壁を叩いたが、マット地が優しく衝撃を吸収した。携帯電話は圏外だった。お〜い。私は言った。お〜い、お〜い。
2008/03/06 - 2008/03/08
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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