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陽の出る国のギャングスタ

 池尻大橋に着くころ、誰かの携帯電話が鳴った。カーペンターズが「月曜日と雨の日は憂鬱」と歌った曲だった。今日は月曜日、外は雨。うまい皮肉に私は唇の端だけで笑った。ガラスにニヒルな笑顔が映る。私だって出来るなら放課後に下ネタを聞かされた中学生みたいに腹を抱えて笑いたかったが、残念ながら唇の端以上は動かせなかった。体中を誰かに押し込まれ、顔さえ窓に押し付けられ、今は東京が雨に濡れていく様子を確認することしかできない。

 渋谷に着いた。誰かが私の足をバスドラムと勘違いして力強く踏む。いつものことだ。カーペンターズが日本人だったら「田園都市線と東西線は」と歌ったに違いない。

 

 結論として、サラリーマンになるべきではなかった。五年前、私が就職活動をしていた時期は、今では就職氷河期と呼ばれている。思えばそれは神様からのシグナルだったのだ。汝、就職するべからず。私は逆らい、夜中起きてエントリーシートを送り続けた。私は体の芯まで平凡なのだ。その報いがこの仕打ち、その結果が今の私というわけだ。

 

 半蔵門線が九段下に到着する。

 私の会社は靖国神社のすぐ側。三十人ほどの小さな会社だが、これでも業界では国内最大手だ。殺し屋業界というのはそういうものだ。ここはシチリアではない。東京に殺し屋ばかり何千人もいらない。

 

 私が合コンで殺し屋の名刺を出すと、いつも言われること。「えー、殺し屋って堂々と名乗っていいの?」ハリウッド映画のおかげで、忍者と侍と殺し屋はだいぶ誤解されている。アメリカ人はもちろん、日本人でさえ日本の殺し屋のことを理解していない。第二次世界大戦の頃の日本にちょんまげで刀を持った侍がいなかったように、今日の日本に暗闇で気配を消して生きる二枚目の殺し屋なんていない。暗闇に潜んでいたら、誰も依頼出来ないからだ。実際、タウンページにも載っている。「ころしや」だから「こ」の欄だ。タウンページにはなんでも載っている。

 

 次によく聞かれることは「殺し屋って給料いいんでしょ?」。経験則として、出会って半時間以内に人の給料を尋ねてくる女にはろくな人間がいない。私の前の恋人がそうだった。そして彼女は私の安月給に愛想を尽かして出て行った。彼女の気持ちは分かる。高給取りになれると思っていたわけではなかったが、残業代がまともに出ないとは思わなかった。業績次第でボーナスがないこともままある。しかるべきところに訴えれば勝てるのではないかと思う。命をかけてやる仕事とは思えない。

 ただ、悲しいことに、給料というのは苦労で決まるわけじゃない。決めるのは需要と供給だ。ここ数年、企業に属さないフリーの殺し屋が増えて、相場が一気に下がった。私たちのレートでは、一人殺すのに数百万円かかる。まず依頼人の面談、支払能力と意思を確認して、それから目標を何日も観察、確実に一人になる瞬間に、確実に殺す。後始末もちゃんとやる。だから新聞沙汰になることはまずない。一方でフリーの殺し屋はインターネットを使って、個人的に仕事を受注している。二万円や三万円を口座に振り込みさえすれば、その日のうちに白昼堂々殺すのだ。そしてマスコミが騒ぐ。私たちの仕事が難しくなる。ひどい話だ。

 

 そういうわけで、能力のある社員は、ここ数年でみんないなくなってしまった。何人かはフリーの殺し屋になったそうだ。同期も十人ばかりいたはずだが、いまは三人。四人は辞めて他の仕事に移り、三人は死んだ。残ったのは精神論ばかりで仕事のできない人間と、転職する勇気のない人間。言う間でもなく、両者はほとんど同じだ。私を含めて。

 

 その日は朝から会議だった。仕事の大半は会議だ。依頼人と会って、何度も意思を確認する。確実な方法を上司たちが何度も議論する。私のような下っ端はいつも隅で議事録をとり、会議での一言一句を記録として残す。昔は目標を間違えるなんてことがあっても笑って済まされていたが、今日ではそうもいかない。中小企業でもコンプライアンスが重要なテーマとなっているのだ。私たちは業界で初めてISO9000も取得した。

 会議のあと、依頼人から受け取った依頼状に上司の印を貰い、それから別件対応のため出張の申請書を書き、ノートパソコンと拳銃の社外持ち出し許可証を書いただけで午前が終わってしまった。時には書類をまとめているうちに一日が終わってしまうこともある。

 

 ランチはいつもコンビニの弁当だ。入社後すぐから変わらないルーティン。働き始めてもうすぐ丸四年。自分にスキルがついた気は全くしなかった。他の業界に行った大学の友人たちは、英語や簿記、シスアドの勉強をして、履歴書の資格欄に書けることを着々と増やしている。この業界では、勉強のために人を殺すわけにいかない。せいぜいスコセッシの映画を見るくらい。あとは全てがいわゆるオン・ジョブ・トレーニングなのだ。

 

 午後、出張申請書と社外持ち出し許可証に上司と経理の印が押されたことを確認して、私は拳銃とパソコンをアタッシュケースに入れる。玄関では先輩の竹崎さんが待っている。竹崎さんは二つ年上なのだが、お腹がだいぶ出ていて、四十前に見える。無能だが人はいい。

「今日はどこに行くんだっけ」さっそく先輩はそう言う。

「金沢です」と私。「羽田から小松空港」

「飛行機苦手なんだよなあ」先輩は言った。

 

 機内で私は目標のプロフィールを再確認した。商社で働く、私と同じ歳の男だ。依頼人は妻で、家庭に入れるお金が少なすぎるので、保険金詐欺をやることに決めたらしい。全く、幾ら稼いでも人生はこうなるのだ。

 先輩はライオンの子供みたいにぐっすりと寝ている。

 

 夜、金沢にある小さなホテルの前で、私と先輩は待っていた。東京は雨だが、こちらは雪。「カイロ持ってないか」と先輩。「目標はいつホテルに来るんだ」

「もう商談は終わっているはずです」私は時計を見た。「そのまま飲みに行ってるのかもしれません。カイロは持ってません」

「そうか」先輩は言った。「あ、あの男だな」

 私は先輩の指差す方に目をこらしたが、よく見えない。先輩は無能だが目はいい。既にそちらへ歩き出していたので、私も続く。足下で雪がしゃくしゃくと鳴る。先輩はコートから懐中電灯を取り出し、男に向けた。「うわっ、なんだ」男は言った。

「こいつか?」先輩は言って、こちらを見る。

「なんだと?」男が答える。

「君には聞いていない」先輩は男に向き直り、彼の股間を蹴飛ばした。男はうずくまる。先輩がまたこちらを見る。私は男の顔を覗き込み、頷いた。

「じゃあ、後はできるか」先輩は言った。私はやはり頷き、拳銃を取り出して男の頭に当て引き金を引いた。どん、と鈍い音がして、男は地面に倒れた。先輩は早くも掃除屋に電話をかけていた。なんだってアウトソージングの時代だ。

「じゃあ、俺達も飲むか」先輩は明るく言った。

 

 金沢は物価が安かった。おでん、熱燗、漬物、どれも東京の半値だ。

「先輩」私は熱燗を自分に注ぎながら言った。「生き甲斐ってなんですかね」

 先輩は溜息をついて言った。「俺が知ってると思うか?」

 

2008/03/01 - 2008/03/17

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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