0.チキンピカタはイタリア料理の一つ。恋人の得意料理で、一時はよく作ってくれました。簡単に出来るので忙しい時にはぴったりですし、冷めても美味しいのでお弁当にもうってつけです。
1.まず鶏もも肉を一口大に切ります。それから塩を揉み込んで下味をつけましょう。好みの問題ですが、皮は取り除いたほうがあっさり仕上がります。余った皮はゴマ油で炒めて食べてしまうといいでしょう。
2.鶏もも肉にさっと小麦粉をまぶし、すこし置きます。耳たぶを揉んで飽きるくらい置けば十分です。
3.よく溶いた卵に、鶏肉を両面とも漬け込みましょう。べっとりするくらい漬け込むのが私の好みです。この時、お好みでチーズやハーブをまぶしてもいいでしょう。
4.恋人が最後にチキンピカタを作ってくれたのは一週間前のこと。サークルの追い出しコンパを終えて、日がかわった頃に帰宅すると、彼女が家で待っていました。キッチンにはフライパンがあり、そこには冷めたチキンピカタがありました。
5.「今日は晩御飯作るって言ったよね」彼女は言いました。私は忘れていたことを思い出しました。「晩御飯は?」と彼女は言い、私は正直に「お腹はいっぱい」と言いました。彼女は「なるほど」と頷くと、合鍵とフライパンをゴミ箱に投げ捨て、無言のまま出て行きました。
6.そして今日まで連絡なし。電話をかけても、家に行って呼び鈴を鳴らしても、反応は全くないというわけです。
7.そのゴミ箱に捨てられたこともあるフライパンを取り出し、バターをゆっくり溶かします。もちろんフライパンはちゃんと洗っておいて下さい。バターは贅沢なくらい多めで丁度いいです。料理はなんでも過剰なほうが美味しい。人生と同じです。
8.焦げ目がつくよう、強火で焼きます。両面とも綺麗に焼けたら、火を弱めて蓋をし、しばらく蒸し焼きにしましょう。この時、キャベツやもやしなどの野菜も一緒に入れて蒸し焼きにすると、付け合わせに使えます。
9.内側まで火が通ったら塩胡椒で味付けをして完成です。焼き過ぎると固くなるので注意しましょう。
10.実際、物思いをしていたせいか、私の作ったチキンピカタはすこし固くて、また塩味も効きすぎていました。それでも十分美味しくできたと思います。もっとも恋人なら、もっとうまくやったでしょう。
11.夜の八時でした。私はふと思いついて、残ったチキンピカタを弁当箱に詰めると、持って外へ出ました。自転車をこぐと、夜風が心地良く感じられました。彼女の家は明かりが煌々と輝いてみました。呼び鈴を押しましたが、やはり反応はありません。
12.私はドアを軽くノックしました。ドアの向こうに彼女の気配を感じます。「チキンピカタを作ったんだ」と私は言いました。「それで?」彼女の声が聞こえました。「食べてみてくれないか」私は言いました。「私、あなたにほとほと呆れてるんだけど」彼女は言いました。「そうだろうね」私は答えました。「でも、君が教えてくれたんだ。チキンピカタは冷めても美味しい、って」
13.夕食にする場合は、ポタージュスープなどあると良いでしょう。
2008/03/25 - 2008/04/01
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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