高校卒業から十年がたって、はじめて同窓会がひらかれた。私はそれから留学して当時の友人たちとのつきあいがきっぱり途絶えてしまっていたから、再会はたのしみでもあり、おそろしくもあった。はたして、ほとんどの友人たちは当時とまったく変わっていなかった。みな太ったり、頭髪が薄くなったり、説教くさくなったりしていたが、誰も一目見るだけで誰だかわかった。ただ一人、私の学生時代の恋人だけが例外だった。一目見て彼だとわかりはしたのだが、その事実をうまく飲み込めなかった。彼はらばになっていた。らばというのは、もちろんろばとうまの子だ。四本足で歩く。
彼とおなじ大学に進学したという私の知らない男が、彼をやさしくなでて言った。「大学時代の彼は、高校時代となにも変わらなかった。いつもバカばかりしていた」らばは大人しくなでられるがままにしていた。「きっと就職してから、人がかわってしまったんだ」
私はむしろ種族がかわってしまったのだと思ったが、恋人を傷つけたくなかったので、そうは言わなかった。「元気にしてた?」私は型通りらばに問うたが、らばは答えなかった。高校時代、恋人は私よりもむしろ野球に夢中で、休みの日でも暇さえあれば学校に行って体を動かしていた。胸筋が膨らんでセクシーだった。なにを話すのも大声で、笑い声も下品なくらい大きかった。つまらない駄洒落が好きで、体だけ成長した小学生みたいだといつも思っていた。私は彼のそういうところが好きだった。「なにか喋ってよ」私は言ったが、らばはじっと黙っていた。
十時になって同窓会はつつがなく終わり、何人かはバーへ、何人かはカラオケへ向かって行った。何人かは帰り、気付くと私と彼だけが取り残されていた。誰が彼を連れて来たのか。彼はどこで暮らしているのか。知る術もない。仕方なく、私は彼を家に連れて帰ることにした。彼は静かに私の後ろを歩く。
鉄道も慣れたものだった。酔っぱらいが彼にちょっかいを出そうとしたが、彼はかろやかに避けた。電車に乗っているあいだ、私はずっと彼をなでつづけた。一人暮らしにしてよかった。実家に彼をつれて帰ったら、まずもって高校時代に恋人がいたというところから話さなければいけないし、しかも就職してかららばになったという説明も必要だ。「こんな遅くにらばと帰ってくるなんて!」と怒る父親の顔が目にうかぶ。
私の部屋はマンションの三階だったが、らばはせまい階段を器用に登った。足をふいてやるまでじっと玄関で待ち、部屋にあがってからもすみでじっとしていた。「なにがあったか分からないけれど」私は言った。「元気でよかったね」らばは首を動かし、頷いたように見えた。
煙草のにおいが髪に染みついていたので、私はシャワーを浴びた。ふだんならそのまま全裸で寝るところだけれども、今日はパジャマを着た。彼は相変わらずじっとしていた。これまで牧場で見た、どんならばよりも静かだった。
ベッドに入ると、彼がそっと寄って来た。まっすぐに彼と目が合った。彼におやすみのキスをしようとした。そのとき不意に、キス一つで彼が元の姿に戻るのではないかと気付いた。彼とは目が合ったままだった。別れた日、彼はこんな風にこちらを見なかった。「大学はもう別々になったし」と彼は言ったのだった。
ついにベッドの横にまでやってきた彼は、キスをねだるように体をもたげてきた。彼の唇がすぐそこにあった。唇は半開きで、中は唾液でてかてかと濡れていた。私は反対を向いて、強く目を閉じた。彼がらばでも悪くないと私は思った。
2008/04/04 - 2008/04/09
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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