残業を終えた帰り道、酔っぱらい客でいっぱいのメトロ5号線を下りて、改札を通ろうとしたら、エラー音が鳴って止められた。
駅員ロボットがキャタピラを鳴らしてかけつけ、私の顔を一瞥して言う。
「GGカードを見せてください」
私はカードを差し出す。ロボットはさっとスキャンをして言う。
「このカードでは通れません。正しい自宅の最寄り駅を選んでください」
「えぇ……」私は答える。「履歴を見てよ。朝もこの駅を使ったし、上京してから、もう何年もこの駅が最寄り駅だから」
「このカードでは通れません」ロボットは辛抱強く言う。「履歴は確認しました。あなたは確かに今朝8時28分にこの駅を利用していますし、11年と32日前から継続的に利用していることも事実ですが、いまのあなたにはこの駅を利用できる権利がありません」
去年末から、駅の利用が許可制になった。都市の犯罪率が上昇した結果、高級住宅街に住む人達がパニックを起こして、それ以外の地区からの人を締め出すようになった。その管理に役立っているのが私達がみんな持っているGGカードで、おかげでカードに登録された家や職場の最寄り以外の駅は、週末の繁華街や、事前に申請された旅行などの例外を除いて、自由に利用できなくなった。
「頼むから住所を確認して。そうしたらここが最寄り駅だと分かるから」
そう主張していると、どこからか慌てて人間の駅員がやって来た。
「ご迷惑をおかけしてすみません、こちらに裏口があるので、今日はこちらから出てください」
ロボットはなにか主張しようとしたが、駅員によってミュートにされた。
「人間の駅員がいるとは思わなかった」裏口を通りながら、私は言った。
「ロボットのせいで一度解雇されたんです。でもGGカードが最近トラブル続きで、アルバイトとしてまた採用されました。先週くらいから政府でシステムのアップデートがあって、そのときGGカードの住所が偶然、他の誰かと紐づく不具合が起きているとか」
そういえば、そんな話をニュースで聞いた気がする。
「明日はどうしたらいいんだ。駅に入れるんだろうか」私が尋ねると、駅員は声を潜めて言う。
「まあ、改札を乗り越えてくれたら大丈夫ですよ。ロボットたちが監視してキセルを本部に報告してますが、本部の担当もみんなクビになっちゃったので、実際のところ取り締りをしようにもできないんです。ただ、GGカードがおかしいなら、いずれにせよ役所に行ったほうがいいでしょうけどね」
ようやく駅を出て、いつものコンビニで夕飯を買うことにした。ハンバーグ弁当とノンアルコールビールをセルフレジに通し、GGポイントで払おうとすると、「この人は犯罪者です!」とセルフレジが警告音を鳴らした。
「またかよ」私は呟く。
「指名手配中の凶悪犯とIDが一致しました! 周囲の方はいますぐこの人を確保してください!」セルフレジからは警告音が流れ続ける。店内の客が何事かとこちらを見たり、スマホで私を撮影したりしているが、それ以上のことはなにも起きない。
「ああ、どうもすみません」奥から店員が出てきたかと思うと、セルフレジの電源を引っこ抜いた。「最近このエラーばかりで本当に困りますよ。本当に凶悪犯じゃないですよね? レジの言うことが偶然じゃないなら、この街は凶悪犯だらけになっちゃうから。GG以外で支払えます? 現金は?」
私は肩をすくめる。「現金なんて物騒なもの持ってるはずがないだろ」
店員は溜息をつく。「じゃあ明日でいいのでまた来て支払ってくださいね。このあたりの方ですよね」
私は無言で頷いた。毎日このコンビニを利用しているが、人間の店員と話をしたのは初めてだった。
ようやくマンションに到着し、GGカードでオートロックを開錠しようとしたが、もちろん開かない。今回はエラーもなにもなく、ただただ反応しないのだ。私はカードの裏面にある問い合わせアドレスにアクセスする。
「GGポータルへようこそ! お得なGGポイントが溜まるアンケートに参加しませんか?」GGポータルからは合成音が流れてくる。
「いらない」私は答える。「GGカードが使えない。どうすればいい」
「GGカードにご不満ですか? そんなあなたには一歩先を行くGGゴールドカード。訪問できる地区も大幅に増えます。お得なポイントアップキャンペーン実施中!」
「カードが使えないんだ。家にも入れない」
「周囲のホテルを探しますか? いまならGGポイント増量チャンス!」
「人間はいるか? 誰か対応してくれる人間を呼び出してもらえないか」
「GGポータルは最新のAIテクノロジーを利用しています。人間を利用した古いバージョンに切り替えますか? 人間のリソースには制限があるため、お問い合わせの対応にはお時間をいただく場合があります」
「頼むよ」
人間の声が聞こえてきたのは20分後だった。
「はい、どうかされましたか」AIとは異なる、ぶっきらぼうな男の声。
「家に入れない。どうもカードの住所が偶然、書き変わってしまったらしい」
「はあ、そうですか」男は言う。「残念ですがこちらはGGポータルの担当窓口なので、住所関係はお近くの地区支所に問い合わせていただかないといけません」
「家に入れないんだ。問い合わせ先が違うなら繋いでくれないか」
「支所の窓口は朝9時からです」
「じゃあ今晩どうしろって言うんだ。住所を書き換えられないのか? 自分の元通りの住所にして欲しいだけなんだけど」
「すみませんが私は人間で、なんの権限もないので……」
そう言われると、私は黙ってしまった。
「あの……、一つ案はありまして」男は言う。
「なんだ」
「こちらで、あなたの登録されている住所を読み上げることはできます。こちらが本当のご自宅ではないことは重々理解していますが、今晩はとりあえず、その住所で過ごしていただくというのはどうでしょうか? お手持ちのカードでそのままアクセスできるはずです」
私は溜息をつく。「知らない家に勝手に侵入しろってことか?」
「平たく言えばそうですが、でも考えようによっては、登録上は自宅ですから、正しい自宅に帰るとも言えるわけで」
他に選択肢はなかった。偶然にも、私の家の正しい住所は東京1区だという。高級住宅街だ。いつもの5号線と比べると、1区へ向かうメトロ1号線は地上から改札までが近い。電車は明るく清潔で、酔っぱらい客はおらず、心無しか座席の座りごこちさえ良いように感じる。
目的地は、駅を下りてすぐのタワーマンションだった。ロビーでGGカードを通すと、大型のエレベーターが待ち構えていたかのように静かに開く。ドアが次に開いたとき、そこは巨大なリビングルームで、東京湾を一望できるペントハウスなのだと気付いた。
「お帰りなさいませ。遅かったですね。お食事は5分後に届きます」天井からAIの声が聞こえる。
「私の行動を監視していたのか?」
「はい、もちろんです。お帰りの時間にあわせて準備をするのが私の仕事ですから」
「私が本当の住人ではないと気付いているか?」
「ふだんの行動パターンとの乖離が大きかったため、仮説としては考えていました」
「私を通報するか?」
「あなたが新しい住人なら、私はあなたに奉仕するだけです」
「なるほど」私は言った。なるほど。
予告通り、5分後にイタリアンのセットが自宅に届いた。リゾット、サラダ、鶏肉のソテー、白ワイン。ふとGGアプリを確認すると、4億ポイント以上の残高があった。桁が多すぎて正しく数えられたか自信がなかったが、何度数えてもそれは4億ポイントだった。どうも大変な資産家と入れ替わってしまったらしい。
とりあえず今晩はこの家で過ごすしかない。
「風呂は湧いているか」私が尋ねると、AIは「もちろんです」と答えた。
脱衣所に入ると、自動で電気がついて、隅に男が小さくうずくまっていたのに気付いた。私はもちろん驚いた。「わっ、誰だ」
「すみません、本当にすみません」男は言った。成人したてのような、スーツを着た若い男だった。「勝手にすみません、数日前からGGナンバーの不具合で、偶然ここの住人になってしまったんです。他に行くところがなくて、食事と、ベッドと、お風呂だけ利用させてもらいました。あと、就職活動のためにこのスーツと革靴と、鞄と腕時計もGGポイントで買ってしまいました。必ずお返しします。家もすぐに出て行きます。だから許してください」
やれやれ、と私は思った。「やれやれ」と私は言った。
「本当にすみません」私を本当の住人だと思っているらしい男は平謝りをしている。
「気にしなくていいよ。風呂に入るなら先に入りな」とだけ私は言った。
ペントハウスは十分に大きく、私はキングサイズのベッドで眠り、男は同じくらいゆったりとしたソファで眠った。翌朝、AIはなにも言わずとも二人分の朝食を用意した。男は朝食をとるとすぐに家を出ていったが、私は出社する気になれなかった。
「この家の本当の住人は犯罪者らしいが、分かるか?」私はAIに尋ねた。
「おそらく大麻関係でしょう。何度かこの家でも利用していましたから」AIは事も無げに答えた。
「住人が大麻を利用したらAIは通報するのか?」
「TPOに応じて」
「なるほど」
夜になっても就活生の男は帰ってこなかった。別の来客があったのは、さらにその翌朝だった。朝、ベッドでうとうとしていると、誰かが家に突然やってきたのだ。中年の男で、上下ともジャージを着ている。慌てて起き上がると、男と目があった。
「ああ。君か」中年の男は言った。「そのまま寝ていてくれれば大丈夫だよ。朝ごはんも用意するから、食べたら帰宅してくれ」
「住人か」
「そうだ」
「大麻の所持で捕まっていたのか」
中年男はにやりと笑った。「もう分かってると思うが、GGナンバーを一時的に書き換えて逃れようとしたのだが、間に合わなかった。まあ初犯だから不起訴だったよ。君のナンバーも元通りになっている」
「そんなことができるのか」
「金持ちは色々なことができる」中年男は言った。「朝食はなにがいい?」
私は丁重に断り、着替えだけを済ませて家を出ることにした。会社を無断で休んだ言い訳を考えなければいけない。
「一つ興味本位で聞きたいのだけど」私は帰り際に言った。「どういう仕事をしたらこんな立派な家に住めるんだ」
中年男はまた笑った。「さあ。叔父の遺産を相続しただけだから」
「偶然か」と私は言った。
2023/05/23 - 2023/05/29
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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