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三途川

小野田が三途川へ転職すると聞いた時は驚いた。同期の中で誰よりも優秀で、誰よりも仕事熱心で、誰よりも出世しそうだったのが小野田だったからだ。

 

「新しいチャレンジをしてみたくなったんだ」送別会の席、彼は同期たちの前でそう言った。

 

僕達の職場は、最高の環境というほどではないけれど、概ね悪くもないというのが、同期たちと飲みながら話してはいつも浮かび上がる結論だった。むかつく上司はいる。雑務ばかりでやりたい仕事はなかなかできない。会社の知名度が低くて親戚はなんの会社か分かってない。でも、それなりに楽しく過ごせるくらいの給料はもらえるし、休みにはちゃんと休める。特別な野心でもなければ、そう、概ね悪くない会社なのだ。

 

誰が一番最初に辞めるのだろう、とは同期で集まるといつも議論になった。たまたまムカつくことがあって、その日のうちに転職エージェントに登録したというやつがいれば、会社のメールアドレスに同業他社から転職の誘いがあったというやつもいた。しかし蓋を開けてみれば、同期のエース、小野田が最初に会社を辞めるのだった。

 

「三途川の評判があまり良くないというのは、言われなくても分かってるけど」と小野田は爽やかに笑った。

 

それは控え目な表現だった。三途川は去年くらいから話題を集めているベンチャーで、様々な業界の有名人が次々と入社していた。小野田はまだ若手だから有名人というわけではないだろうけど、それだけ優秀だと評価されているのだろう。

 

一方、三途川自体の評判は、良くないどころかすこぶる悪く、どこからか多額の資金を調達しているけれど、ビジネスモデルはいまだ不透明で、ただ人材を無駄遣いしているという声もあれば、なにかの詐欺に違いないという声もあった。

 

「まあ、やるだけやって見るよ、駄目なら戻ってくるからね」小野田はそう言って笑った。

 

 

次に小野田と出会ったのは、半年後だった。仕事帰りの駅、ホームのベンチに座りこんだ男がいて、よく見るとそれが小野田だった。彼はホームを行き交う人達にぼんやりと視線を投げかけていて、自然と僕とも目が合うことになった。「やあ」と僕は言った。小野田は返事をせずに、ただ頷いていた。

 

ホームに電車がやって来て、そういえば小野田は僕の隣駅に住んでいるのだと思い出した。ベンチに座り続ける小野田に、僕は「乗る?」と聞いた。小野田は「ああ」と言って立ち上がり、一緒に電車に乗った。

 

車内はいつもどおりの帰宅ラッシュで、僕達はしばらく黙って電車に揺られていた。

 

ようやく混雑が少しマシになって、僕の家の最寄り駅が近付いたところで、小野田は僕の顔を見て言った。「仕事どう? みんな元気してる?」

 

「まあ、あんまり変わらないよ」と僕は言った。正直な気持ちだった。「そっちは?」

 

「だいたい、予想通りだったよ」小野田は言った。「先月から賽の河原の責任者をやってる。上司が辞めちゃったからね」

 

そして電車は駅に着いた。「またね」と僕が言うと、小野田は無言で軽く手を挙げた。以来、小野田のことは僕も他の同期も二度と見かけていないし、三途川はその翌年に倒産してしまったが、彼くらい優秀なら今もどこかで立派に働いているのではないか、と思う。

 

2020/01/21 - 2020/03/16

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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