月曜の朝、いつも通り八時半に家を出る。「行ってくるね」と妻に伝えて車に乗り込むと、さっそく窓を遮蔽モードに切り替えて、先週買ったシューティングゲームの続きをはじめた。車内は真っ暗になり、私は天使となって、前後左右、天井にまで現れる悪魔を雷で打ち落としてくのだ。
コントローラを握り、叫びにならない叫びを上げながらシューティングゲームに没頭するあいだ、車は静かに職場へと向かう。数年前に自動運転が実現してから、職場までの通勤時間は貴重な自分だけの娯楽時間になった。
こんなことならもっと職場まで遠い家を買うんだった、というジョークが世間では流行していた。まったくの同感。すこしでも職場に近いほうがいいと、無理をしたローンで家を買ったのは十年近く前のこと。駅近で、しかも混雑の少ない路線だったが、今や鉄道に乗ることなどなく、毎日この自動運転に頼りきりだ。市内の鉄道が廃止されるという話もあるが、誰も気にしないだろう。
私は次々と悪魔を倒しながらステージを進めていく。このぶんではハイスコアも目指せそうだったが、ずいぶん長くプレイしている気がした。「車よ、時間は?」「九時五分です」いつもなら職場に着いて、しぶしぶ車から出ているころである。
ゲームを止めて遮蔽モードを解除すると、車はちょうど職場前の交差点に差し掛かったところだった。周囲は他の車でびっしり埋めつくされている。車間距離を取れなどと言われたのは昔の話。現代の車は互いに通信しながら、ギリギリまで車体を寄せあって走る。
しかしそれにしても、車が多すぎるし、動きも遅すぎる。「渋滞」という言葉を久々に思い出した。どの車もお互いと協調しながら最適な経路を選べば、渋滞など起きないはずではなかったのか?
まわりを観察していると、一つのことに気付いた。右側のレーンが早く進んでいるのだ。交差点に入っていくのは右側のレーンの車ばかりで、そちらのレーンから車がいなくなって、はじめてこちらのレーンがわずかに動くのだ。
なにが起きているのか分からないが、とりあえず私は右側へ寄るようにハンドルを回す。しかし車は動かない。「車よ、右へ!」そう音声コマンドを命じたが「許可されていない動作です」と返ってきた。
けっきょく、その交差点から抜け出すのにさらに時間がかかり、職場には一時間遅れで着いた。そして帰り道も、翌日も、それから毎日、車はなんでもないところで止まり、他の車へ道を譲り、目的地へ大幅に遅れて辿りつくのだ。
翌週になって、私はサポートセンターに問い合わせた。これは故障でしょうか、と。「ああ……」と相手は哀れむような声で答えた。「今月から自動運転車は自動アップデートされまして、渋滞オークションが導入されたんですよ。ニュースなどでご覧になったかもしれませんが……」
いつもゲームに没頭しているので、ニュースなんてしばらく見ていなかった。説明によれば、こういうことだ。今月から始まった新しい自動運転のルールでは、二台の車が順番を争うときは自動的、かつ瞬間的にオークションが行われ、多くを支払ったほうが優先される。つまりお金持ちはどんな道でも割り込んで誰よりも速く進めるし、貧乏人は常に割を食い、国は新しい税収源を手に入れる。
「オークションの設定はダッシュボードから設定できますので、よろしければご確認いただければと……」言われた通りに画面を呼び出すと、確かに右折や左折のたびに行う入札額や、一日で使える上限予算についてなど、細かな設定がびっしりと並んでいる。
私はささやかに入札を行った。おかげで翌日から渋滞をいくらかスムーズに乗り越えられるようになったが、それも数日だけの話で、平均入札額が上がるとまた渋滞から抜け出せなくなった。政府の提供するオンラインマップを見ると交差点や合流地点ごとに平均入札額や最高入札額の情報がまとまっていて、見ると職場近くの特に混雑する三叉路では、一万円以上の入札が頻繁に起こっていた。渋滞を一度切り抜けるのに一万円かかるのである。
渋滞を避けるために、遠回りをする車が増え始めた。そうすると同じように遠回りする車が集まり、空いているはずの道が反対に混雑して、そのあたりの入札額も上がるのだ。
新車からはハンドルが消えて、古い車もハンドルはただの飾りになった。音声操作を受け付けるのは緊急時だけである。
今や車に乗ると「どちらへ向かいますか?」と聞かれるだけだ。設定できるのは目的地だけで、どのようなルートを通って、どれだけの時間とどれだけのお金がかかるかはAI任せだった。入札にお金を使えば使うほど早く着くし、入札をケチったドライバーは、隣駅まで行くにもお金持ちの車にいつまでも抜かされて、何時間も車の中に閉じ込められるハメになった。
そして本当のお金持ちは、高い税金を払って、自動運転に対応する前の古い自動車に乗っていた。ハンドルを握りしめ、行きたいところへ行きたいように運転できるのは、一握りのお金持ちだけが味わえる自由だった。
私は結局、車での通勤は断念した。運転には、というか渋滞オークションには、あまりにも多額の出費をかかるのだ。それなのに鉄道は予定通り廃止され、庶民には移動もままならなくなってしまった。
最近の私は、古い自転車を引っ張り出してきて通勤に使っている。道路を我が物顔で走る高級車の前にすっと割り込んで、自動運転のAIを混乱させることだけが楽しみだった。
2020/01/28 - 2020/02/12
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
星新一賞入選のロボット子育て小話「キッドイズトイ」はAmazon Kindleにて100円で販売中。
三途川
小野田が三途川へ転職すると聞いた時は驚いた。同期の中で誰よりも優秀で、誰よりも仕事熱心で、誰よりも出世しそうだったのが小野田だったからだ。……
土星から
土星から奇妙な電波が届くようになったとき、もちろん世界中が大騒ぎになった。それは明らかに人為的な信号だと電波を分析した専門家たちは伝えたが、その意味については何ヶ月という時間をかけても解読することはできなかった。……
インターネットおじさんの2019年
叔父と初めて会ったのは90年代の後半で、私がまだ高校生のころだった。叔父は長くアメリカに留学していたが、日本の通信会社に就職が決まったので、帰国してきたのだ。叔父は日本のことがよくわからないからと言って、私達の家のすぐ近くにマンションを借り、しょっちゅう私達の家に出入りするようになった。……
飲ま飲まない
今春も新入社員が二人、うちの部に配属されたので、さっそく歓迎会をやろうということになった。「好き嫌いはあるか?君達の歓迎会なんだから、食べたいもの、飲みたいもの、なんでも言ってくれ」私は笑顔で言う。……