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塞翁の一生

 ある日の午後、台風がやって来て、塞翁の飼っていた馬が強風に煽られるようにパカパカと逃げてしまった。ちょっと目を離していたうちのできごと。「災難でしたな」とお隣さんが言ったが、塞翁は「そうでもないよ」と答えた。果たして、馬は別の馬と一緒に戻ってきた。連れてきた馬は見るからに賢そうな名馬だった。「良かったですな」とお隣さんは言ったが、塞翁は「そうでもないよ」と答えた。果たして、塞翁の息子がその名馬を乗り回していたら、調子に乗って落馬し、足を折ってしまった。「災難でしたな」お隣さんは見舞に来て言った。塞翁は息子を看病しながら「そうでもないよ」と言った。果たして戦争が始まり、各地の若者は徴兵され、ほとんど戦死してしまった。しかし塞翁の息子は骨折中であったため狩り出されることなく、なんとか生き延びることができた。「良かったですな」息子を亡くしたお隣さんは言ったが、塞翁は「そうでもないよ」と答えた。果たして、塞翁の息子は完治こそしたものの、戦争に行かなかったとして周りからつらく当たられ、街から出ることになってしまった。「災難でしたな」お隣さんは言った。塞翁は、お隣さんの一番中傷がひどいことを知っていたので「全くです」と答え、息子と一緒にアメリカへ渡った。

 果たして、息子はアメリカで才能を開花させ、一流の公認会計士となった。「アメリカンドリームだ」と新聞は囃子立てたが、塞翁は何も言わなかった。果たして、息子が働く会計事務所で巨額の粉飾詐欺が発覚し、息子は職を失なうことになった。「成り上がりの末路だ」新聞は囃子立てたが、塞翁は何も言わなかった。果たして、金融監査を強化した政府は更なる粉飾詐欺を発見し、金融不祥事は不況の呼び水となり、信用取引を行う国中の金融関係者は軒並首をくくることとなったが、息子は失職以来、資産をキャッシュにい戻していたので難を逃れた。「俺には才能がある」と息子は言ったが、塞翁は「そんなことはない」と答えた。果たして息子は多額のキャッシュを元手にプロ野球に参入するが、初年度は百敗するなど散々な出来であった。「俺には才能がない」息子はそう言って落ち込んだが、塞翁は「そんなことはない」と慰めた。果たして息子は球団経営を早々に諦め、国に戻って農家としてセカンドライフを始めることにした。塞翁は何も言わなかった。国に戻る飛行機の中で死んでしまったからである。

 葬儀の日は大荒れであった。雷が轟き、飼いはじめたばかりの馬が驚いてパカパカと逃げた。「戻ってくるさ」息子は自分に言い聞かせた。弔問客が次々にやって来たが、家の中は混乱状態だった。eBayで購入した家はウェブサイトに掲載された写真よりもずっとひどく、雨漏りが絶えなかったのだ。息子は訴訟を決意しながら弔問客に対応し、雨漏り用に桶をたくさん買った。家はとても広かったので、桶屋はたいへん儲かった。

 

2007/06/19 - 2007/06/20

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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