「2ちゃんねる」という言葉を聞いてピンと来た人は、私を含めてもう若くないということを自覚しなければならない。
2ちゃんねるは2000年前後に人気を集めた「巨大掲示板」で、今でいうCPOTからEMN機能だけを抜き出したようなものである。老若男女に幅広い人気を集め、当時は日本人の三人に一人が2ちゃんねるの熱心なユーザーであったという統計も残っている。また、その圧倒的なエネルギーで「祭」や「田代砲」といった多くの社会的現象を巻き起こした。近代日本文学に詳しい人は、中野独人の奇妙な処女作「電車男」の舞台としてご存じかもしれない。
2ちゃんねるは二つの問題により、2010年に閉鎖された。すなわち違法行為を容認したことに対する法的制裁、およびまだ一民間企業だったGoogleの「巨大掲示板」業界参入である。(但し「1ちゃんねる」「2ch2」「3ちゃんねる」「それ以外のあれ」といった有志による後継プロジェクトを除く)。その際、2ちゃんねるに関する多くの貴重な資料は廃棄されたが、昨年いくつかの資料が東京湾再開発中に奇跡的に発見された。
その資料を元に、2ちゃんねる閉鎖40年となる今年、さいたま市にオープンしたのが、ここ「2ちゃんねるミュージアム ハッキングから夜のおかずまで」である。
「2ちゃんねるミュージアム」は三階建ての広々した作りで、発掘された資料が確認出来るWPSはもちろん、2ちゃんねるを疑似体験出来る懐しいデスクトップコンピュータ(編集注:分離・設置型で独自ディスプレイを持ったWPS)のコーナー、流石兄弟や荒巻スカルチノフといった往年の人気マスコットを購入出来るミュージアムショップなど、リアルタイムで知る人達にとっては懐しさいっぱい、一日中楽しめるようになっている。テラスに面したカフェレストランも設けられ、ちょっと変わったデートスポットにも最適だ。また、毎週日曜日は2ちゃんねる文化が学べる教室などが開催され、筆者が訪れた日などは「2ちゃんねる語」を学ぶ親子連れで盛況だった。
館長の北淳之介氏(きた・じゅんのすけ=67)に話を聞いた。
−ユニークな作りだが、館のコンセプトは
「2ちゃんねる文化を正しく伝えたいという思いから生まれた。私自身、2ちゃんねるから多くのものを授かったし、同世代の多くの人にとっても同じはずだ。しかし、月日が悪い方に流れ、2ちゃんねるのことを語るのは国際情勢においても司法においても一種のタブーとなっている。今では2ちゃんねるというと、中毒者を意味するニートや、ムネオハウスといった過激なアートのことしか知らない若者も多い。そういう人達に本当の2ちゃんねるを伝えたい」
−本当の2ちゃんねるとは
「ユーモアに溢れ、温かなコミュニティとしての2ちゃんねるだ。例えば再開発で見つかった2ちゃんねるの板(編集注:それぞれのテーマが定められたコミュニティ)に、『卓上ゲーム板』がある。一つのスレッド(編集注:それぞれの議題が定められたサブ・コミュニティ)を埋める(編集注:使い切る)のに何年もかけながら、じっくりと議論に議論を重ねている。現代ではあらゆる発言が無責任で軽薄なものとなっているが、当時は一つ一つの言葉に重みがあった。そしてだからこそ、会話の間に温かみがあった」
−2ちゃんねるにあって、今の時代にないものは
「コミュニケーションだ。まず最近の若者は挨拶が出来なくなってしまった。2ちゃんねるでは『ぬるぽ』『ガッ』、あるいは『氏ねよ』『オマエモナー』といった能や狂言に通じる儀礼的コミュニケーションが活発に行われていた。そしてどの野球チームが一番強いか、これまでで最高のゲームはなにか、どの声優オタク(編集注:狂信的支持者のこと、ビズムニー)が一番ひどいか、といった話題で一晩中語りあった。『宇宙はどれだけ広いか』『ナポリタンスパゲッティはなぜ赤色か』『嘘を見抜くのは難しい』といった哲学的な思索にもあふれ、優れたアイデアについては『お前天才だな』と認め合った。今日ではバーチャルワールドの利用が制限され、結果的にこうしたコミュニケーションが育まれなくなった。2ちゃんねるを見つめ直すことで、若い人達がコミュニケーションの大切さを取り戻して欲しい」
ミュージアムで学芸員として働く、斉藤演夫さん(さいとう・やるお=28)にも話を聞いた。
−普段はどういった研究を行っているのか
「大学では言語学を専攻していたので、ここでも2ちゃんねるにおける言語の発展を調査している」
−何が分かったか
「圧倒的なボキャブラリーだ。例えば『笑った』という言葉一つに対して、『ワロタ』『ワロス』『ワロシュ』『ワロビッシュ』など、百以上の表現が見つかっている。『メガワロス』『ギガワロス』といった程度に応じた言い換えも見事だ。これほどボキャブラリーが豊富な言語は他に類を見ない」
−そうした研究は現代に何かを持たらすか
「もちろん。2ちゃんねる語のもう一つの特徴に、クリシェが多彩だというものがある。『戦争は地獄だぜ』『違うよ、全然違うよ』『ありのまま今起こったことを話すぜ』などの多くのクリシェが本来の文脈から切り離され、多用されている。2ちゃんねるが古典映画、芸能文化、西洋書籍などから貪欲に言葉を得て、成長してきたことが分かる。こうしたクリシェの解析は、2000年前後の文化を明らかにする上で、たいへん貴重な証拠となるだろう」
−ここで働くようになったきっかけは
「一昨年に定年した父が、自分の名前の由来が2ちゃんねるにあると教えてくれた。それから2ちゃんねるの研究を始め、北先生の下に辿り着いた。初めて『やる夫』の機械画を見た時は涙が出て来た。今後も2ちゃんねるの素晴らしさを風化させずに伝えて行きたい」
(了)
2007/04/02 - 2007/04/03
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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山崎武司と日本経済に強い相関
(この文章は他のテキストと異なり内容はノンフィクションですが、他のテキストと同様に私が個人の立場で書いたものであり、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。理数系ジョークのつもりです)……
塞翁の一生
ある日の午後、台風がやって来て、塞翁の飼っていた馬が強風に煽られるようにパカパカと逃げてしまった。ちょっと目を離していたうちのできごと。「災難でしたな」とお隣さんが言ったが、塞翁は「そうでもないよ」と答えた。果たして、馬は別の馬と一緒に戻ってきた。連れてきた馬は見るからに賢そうな名馬だった。「良かったですな」とお隣さんは言ったが、塞翁は「そうでもないよ」と答えた。果たして、塞翁の息子がその名馬を乗り回していたら、調子に乗って落馬し、足を折ってしまった。「災難でしたな」お隣さんは見舞に来て言った。塞翁は息子を看病しながら「そうでもないよ」と言った。果たして戦争が始まり、各地の若者は徴兵され、ほとんど戦死してしまった。しかし塞翁の息子は骨折中であったため狩り出されることなく、なんとか生き延びることができた。「良かったですな」息子を亡くしたお隣さんは言ったが、塞翁は「そうでもないよ」と答えた。果たして、塞翁の息子は完治こそしたものの、戦争に行かなかったとして周りからつらく当たられ、街から出ることになってしまった。「災難でしたな」お隣さんは言った。塞翁は、お隣さんの一番中傷がひどいことを知っていたので「全くです」と答え、息子と一緒にアメリカへ渡った。……
ノー
早朝の地下鉄で、一人の男が熟睡していた。大柄な男だ。スーツがだらしなくよれている。ちょうど私の向かい。他に乗客はほとんどいない。駅に着いた。ドアが開く。乗り換えを知らせるアナウンス。男が慌てて起き、飛び出す。ドアが閉じた。次の駅、私が降りようとすると、男が座っていたところに財布を見つけた。品のいい財布だ。私は拾って、駅員に届ける。駅員は目つきの鋭い初老の男性だった。私は彼に経緯を説明する。突然、「ありがとうございます!」という声。振り返ると、さっきの男がいた。「すぐに気付いて、次の電車で来たんですよ。盗まれたらどうしようかと思いました。いやあ、いい人に拾って貰って良かった」どういたしまして。私は会釈だけして、立ち去ろうとした。「あの、本当にありがとうございます」男は私の背中に言った。「良かったら、その、お名前だけでも。お食事でも奢りますけど」振り返らず、私は答える。「ノー」……
三次元ポケット
学校の裏山で右足をひねった。切り株にひっかかって、派手にこけたのだ。暑い夏休みの一日のこと。私はまだ小学生で、毎日退屈していた。ふだん遊ぶ仲間たちは故郷へ次々に帰った。団地はがらんとしている。いつもそこを満たす、子供たちの歓声がなかった。……