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ニューヨーク・ニューヨーク

 その日、僕は失職した。ランチを食べに来た客のテーブルを、僕は蹴り倒したのだ。イタリアンレストラン「213」のマスター西園栄次郎は言った。「君が間違っているとは思わないよ」その客は、まだ十二時前だというのに、随分酔っていた。

 僕は素麺を茹でていた。畑野明日香から電話があったのはその時だった。「何か食べものある?」と彼女は言った。「素麺」と僕が言った。夏休み前に安かったので大量に買った素麺だった。それは戸棚の下に大量に残っていた。彼女は、エンゲル係数と戦う女だった。エンゲル係数を抑える為なら、恐らくは何でもした。そして、その努力の甲斐があって、彼女は戦いにほぼ勝利していた。普段、彼女の食事は彼女の沢山いる男が提供した。

 素麺を平らげて、彼女は「ごちそうさま」と言った。それから「あなたの店に行く予定だったのよ」と言った。「クビになったよ」と僕は言った。「あら」と彼女は言った。それから「えらいこっちゃ」と言った。彼女は、時々思い出した様に関西弁を放つ癖があった。彼女は五歳まで兵庫県芦屋市で過ごしたので、実際それは思い出して、言っているのかもしれなかったが。

 その客を僕は知っていた。畑野明日香の数多いお得意さまの一人だった。男はぶつぶつと何か呟いていた。それから男は僕を見た。不幸なことに、男も僕のことを知っていた。彼は僕を、やはり畑野明日香のお得意さまと思い込んだらしかった。そして男は笑った。

「先週、一緒に買い物にいっただろ」僕は言った。「あれ、やめておけば良かったよ」明日香は、僕を見た。「どうして?」

 男が何と言ったのか、僕は思い出そうとは思わない。マスターは「社会が間違っているんだよ、単純に言うと」と言った。そして、苦く笑った。客は、明日香にとってはどうでもいい男だったが、社会にとってはそうではないようだった。

 僕は明日香を見た。明日香は僕の視線に気付いて、こちらを見た。「何?」明日香は言った。僕は、大きく息をついて、言った。「お金貸してくれない?」

 

2001/12/31

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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