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卒業についてのエッセイ

ネットマガジンリリー3月号掲載

i)高校を卒業してもうすぐ四年が経ちます。そして、卒業式のことなんてすっかり忘れてしまっている自分がいます。「お世話になった、先生方!」それは小学校のか。四年の歳月がどうというより、そもそも卒業式のことを三日と憶えていたのかさえ疑問ではありますが。

 

ii)大体にして、形式的な行事というのはすぐに忘れられる傾向にあります。少なくとも僕の中では。卒業式で「絶対連絡頂戴」と泣いて別れたとしても、翌日の朝にはゆっくり起きて「はなまるマーケット」でも見て、岡江久美子の一挙手一挙動に一喜一憂するのが人間というものだと思うわけです。ましてや別に泣いて別れる親友がいるわけでも、グルーピーに1つしかない第3ボタンを狙われるでもなく,卒業後の進路も未定のままで卒業式の何を味わえと、堪能しろと言うのでしょうか。もう頭の中は後期試験と、その陰で手招きしている予備校のことでいっぱいいっぱいだというのに。

 

iii)四年が過ぎて、卒業アルバムの価値が少しづつ変わってきました。渡された当時は自分の顔を見つけては「はい、そのまま、動かず、顎を引いて、肩の力を抜いて、もっと笑って」なんて注文に「出来るかそんなもん」と思った記憶とか、美人だった木村さんの写真映りがイマイチだったり、そうでもなかった山下さんが意外といい感じだったりした印象とかばかりが残りましたが、次第次第に記憶と記録が曖昧になり、陳列された顔たちがそれぞれ「凡ミスによる結果」なのか「一世一代の賭けに勝利した結果」なのか、だんだん判別し難くなってくるのです。

 

iV)二十歳過ぎの男と女の会話。

(「部屋に入ったらまず卒業アルバムの法則」)

「この橋本とか、中道とか、他にもこの頃は水谷さん命という男共が結構いてさ。」

「へー。その水谷さんってのはどの人?」

「えぇと、これ」

「意外。あんまり美人じゃないけど」

「うそ?いや、これはちょっと悪く写り過ぎてるよ」

「でも隣の人は綺麗じゃない」

「誰?」

「えぇと…金本さん」

「カネゴンが?」

 

v)うっかり刑務所のお世話になるような事件を起こすと、軟式テニス部の集合写真にモザイクをかけられて「中学時代の容疑者」なんてテロップと共にザ・ワイド経由で全国に放映されることになります。あるいは「三上さん風俗で働いてるらしいよ」という噂を聞いた夜に卒業アルバムを開いてみると、動物委員会の集合写真で兎を抱いた三上さんの姿があったりします。考えてみると、親しくもなかった人間の写真をこんなに沢山得る機会は、卒業アルバムを置いて他に無いのではないでしょうか。

 

vi)人間の記憶というのは適当に出来ている、あるいはその適当さ故に人間は成り立っている、ということを人は淡い思い出と卒業アルバムと、十年経ってから開かれる同窓会から学ぶようです。サッカー部のエースだった木下くんも卒業アルバムで見ればただのヒラメ顔、その上同窓会で会ってみたら頭頂部に相当の不安を抱えていた、というのはよくある話。そして逆もまたしかり。誰かが大物になった時、かつてのクラスメイトが言うのは「昔は俺の方が凄かったんだけどなぁ」。

 

vii)つまり?

 

viii)写真映りがもう少し良ければなぁ、と写真を撮られる度に思います。女の子がプリクラを撮る時の、あのフラッシュ直前に顔をきっちり作り込む技術と言ったら!こちらはフラッシュ直前の直前に気付いて唖然とした顔が印刷されて出来上がりです。卒業アルバムはどれも最悪。せめてもう少し巧い具合に自分の顔を誤魔化す技術を持っていたなら、今日もどこかで誰かが同じ卒業アルバムを眺め、記憶と記録の混同に一役買っていたかもしれないのに。

 

ix)もちろん頭の中は後期試験と、その陰で手招きしている予備校のことでいっぱいいっぱいな、その時の僕にそれを言うのは酷でしょうけども。

 

2002/02/27

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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