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缶コーヒー

 まるで、絵が描けなくなった。目の前には真っ白な紙が、真っ白なままにある。目を閉じれば、そこに一つの絵が浮かび、それを紙に写し取る。僕はいつだってそうして、絵を描いてきた。

 

 絵に関して、人に説明をする事程難しいものはない。少なくとも僕はそう思っている。絵の教師というのは、優れた絵描とは異なる。教師はあくまで言葉を教えるだけで、言葉を幾ら知ったとしても、その延長線上に絵描は存在しない。一度、中学生の時に僕が描いた絵が少し大きな賞を貰った事があった。表彰を受けた次の授業の時、絵の教師は生徒達に「俺よりも遠山に聞いてくれ。あんな賞は俺でも取った事が無い。」と言った。そして、僕の方を向いてチラリと笑ったのを、今でもはっきりと覚えている。

 

 すぐに人がやってきた。当時の僕は特別目立つ訳でも、特別目立たない事が目立つ訳でも無かった。そんな僕が人に囲まれ次々と絵の事を聞かれた。僕は有頂天になっても良かったが、そうならない何かを僕は既に感じていた。好きだった女の子が真剣に絵の事を聞きにきた事があった。「どうしたらそういう絵が描けるの、本当に。」僕は彼女がどういう答え、というよりも講釈、を求めているかは分かったが、僕は出来るだけ誠実に「絵の事なんて全然分からないよ。」というのが精一杯だった。すぐに、誰からも絵の相談をされる事は無くなった。

 

 絵の描けなくなった絵描はどうやって生きるんだろうか。今更ながらに僕は、あの時彼女に何かアドバイスをするべきだったんじゃないか、と思った。「構図を大胆に。」とか、曖昧で無意味なアドバイスを。そして、そんなアドバイスすら誰からも貰えない今の状態が、今の僕の象徴なんではないだろうか。今、絵が描ける頃の僕が隣にいたとしたら、彼は何か僕にアドバイスをくれるだろうか。僕は彼にアドバイスを求めるだろうか。僕は紙だけを見つめて生きてきただけなのだろうか。

 

 僕は諦めて、絵筆を片付けた。そして、何か描いてから、と思っていた缶コーヒーを開け、一気に飲み干した。今までに飲んだ中で一番美味い缶コーヒーだった。

 

1998/07/22

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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