信じられないかもしれないけど、私が大学を出て働きはじめたころは、オフィスっていうのがあった。オフィスってのはつまり……働くために会社のみんなが集まる場所だ。いまみたいに好きな場所で働くのじゃなくて、みんな会社の決めたオフィスで働くのがルールだったんだ。これ本当の話。
みんな一斉にオフィスに集まって、一斉に帰るもんだから、行き帰りの電車なんか混雑でひどいものだった。お昼ごはんだってオフィスの近場で探さなきゃいけない。だいたいオフィスに移動するのが時間の無駄だし、そこからまたお客さんのオフィスに移動することなんかもあって、そうすると二重に無駄だ。それに、昼間は家がからっぽになって、夜中はオフィスがからっぽになるんだから、東京なんて土地も少ないのに、とにかくずいぶんな無駄だった。
いま思えば、相当におかしな話だけど、当時はみんなそれが普通だと思ってたんだよ。
それでなんでオフィスがなくなったかというと、チャット・ジェントリフィケーションが実現したからだ。チャットは、それまでもみんな使ってた。オフィスにわざわざ集まって、隣に座っている人とオンラインでチャットするわけ。笑えるでしょ。下手をすると、オフィスに来て誰とも会話せず、パソコンに向かってチャットして、それでまた家に帰るわけ。でもそういうものだった。
ただ、当時のチャットは、誰かがメッセージを打ち込むと、それがそのまま相手に届いた。今は違うよね。あらゆるチャットの裏側には人工知能があって、すべてのメッセージはジェントリフィケーションされるわけ。
「おい、こんなクソ資料が得意に出せるわけねーだろ、夕方までには詰めとけよ」って送ったら、
「お忙しいところ失礼します。例のクライアント資料の件ですが、一部不備があるようなので明日までに一度見直せますでしょうか。ご検討いただければ幸いです」って届くわけ。
「明日は14時に3名でお伺いします。弊社の新商品のご紹介ができればと思いますので、よろしくお願いします」って送ったら、
「明日は14時に3名でお伺いします。新商品、売上ピンチなので買ってください」って届くわけ。チャットの人工知能はこっちの状況とか全部分かってるわけだから。
「了解しました。明日14時でお待ちしています」って返したら、
「了解しましたが、今季予算はもうありませんので今回はキャンセルしましょう」って届くわけ。そうやって今みたいに、みんな効率的に働けるようになったってこと。
この機能ははじめ、ジョークとして作られたんだよ。でも使っているうちに、みんな手放せなくなった。ジェントリフィケーションに慣れちゃったら、みんな誰かと直接やりとりをするなんて耐えられないと気付いたわけ。それで互いの平和を守るために、みんな次第にオフィスへ来るのをやめて、あらゆる会話はチャットで済ませるようになった。
だって人間は愚かで感情的で、本当に言うべきことをどう言うかを知らないのだから、人工知能がそれをサポートしてくれたほうがいいと。
ま、いいことだよね。
2018/02/23
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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