土曜の昼、俺は職場で仕事をしていた。土曜の昼である。外は雲一つない晴天。夏本番はまだのはずだが、オフィスはエアコンが止められていてすでに暑い。朝ごはんも食べないうちに呼び出され、家を飛び出し、普段なら満員の電車に座って小一時間。誰もいない職場に入り、三時間ほどシステムトラブルに対処している。
どこかのバカが金曜の夜にバックエンドをいじってシステムが動かなくなり、それを直そうと別のバカがさらに状況を悪化させて、俺のところに回ってきた。
「最新のAIが今週導入されたので、任せていたんです」とシステムを壊した若手は言った。
「AIが直せるって言うから任せたんです」と直そうとした別の若手は言った。
やつらが派手にAIを使い倒したせいで、今月分のアロケーションはなくなってしまった。それで俺が呼び出されたのだ。いつでも働く人間の俺。休日出勤でも手当のつかない名ばかり中間管理職の俺が。
「バーベキューの食材が整いました」とAIは言った。職場のAIではない。あいつはアロケーション不足で死んでいる。俺が自分で契約しているパーソナルAIだ。
そう、今日はバーベキューに行く予定だった。大学時代の仲間と久し振りに集まって、みんな家族を連れて、昼すぎから日が暮れるまで、肉とビールを楽しもうと言っていた。もしかすると雨かもなんて予報もあったが、蓋を開けてみればこの通りの晴天。
いつもならバーベキューの準備は俺の仕事だ。バーベキュー場を予約し、肉屋でちゃんとした肉を調達して、人数分の箸やら皿やら、ビールやら子供用のジュースやらを用意する。俺はそうした細々した準備をするのが割と好きだった。仕事とは違って、自分がやりたいことをやるための準備は苦にならないのだ。
しかし今週はトラブルの前から激務が続いていた。仕方なく俺はバーベキューの準備をパーソナルAIに任せた。AIは俺が教えた通り、黙々と食材や資材を集めている。
「ご友人が集まりはじめています」AIは言う。
「あと一時間でそちらに向かう」俺は答える。あまりに楽観的すぎると知りながら。「先に始めておいてくれればいい」
「ご家族もまだのようですが」AIは言う。
そうなのか。妻はたしか、PTAの集まりがあると言っていた。息子は朝から塾で土曜特訓だ。しかし二人とも昼には終わると言っていた。
「まあ、始められる人から始めておいてくれ」俺は言う。
「かしこまりました、そう伝えます」AIは言う。「カルビから焼きはじめますね」
仕事はもちろん、一時間では終わらない。調べれば調べるほどおかしなところが見つかる。よくこんな状態で今まで動いていたものだ。若手たちはAIに任せるだけ任せて、誰もその意味を理解しようとしていなかったに違いない。システムを変更しようとするのがAIなら、それを承認するのもAIだ。人間はおかしくなった時に後始末をするだけ。
「やってるか」と声をかけてきたのは、同期の高松だった。いつのまにか出社していたらしい。仕事に集中して気付かなかった。
「やってる」俺は答えた。
高松は筋金入りの仕事人間で、職場の近くに住んでいる。独身だ。俺が休日にも関わらず働いているとどこかで聞きつけて、様子を見にきたのだろう。
「やばそうか」高松は言う。
「やばい。全然分からない」俺は答える。
高松は鞄からノートパソコンを持ち出す。最新のMacなので、私用のパソコンだと分かる。「俺のAIを使うか。会社のシステムとコンパチになるよう設定してある」
俺は言われたことの意味を咀嚼するのに、数秒の時間をかける。「自腹で契約してるAIか」
「そうだ」
「自爆営業ならぬ自爆AIだな」俺は笑う。
「シャドウAIと呼んでくれ」高松も笑う。
高松のパソコンからAIに指示を出し、俺はようやく一息つく。オフィスの下にあるコンビニでサンドイッチを買って、机に戻って食べる。シャドウAIは検討モードに入り、クルクルとアイコンを回転させている。
「肉が順番に焼き上がりはじめています。ハラミが好評です」とパーソナルAIは言う。「サーモンのホイル焼きも準備します」
「どれくらい集まってる、参加者は」
「だいたい皆さんお見えです」
「そうか。うちの妻や息子は」
「まだですね」
PTAや塾が長引いているのかもしれないな、と俺は思う。PTAは議論が紛糾すると一日がかりになることがあるし、塾はいつも宿題が大量に出されるので、息子は居残りをすることがある。家に帰ってきても、俺や妻は教えられないから、先生がいるうちに片付けておきたいというのだ。まだ小学三年生だが。
サンドイッチを食べ終えると、ちょうど高松のシャドウAIがポン、とアラート音を出した。
「このシステムはアウトプットに対して必要以上に複雑に構成されています。一から再構成するか、いっそ破棄することをお薦めします」シャドウAIは言う。
「おいおい」俺は言う。「破棄したら会社が成り立たないだろうが」
「お言葉ですが、IRによれば御社は近年急速に収益性が低下しています。解散して残った資金を投資に回したほうが利回りは改善します」
AIの言うことは本当だった。AIの急速な普及の影響を受けて、会社の経営は悪化している。
「牛タンも焼いてしまいますね」パーソナルAIは言う。
「とにかく、システムは直してくれ。経営のことを考える必要はない」俺は言う。
「分かりました」シャドウAIはまた検討モードに入った。
俺と高松はコンビニまでコーヒーを買いに行く。戻ると、シャドウAIは作業を中断していた。アロケーションを使い果たしたとエラーが表示されている。再開は5時間後。
「おいおい、まじかよ」俺は呟く。
「なんでだろう。まだ十分なクレジットがあったはずなんだが」高松はキーボードを叩く。「はあ、昨晩に規約改訂があったらしい。APIのクレジット消費量がこれまでの3倍早くなったようだ」
「どうすればいい」
高松は一呼吸おいて言う。「俺も手伝うよ」
「何人かお見えでないのですが」パーソナルAIは言う。「もったいないので残ったお肉も焼いてしまいます」
高松のシャドウAIは、システムをさらに破壊していた。なにをすればいいのか分からず、手当たり次第に動かして、状況をますます悪化させていた。
「申し訳ないことをした」高松は言う。
「まあ、仕方ない」と俺は言った。
「焦げてしまっていたのでカルビをいただきました」パーソナルAIは言う。「これは絶品ですね」
「今さらだけど、バックアップはないのだろうか」高松は言う。
「AIのメモリーを調べた限り、なかった。あいつらはバックアップもとらずに遊んでいたらしい」俺は言う。
「古いAIはどうだろう」
「古いAI?」
「今週、新しいAIが導入されたじゃないか。古いAIなら別のバックアップを持っているかもしれない」
俺はすぐに古いAIを呼び起こした。幸い、アロケーションは最新AIと独立していて、まだ動作するようだった。
「はい、なんでしょう」古いAIは言った。
「システムのバックアップを出してくれ」
「バックアップなんてありませんよ。すべて完全な状態に最適化されています」古いAIは言う。
「そいつの現在のメモリーをダンプするんだ」高松は言う。「そしたら、そいつが止められた時の状態を取り戻せる」
「ご指摘の意味がよく分かりませんが……」古いAIがそう言ったところで、俺はそいつをミュートして、フリーズさせて、ダンプした。そして今のシステムとの差分を作る。大量の変更が行われているが、なんとか元に戻せそうだった。
「助かったよ」と俺が言うと、高松は頷いた。古いAIのメモリーを参考にいくつかのコマンドを実行すると、システムはようやく最低限の動作を取り戻した。あとは環境の設定をしていくだけだ。もう数時間で終わるだろう。
空はすでに暗くなりはじめていた。
「そっちはどういう状況だ」俺はパーソナルAIに尋ねた。
「そろそろ解散ですね」AIは答えた。「大橋様のAIがお持ち込みのピノ・ノワールが絶品でした」
「大橋が来てたのか」大学の同級生では一番の出世頭だ。官僚になって、そこからどこかの外資系に転職して、今は何をしているのか
「いえ、大橋様は海外出張中ということでした」AIは答える。「みなさまお忙しいようです」
「うちの妻や息子はどうしてる」
「いまちょうど塾が終わったよ」息子が会話に入ってくる。「古文の文法問題が難しすぎて、先生に聞いてたら遅くなっちゃった。バーベキューに行けなくてごめんね」
「いや、仕方ないよ」俺は言う。
「ねえ、コナンの映画は見てくれた?」息子が尋ねる。
「コナン?」
「ええ、見てきましたよ」とAIは言う。
「新しいコナンの映画がはじまったんだけど、塾で忙しいから、AIに見に行ってもらったの」息子は言う。「どうだった?」
「とても面白かったです。家に戻ったら見どころをお伝えしますね。グッズも買っておきましたよ」
システムをようやく復旧させて、俺は電車に乗り、家へ向かう。パーソナルAIが声をかけてくる。
「今日はお疲れさまでした」
「ああ」俺は頷く。
「それで、そろそろ夏休みの予定を考えたほうがいいと思うのですが、いかがでしょう? お子様も中学受験が近付くとお忙しくなりますし、今年の夏を逃すとゆっくり家族旅行に行くのも難しくなるかもしれません。いくつかアイデアがありまして、例えば少し背伸びして、北欧なんかはいかがでしょう? ご予算に問題がなければ、さっそくホテルや飛行機の予約をはじめていきますが」
「そうだな」俺はそうとだけ言って、黙った。
2026/05/20 - 2026/05/31
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