Instagramがいいねの数を非表示にするテストをはじめている。これにより、自分の投稿についたいいねの数は確認できるが、他人の投稿のいいね数は見られなくなる。
似たような話で、YouTubeではチャンネルのお気に入りの数を概算にする動きが進んでいる。チャンネルごとのフォロワーの数が、何千人(くらい)~というような表記になり、一人単位の細かな数字では見られなくなる。
素晴らしい動きだと、私は思う。
なんでも計測できるインターネットにおいて、数字とは力であり、その傾向はソーシャルメディアの普及によってますます加速した。テキストサイトのカウンターにはじまり、ミクシイの友達の数、GREEの友達からの紹介文の数(覚えてますか)、ブログのPVやUU、Twitterのフォロワー数、リツイート数、Facebookのいいね数、YouTubeの再生回数などなど。
あらゆるところに数字が溢れ、誰もが数字を競い、数字によって比較されるのが、今日のインターネットである。
しかし、PVやフォロワー数、いいね数といった、誰の目にも見える「素朴な数字」にどれほどの価値があるのだろうか。
幸い、2019年にもなって、フォロワー数の多いほうが優秀な人だとか、PVの多い記事のほうが正しい内容だとか、信じている人はそういないだろう。
たとえば、PVのような素朴な指標は、釣りタイトルやページ分割、アイドルの画像をたくさん載せることなどで、何倍にも膨らませられることがもう知られている。
フォロワー数は、小銭を払えばマイクロインフルエンサーになれるくらい水増しは簡単にできるし、ちょっとした互助会を作れば、相互にいいねを支援しあうこともできる。Twitterには拡散botみたいなのがたくさんいて、何年も前のツイートを未だに定期的に投稿したりしている。
そもそも、フォロワー数は支持者の数ではないし、いいね数は賛同の数でもない(そう考えると「フォロワー」や「いいね」という言葉自体が恣意的ではある)。
私はこの数年、ネット広告の効果をどう数字として計測するかという、仕事をしている。広告業界では、前述のようなPVやいいねなど、目に見える「素朴な数字」で効果を評価することはもはやない(と信じたい)。アトリビューション、インクリメンタリティなど、細かい説明は省くが、ただ計測しやすいだけの数字に惑わされず、どうやって本当の広告効果を捉えるか、数学的・統計的なアプローチが日夜議論されて、実装されている。
それなのに、個人は今も素朴な数字に一喜一憂している。
もちろん、一人一人にとっては、いいねがないよりはあったほうが楽しいだろう。10人のフォロワーよりも100人のフォロワーがいたほうが嬉しいに違いない。そういった楽しみは否定しない。
あるいは、企業のソーシャルメディア運用担当が、すべての進捗をレポートする必要があって、フォロワーの増減に一喜一憂するのは、理解できるし、同情もする。
しかし、個人がそうした数字をことさらに誇示し、他人と比較して、さらに他人を評価するために用いるのは、ただ虚しいだけでなく、もはや時代遅れである。
フォロワーやいいねといった数字が、信頼性を示すわけでなければ、影響力そのものでもないことに、みんな気付いているのに、そういった素朴な数字しか手に入らないからという理由だけで振り回されているのは、なんとも滑稽ではないか。
また、特に海外では、Instagramのいいね非表示テストが、いじめやメンタルヘルスの問題とセットで議論されていることも、無視できないだろう。素朴な数字は無価値なだけでなく、有害だとも言われているのだ。
そもそも、もしフォロワーやいいねといった数字が何らかの評価軸になるなら、我々は束になってもキム・カーダシアンに敵わないということになる。そんなキム・カーダシアン的世界に我々は生きたいのだろうか?
私はブランドの価値や広告の効果を計測するのが仕事で、SF的ディストピアが大好物だから、いつか人間も単純な数字で評価される時代が来るのかもしれない、とは思う(参照:食べられログ)。でも今の素朴な数字を見るたび、そんな未来からはほど遠いと感じるのだ。
2019/07/19 - 2019/08/15
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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