吉本所属の芸能人が、京都市のふるさと納税事業についてツイートしたことに対して、金銭を受け取っておきながら広告と明記していなったことを京都新聞に暴かれ、ステマだと批判を受けている。
典型的なステマ事案なのだが、一方でこれは地獄の釜の蓋を開ける話でもある。この面白さが広告業界外にはあまり伝わっていないように思うので、ここにまとめておく。
今回の事案に対して、おそらく一番素朴な反応は「お金をもらってるのだから広告なんだし、広告なら広告と明記すればいいじゃないか。なにがそんなに難しいのか」というものだろう。
しかし、広告とはなんだろうか。芸能人がお金をもらってツイートしたらそれは広告だろうか(これについては後述)。もし吉本の回答が「今回は芸能人が納税事業についてコンサルティングを行ったもので、受け取った報酬もコンサルティングに対するものである。ツイート自体は芸能人が日々の活動の紹介を自発的に行っただけであり、広告には当たらない」という内容だったら、どうだろうか。
あるいは「納税事業については吉本として芸能人とともにコンサルティングを行った。京都市からの報酬は吉本として受け取っており、吉本からは本業務も含めた日々の芸能活動への対価として芸能人に報酬を支払っている。芸能人にとって、今回の事案のために特別な報酬を受けたという認識はなく、その事案の紹介も広告には当たらない」という回答ならどうだろうか。
屁理屈に聞こえるかもしれないけれど、ブログやソーシャルメディアのおかげで、誰でも何でも簡単に宣伝できる今日、なにをもって「対価を受け取ったから広告」とするのか、線引きはそう簡単ではない。
究極的には、金銭を受け取った関係はすべて明らかにせよ、ということになるだろう。そうするとお金のかわりに、金の小判とか、高級スーツの仕立て券とかが代用されるようになるだろうから、そういう物品のやりとりもすべて明らかにせよ、という話になる。
この話を続けると、雑誌やネットメディアは商品レビューで商品の贈与ないし貸与を受けたことを明記すべきか、あるいは書評ブロガーはその本を献本されたことは書くべきか、ドラマの改編期に役者がやたらとバラエティー番組に出演するやつは金をもらってるのか、そういう有象無象に広がっていく可能性がある。
そういうところまで含めて完全な透明性を持て、というのは一つの究極解である。ステマ撲滅派はみんなこれで納得するだろう。しかし現実的に、そんなことが可能だろうか。
ステマをめぐる議論の難しいところは、これが今にはじまった問題ではないということである。芸能人は昔から、企業から対価を受け、ときにあからさまに、ときにさりげなく、商品やサービスの宣伝を行ってきた。むしろ、それこそが芸能人の大きな仕事だったと言っても良い。
芸能人はお金で動くわけではないというブランドイメージを守る必要があり、商品・サービス側はただお金で宣伝してもらったわけではないというブランドイメージを築く必要がある。だから、お金をもらって、お金をもらっていないかのように宣伝する態度は、芸能人にも企業にも両方にとって有意義だった。
しかし、ソーシャルメディアが台頭し、インフルエンサーが影響力を持ち、インフルエンサーマーケティングがもてはやされるようになってはじめて、そのような態度がステマであると捉えられるようになった。
あなたが腕時計のブランドを運営していたとする。芸能人をテレビCMに起用したら、これは明らかに広告である。その芸能人が、腕時計を着用したままテレビ番組に出演したら(そしてさりげなく紹介したら)、これは現状では広告とは言われない。しかし、同じ芸能人が同じ腕時計をツイッターで紹介したら、これはステマだと批判される。これが今日の現状である。
歴史ある芸能事務所なら、今までテレビや雑誌などで普通にやってきたスポンサービジネスが、ネットではとつぜんステマと言われるようになった感じかもしれない。「お金をもらったら広告」というなら、腕時計を着用してテレビ番組に出ることも広告だろう。これもステマなのだろうか?
徳力基彦氏は今回の事案を解説するなかで「例えばマイケルジョーダンとナイキ、タイガーウッズとロレックスの関係のように、情報発信者とスポンサーの関係が自明の場合は、いちいち関係性の明示は不要というケースはあるでしょう」と書いている。しかし、ジョーダンとナイキ、ウッズとロレックスは、それほど自明だろうか。あるいはいま自明だとして、いつまで自明だろうか? 万が一、ウッズが腕時計を別ブランドに乗り換えたら、ロレックスではできたことが、別ブランドではできなくなるのだろうか?
繰り返しになるが、この問題の究極解は、自明とか知らん、お金をもらったらすべて広告だ、だから完全な透明性を持て、ということである。もしそうした動きが広がれば、ソーシャルメディア上の問題に留まらず、幸か不幸か今は問題視されていない既存のスポンサービジネスも、射程距離に捉えていくだろう。だからこそ、既存のスポンサービジネスを守るためにも、多くの業界人がソーシャルメディア上のステマの線引きに激しく抵抗するのではないか。
一方で「ツイッターでただ紹介することは広告ではない」という意見も、歴史的に見れば筋違いとは言い切れない。少し前まで、それなりの規模で広告を配信しようとしたら、テレビ、新聞、雑誌など、限られた有料のチャネルに頼らざるを得なかった。その時代の視点から言えば、有料のチャネルに頼ることこそが広告であり、それ以外の、自分のクチコミで流行させるとかいう地道な試みは、広告とは言われなかった。
昨今、インフルエンサーがソーシャルメディアによって影響力を持ち、クチコミが、時に広告と同じかそれ以上の価値を持つようになって、はじめて「それってもはや広告では?」と言われるようになったのである。広告とは枠なのか(つまり有料の広告枠を利用せず個人のアカウントを使えば広告ではないのか)、それとも配信なのか(個人のアカウントであっても広告の内容を配信すれば広告なのか)。禅問答に近い。
インフルエンサーにお金を払って、商品を宣伝することはできる。それは広告メニューの一つとして、インフルエンサーが販売しているものである。しかしインフルエンサー当人が宣伝することは、ただのクチコミであって、広告ではない。そんな意見が通ってしまうねじれが、インフルエンサーとステマをめぐる現状の面白いところである。
そういうわけで誰もが納得するようにステマを定義するのは難しく、そもそも広告を定義することさえ困難なのだが、一つだけ明らかなことがあって、それは、とにかくみんな広告とは思われたくないということである。ステマと批判される恐れがあっても、広告と明記するくらいなら、ステマを貫いたほうがマシという態度が、この問題の根底に流れている。
広告というのがそれだけ嫌われていて、インフルエンサーは自分の発言が単純に広告だと見なされることを嫌がっているということだろう。また少なくない数の企業が、できれば広告というラベルをつけずに、インフルエンサーを通じてメッセージを届けられないかと考えている。ステマの台頭を招いたのは、広告というメディアの価値と信頼を誰も維持できなかったからかもしれない。
ブログの時代にもステマは問題視され、ガイドラインなども出たが、ステマをやるのに免許が必要なわけではなく、全体としては有耶無耶なまま今日まで来てしまった。個別の事案が問題になったときも、懐かしのペニオクから最新の血液クレンジングまで、宣伝される商材そのものが(当然ではあるが)問題視され、ステマという宣伝手法についてはその延長でただ語られることが多い。宣伝商材そのものには薬事法、景品表示法(優良誤認)などの規制がある反面、宣伝手法には明確な規制がなかったからかもしれない。
今回のステマ騒動は、ふるさと納税という商材そのものは穏当なものだっただけに、ステマ自体への批判がどれだけ拡大・継続するのか、気になるところである。
あるいはInstagramで顕著なように、プラットフォーム側からステマを規制していくような動きが拡大していく可能性はあるかもしれない。プラットフォーム側にしてみれば、ステマ投稿が広告のかわりに利用されていることを考えると、ステマの流行は広告収益に対する機会損失と考えられるからである。皮肉なことだが、ステマ撲滅に一番熱心なのは、従来型のスポンサービジネスに関わる広告主でも代理店でもなく、もちろんインフルエンサーでもなく、プラットフォームなのだろう。
そんなこんなで、みんなそれぞれに立場があって、自分のビジネスの大切なところを守ろうとする動きが見え隠れするのが、ステマとインフルエンサーをめぐる面白い現状である。私自身はインフルエンサーではないので、完全な透明性という究極解でもいいんじゃないとも思うが、現実的に実効的な形にするのは、法の規制かプラットフォームのルールが変わらない限り、難しいだろう。広告業界に所属する人間としては、せめて広告というものの価値を高められたら、と思うばかりである。
2019/10/29
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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