youkoseki.com

冬が去る

 冬がまたシチューを作った。これが今年最後のシチューになる。彼女はそう言って笑う。彼女が笑うのは、その言葉を先週も言ったばかりだからだ。先週も彼女はシチューを作った。そして今日また寒波がやって来た。

 

 いつまでも冬が続けばいい。しかしシチューは今度こそ最後だと、彼女は念押しをする。確かに、外ではときどき、暖かな風が優しく、だが強く吹く。また寒さが戻るかもしれない。急な雪が降って鉄道を止めるかもしれない。でも、その可能性は確実に小さくなってきている。

 

 春は献立が面倒だと彼女は言う。シチュー、グラタン、ポトフ、今のうちにと、彼女はいつものメニューを繰り返し、鍋を温める。家のまわりでは雪が溶けつつある。その日射しを浴びながら、私を女を抱いて眠る。瞼を閉じて、なるべく眠りが長く、深くなるよう祈る。

 

 いつかすべての雪が溶けて、春がはじまるだろう。死体があらわになって、人々が眠りから目を覚ますだろう。このシチューが最後になって、暖かな飯を食べる機会は失われるだろう。でも今はまだ冬を味わい続けたかった。そしていつまでも眠りたかった。

 

2013/03/11

ツイート このエントリーをはてなブックマークに追加

この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

星新一賞入選のロボット子育て小話「キッドイズトイ」はAmazon Kindleにて100円で販売中。

その他のテキスト

火事の日
年が新しくなってから、街のあちこちで火事が続いている。はじめこそ空気が乾燥しているからだと言われていたが、どうも放火事件らしいという話だ。五件目の火事が、木造のアパートを全焼させて、これまで一番大きな被害となり、はじめての重傷者を出したところで、警察は現場にはいつも同じ安いライターが残されていたことを発表する。そして私達は、火事がぴったり六日おきに起きていることに気付く。……

ファスナーを直す
就職したときから毎日使ってきたビジネスバッグのファスナーが壊れてしまった。水曜日の夜、急な雨に降られて、中から折り畳み傘を出そうとしたところで必要以上にファスナーを引っぱってしまい、部品が外れ、テープの側も破れてしまった。おまけに、自分のしたことに驚いて、部品を手から滑らせて落としてしまい、すぐそばの溝に落ちたのかどれだけ探しても見当たらないのだった。……

銃とゲーム
今日もまたゲーム機による傷害事件が起きた。同じゲームをプレイしていた中年男性同士が、勝敗をめぐって口論になり、負けたほうが勝ったほうにコントローラを投げつけたのだ。被害者は頭部に全治三日の怪我。昨日も都内のゲームショップで、携帯ゲーム機を持った中学生が別の中学生を襲う事件があったばかりである。……

見えない都市 都市と地図 1
老人が小さな地図を差し出したのは、旧首都の第五都市を抜け、遷都を終えたばかりの第六都市へと歩く道中でございました。地図は道行くすべての人に配布しているようで、もちろん私もその一部を受け取ったのでございます。新しい第六都市は私の地図には影も形もありませんでしたし、それは遷都に伴い家や仕事を移しはじめた多くの人達、そしてこの大移動を見届けに訪れたさらに多くの旅人たちも同じでしたでしょう。道行く誰もが老人の地図を手にし、それを見つめながら歩いていたのでした。……