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冬のブルゴ

 冬になった。今年は寒さが一段と厳しく、毎日雪ばかり。村の道という道は雪に埋め尽くされ、外を歩くのもままならない。俺達は冬になるといつも家へ籠もり、じっと寒さをしのぐ。狭い部屋には満足な暖房器具もなく、使い古した毛布だけが頼り。食べるものと言えば買い溜めた缶詰ばかりだ。冬のあいだ、俺達は誰にも顔を合わせず、髪も切らず、髭も剃らず、時折なんとか湯を沸かしして風呂に入る。照明が切れたりすれば、あとはもう夜は闇だ。でも、そう悪いことばかりじゃあない。なにしろ俺達にはブルゴがある。ブルゴがあれば冬は悪い季節じゃない。みんなが待ち望む、幸せな季節だ。そもそもブルゴのために、俺達は家族や仕事を捨てこの村に集まってきたのだから。

 

 毎年、山のもみじが赤く染まりはじめるころ、俺達はそわそわとブルゴのことを考えはじめる。誰も話題にはしない。待ち切れなくなるからだ。ただじりじりと、その日が来るのを待つ。そうして十二月になると、まだ本格的に寒くなる前から仕事を辞めるやつらが現れ、村から徐々に人影が消える。言うまでもなく、食糧と水は十分に確保しておかなきゃならない。燃料もだ。雑貨屋の武井さんは元相撲取りで、いつも辛抱強く冬の本格的な到来まで店を開けてくれている。街の守り手だ。俺達は武井さんが入荷した食べ物や飲み物を片っ端から買い漁っていく。誰だってブルゴの最中に餓死や凍死の目には遭いたくない。たしかに、最悪な死に方をする人間は毎年現れる。でもそれはなんの慰めにもならない。

 

 人が外からいなくなるのにあわせて、ブルゴには人が集まりはじめる。はじめは静かに、ばらばらに。村に来たばかりの奴も、もう何年も住みついた奴も、慣れるまではそっとブルゴの中を歩き、それぞれが好きな場所を見つけようとする。しかしいつしか村の全員が集まり、ブルゴは世界のどこよりも賑やかな場所になる。そこでの俺達は普段よりずっと陽気で、大胆だ。人を見かければ声をかけ、ちょっとしたことでも誉めあい、文句があれば臆することなく言う。話題の大半はこの一年に起きたいろいろなこと。嫌なやつのことは隣にいようがお構いなしに言いたい放題、あることないこと自慢も言いたい放題だ。

 

 ブルゴでは誰もが名前を失う。だから日頃の気兼ねなく好きなことを言えるのだ。時に俺達の言い合いは熱くなりすぎる。でもそれが冬の暖をとる秘訣でもある。薄汚れた毛布をかぶり、寒さで体を震わせながら、にやにや笑みを浮かべる。それがブルゴを堪能する方法だ。もちろん他の人間が家でどのようにブルゴを楽しんでいるか、直接見たわけじゃない。ただ俺達は知っている。

 

 俺達はみんな知っている。ブルゴで名もない一員として生きる姿こそが本当の俺達なのだと。名前は俺達に与えられたラベルであって、外ではそのラベルの通りに生きなければいけない。俺達はブルゴに辿りついてようやく解放される。ブルゴで考えるべきことは、自分の幸せだけ。誰もが貪欲に幸せを目指すから、ブルゴは幸せな場所なのだ。

 

 冬が終わればブルゴは終わり。俺達はまた外へ出る。みんなの家を周り、冬のあいだに死んだ者達を墓に埋める。今年は雑貨屋の武井さんが凍死していたので、俺達は彼の巨体を埋めるためにいつもより深い墓を作らなければならなかった。太陽が暖く俺達を照らす。みんなは伸び放題になった髪や髭を笑いあい、床屋の前には行列ができる。そしてこそこそと仕事をはじめ、また冬をやりすごすための金を稼ぐ。夏には街からブルゴ目当てに新しい仲間がやってくる。つまらない毎日の繰り返し。それでも、また冬にはブルゴがやってくる。

 

2011/03/08 - 2011/03/17

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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