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クレバーワールド:メトロのマリ

 本日のブラックアウト確率は午前午後ともに30%と、若い男性の予報士が言った。エビル社が新しいクレバーゲームをローンチするため、その人気次第でクレバーネットが不安定になるという。

 

「まったく、ゲームなんか禁止してしまえばいいんだ」ヌノスはクレバーテレビに文句をぶつけている。「30%とか40%とか、中途半端な数字が一番困るんだよ。その日の予定が立てられない」彼の独り言はそのままクレバーキャストにフィードされる。

 もちろんヌノスは、中学校の情報教育で最初に習うこと、クレバーネット中立性を知っている。

「クレバーネット上のあらゆるサービスは公平に扱われなければいけない」

 しかし、彼に言わせれば、それはかつてクレバーネットがどこまでも安定していたからこそなしえた理想にすぎない。今は違う。人々のクレバーネットへの依存は深まるばかりで、それにあわせてブラックアウトはどんどん頻繁になっている。たかだがクレバーゲームのために、たびたびクレバーエナジーやクレバークレジットが使えなくなる。クレバーメトロは麻痺し、ほとんどあらゆる仕事が不可能になって、クレバー経済はストップする。

「みんな一緒に不幸になるのが中立性の目的なのか?」ヌノスはクレバーキャストを続ける。

 

「文句ばかり言って、家にいるだけなんだからいいじゃない」マリは出社の仕度をしながら、ヌノスの背中に向かって言う。彼女にとって重要なのは、予想が70%を超えるかどうかだけ。午前8時時点でのブラックアウト確率が70%以上であれば、彼女の働くクレバードラッグ企業でも在宅勤務が許可される。

 在宅勤務といっても、ブラックアウト中に仕事などできるはずもない。だからそんな日、マリはだいたい読書に励むことにしている。彼女の祖父はちょっとした読書家で、遺産にたくさんの推理小説を残してくれた。常日頃から紙の手触りと匂いが好きだと公言していた祖父は、親戚からはずっと変人あつかいされていて、遺された書籍の山を引き取ろうとしたのは彼女だけだった。彼女自身、紙に大した思い入れがあるわけではない。クレバーブックのほうが軽いし、読みやすい。紙独特の鼻につく酸っぱい匂いははっきり言って嫌いだ。ただ、いつも冗談ばかり言っていた祖父が、なにを読んでいたのかを知りたかった。

 そうして手に入れた本が、いまではロウソクと共にブラックアウトのお供となっており、クレバーオークションでは高クレジットで取引されている。世の中というのは不思議なものだ。

 

 祖父はマリの名付け親でもある。族みたいに平凡な名前だと両親は猛反発したそうだが、祖父はなんとしても私に古風すぎる名前を与えたかったらしい。おかげで自己紹介をするたび、毎度「ひいおばあちゃんの名前みたい」と言われる。さすがに面倒なので、社会人になってからはマヨリと平凡なサブネームを使っている。

 

 マリが仕度を続けるあいだも、ヌノスはクレバーテレビを見続けている。マリの皮肉に答えるつもりはないようだ。結婚して一年とすこし、彼の主夫業はおおよそ完璧とは言えない。

 ヌノスはマリよりも五歳若い、いわゆるクレバーテレビ世代だ。一日中ストリームを回しては、なにか面白いものがないかと目を光らせている。その選局センスには定評があるようで、数百人が彼のストリームとシンクしている。90歳で引退し、すっかりテレビっ子に逆戻りしたマリの父親もその一人だ。ヌノスがストリームを切り換えると、遠い奈良の実家にあるクレバーテレビのストリームも一緒に切り替わる。あらゆる瞬間を逃さぬよう、ヌノスはいつも複数のモニターを確認しながら、数秒に一度の頻度でストリームをひっきりなしにザッピングしていく。

 マリが仕事から帰ると、ヌノスはだいたい椅子に深くもたれかかり、こう言う。「疲れた」。その言葉を聞くと、マリもどっと疲れる。

 

 ヌノスはマリの出社を見送ろうとしない。新婚の日々は遠い過去となった。彼女も今や黙って家を出る。

 徒歩七分、10kcalの道程を歩いて、中野のクレバーステーションにチェックイン。進行方向左側、十五人がけ座席の左から四番目が彼女の指定席だ。彼女の夢は、クレジットを溜めて、いつか端の席を指定すること。いまは真っ黒なスーツを着た三十歳くらいの若い男が涼しい顔で占拠している。おおかた、クレバーバブルで一山当てたタイプだろう。おかしなことに、クレバーネットに依存しきった人間に限って、スーツのような非合理的なファッションを好むのだ。もっとも、今やクレバーネットに依存していない人間なんていないけれど。

 クレバーメトロが動き出す。渋谷まで16分。到着一分前のアラームが鳴るまで、マリは束の間の睡眠をとる。

 

 アラームが鳴った。しかし、いつもとは違った。なぜなら、車内みんなが一斉に目を覚まそうとしていたからだ。お互いなにが起きたか分からず、顔を見合わせている。そして、メトロが止まっていることに気付く。クレバーウェアを操作するが、クレバーネットには繋がらない。車内の明かりが消え、しばらくして戻る。

 

「ブラックアウトが発生しました」心地良い声色に最適化されたアナウンスが流れる。乗客からは溜息が漏れる。「繰り返します。ブラックアウトが発生しました。乗員のみなさまは、慌てず、最寄りのドアから最寄りの駅まで歩かれることをお薦めします。最寄りのクレバー代々木までは、約800メートル、徒歩十分です。なお、十分以内のターンアラウンド率は15%、三十分以内では35%、一時間以内では60%です。この車両はサブネットを用いることで、一時間まで現状を維持することができます。なお、クレバー代々木までの路線上における族の目撃情報は過去一年にわたってありません。繰り返します。ブラックアウトが発生しました。乗員のみなさまは、慌てず……」

 

 ブラックアウトの多発によって一昨年制定されたクレバーネット有限責任法は、ブラックアウトを天災の一種として定めている。すなわちクレバーネット加盟企業は、ブラックアウトによって利用者が被った損害について免責される。メトロのアナウンスが決して謝ろうとしないのはそのためだ。

 

 やれやれ、ほかの乗客たちとともにマリは腰をあげる。渋谷のオフィスまで歩くか、中野まで戻るか、なんとも中途半端なところだ。ドアが人手で開かれ、急ぐ人達が早くもレールの上を歩きはじめる。快適だった車内とは異なり、地下の空気は蒸し暑い。みんな目的地、オフィスへそのまま向かおうとしているのだろう。人の波は南の渋谷側へ向かっていた。

 マリも普段ならその流れに乗ったはずだ。でもそうはしなかった。いまから家に戻ったら、ヌノスはきっと驚くだろうなと思って、実際に試したくなったのだ。マリは人波に逆らい、北の新宿側へ歩きはじめた。

 

 道はサブライトが細々と輝くだけで暗い。何人かだけが、ぽつぽつと前を歩いていた。クレバーウェアは相変わらず利用できないまま。ただ平坦で、分岐もないので、とりあえず新宿までは苦労せずに帰れそうだった。

 それにしても朝からブラックアウトだなんて。このごろ頻発しているとはいえ、ブラックアウトはクレバーネットが一番活発になる昼ごろに発生するのが普通だった。こんな朝からブラックアウトになるとは、いよいよクレバーネットは不安定にになっているのかもしれない。それとも、よほどエビル社のゲームが面白いのだろうか。

 

 マリはふと、族のことを考えた。クレバーネットに適合できず、ブラックアウトの世界を生きる者達。彼らはブラックアウトが頻発するこの非常事態を喜んでいるのだろうか。

 マリ自身、まだ族とは二度しか会ったことがない。中学生のころ、帰り道で急な大雨が降って、街中の明かりが消え、クレバーネットに繋がらなくなったときがあった。まだ当時はブラックアウトそのものがほんとうに珍しかった。真っ黒な雲と激しい雨の中を一人、クレバーネットなしでも迷わないよう慎重に歩き続けていたら、遠くに見慣れぬ格好の男女が見えた。彼らは豪雨の中でも平然と歩いていた。そして自分たちのライトを持って、歩きながら左右を照らしていた。自分たちのライトを持つなんて、まともな人間のすることではなかった。マリはちょうど公民の授業で族について習ったばかりだった。彼らはクレバーネットを使いこなせない。だから旧時代のものを利用し続けている。あれは族に違いないと彼女は思った。

「族はクレバーネットをうまく扱えない苛立ちから、現代人を敵視するようになった」教科書の記述を思い出す。「政府は彼らのためにさまざまな啓発プログラムを提供しているが、今のところ大きな成果は上がっていない」「彼らの実態は正確に把握できていない。今日では、凶悪犯罪などを含む多くの未解決事件が族によるものと見られている」

 ライトの光が彼女のほうを照らした。眩しい。彼女は思わず目を閉じる。捕まってはいけない。族は粗野で野蛮な生き物だが、運動能力に長け、すさまじい速度で走り続けることができる。マリは光から逃れるようとっさに路地へ入ると、そこからは雨で重くなった靴をひきずるようにして全力で逃げた。一度も振り返らなかったのが良かったのだろう、怪我ひとつせず家に戻れたのは幸運だった。ただ、翌日は風邪で寝こむことになった。

 

 地面を見つめながらそんな昔話をぼんやり思い出しつつ歩いていたせいか、迫る轟音に気付いて顔をあげたとき、すでにマリの視界にはクレバーメトロのフロントライトがあって、それが彼女を飲み込もうとしていた。あ、と声をあげる暇もなかった。なぜ、という言葉が頭に浮かぶのが精一杯だった。

 次に気付いたとき、マリは線路の横に倒れ、走り去るメトロを見送っていた。傍らでは長身の男性が膝をついている。

「なんで線路の上を歩いてたんだ」男は強い口調で言う。ジーンズにTシャツの若い格好だが、長髪は白髪まじり。「僕が助けなければ死んでたぞ」

「……ありがとう」マリはそう言うが、なぜこんなことになったのか、状況をまだ理解できていない。「でも、ブラックアウトだったのに」

「さっき復帰したらしい」男はそう言って立ち上がる。そして遠くを見て言う。「やれやれ、あっちでは誰か死んでるな。紙一重ってやつだ。立てるかい?」男は手を差し出す。マリはすこしためらって、男の手を取る。

 

「歩くぞ」男はマリの手をとったまま歩く。男の手はじっとりとしていて暖かい。100メートルほど歩いたところで、線路脇に人の体が倒れていた。黒いスーツが血で赤く染まっている。さっき車内で見た人だ。体は腰の部分でへんな角度に折れ曲がっている。「見なくていい」と男は言う。

「このままにしておけないわ」マリは言う。

「もう死んでいる。あとは片付けを待つだけさ」男は立ち止まりもせず、マリの手を引く。

「誰が片付けるって言うの」

「クレバーピープルだよ」

「クレバーピープルってなに」マリは言う。街はクレバーなんとかで溢れているが、クレバーピープルというのは初めて聞く言葉だった。

「社会へ最適化され、意識を失った人間たちだ」男はぶっきらぼうに言う。

「そんな人達、聞いたことない」

「この地下では、年に何十人もがメトロに轢かれて死んでいる。そのたびにクレバーピープルが片付けている。僕自身、なんどもその光景を見たさ」

「だとしたら大ニュースよ。クレバーメトロが人身事故だなんて聞いたことない。誰かが情報を隠蔽しているとでもいうの」

「誰も隠蔽なんてしていないよ。人が轢き殺される、クレバーピープルが片付ける、クレバーメトロはなにごとも無かったように運行を続ける。クレバーワールドは万事異常なし。そういうことさ。ただ、人がブラックアウトの隙間に落ちて消えただけ。君自身、もうちょっとでそうなりそうだったんだから」

 

 男が不意に手にぎゅっと力を込めたので、マリは慌てて手を離す。男はなにも言わない。ただ平然としたまま、懐からライトを取り出し、真っ暗な道を照らした。「こっちの非常階段を上がるといい。二分で地上に辿りつける。轢かれることもなく、ね」

 この男は族だ。マリはようやく気付く。堂々とした態度で流暢に言葉を話すものだから、まったく思い浮かばなかった。族と会話をしたのは初めてだった。族の話を聞いたことはある。大学時代、族がいかに社会との適合に苦しんでいるかを語る講演を聞きに行ったのだ。たどたどしい言葉で、クレバーワールドでの生きづらさを説明する、感動的なスピーチだった。

 この男は、あの時の族とはまるで違う。服装は伝統的なものではなく、私たちとなにひとつ変わらない。こうしてトンネルの中を歩き回り、死体から衣服を奪ったのだろうか。毎年、大勢の人がブラックアウト中に行方不明となる。その大半は族による誘拐だと言われている。彼らはクレバークレジットを使いこなせない。だから生活のためには、物々交換か、あるいは実体のある貨幣が必要になる。私も身包みを剥がされるんだろうか、とマリは思う。とにかく逃げ出すべきだったが、体に力が入らなかった。

 

「さあ、上がりなよ」男はライトで非常階段を照らす。マリは黙ってその階段を歩いた。この先になにがあるかは分からなかったが、男がすぐ後ろにいる以上、引き返すこともできなかった。

 男の言ったとおり、二分ほどで通路は終わり、重い扉が見えた。マリが扉を開くと、眩しい光が差し込んだ。地上だった。西新宿のほうらしい。目の前をサラリーマンたちが歩いていく。「エビルの新作、やった?」一人の男がクレバーウェアを片手に、見えない誰かに語りかけている。「すごいよ、クレバーリアルだから」

「いい運動になったよ、それじゃあ」男が非常階段の闇の中から言う。そして返事を待たず、地下へ戻って行く。

「あ、ありがとう」マリは慌てて言う。「私、マリ。あなたは?」

「タケオ」男の声だけが聞こえる。マリは階段を覗き込むが、男の姿はもうない。族っぽい名前だとマリは思った。

 

2011/06/02 - 2011/07/07

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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