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トリガー

 道具というのは、人間が使う為に生まれてきたものだ。だが、時々人間の方が、道具を使う為に生まれてきたものなのではないか、と思う事がある。僕が小学生だった頃、オルガンの前を通りかかると何故か吸い寄せられるように「ライディーン」を弾いてしまったものだ。ハサミを見てはつい手近な紙を切ってしまう、という事もある。それに僕は少し粘着質の所があって、例えばコンテを描き始めると紙が真っ黒になるまで続けてしまう。少し変わった言い方をするならば、道具の意志に操られやすい性格、とでも言えるだろうか。目の前の道具が使い主を求めて働きたがっているのを、無視出来ないのだ。僕自身、これはあまり良い習性では無いと思っている。夜、流し場に包丁が転がっていると、不意にその包丁で自分の左手を刻んでいるイメージが脳裏をかすめる事がある。もちろん、実際にやった事は無い。だが、昨日やらなかったからといって今日もやらないとは限らない。まして明日の事は全く分からない。あるいはいつか、僕の左手は右手に納められた包丁で切り刻まれる宿命なのかもしれない。そういえば「マーフィの法則」に端的な表現が一つあったではないか。「トンカチを持つ者の眼には全てが釘に映る」と。それが例え自分の頭だったとしても。

 

 それは無造作に家の前に落ちていた。僕の家はいわゆる大通りから随分と奥まった所にあって、家までの路地は狭くて暗く、友人を家に招待する度に随分と説明を要し、それでも毎度「こんな所に道があったんだ」と言った風の有り難くない感想を頂く。その奥まった所にある暗くて狭い家の前の路地に、それは落ちていた。テレビドラマで出てくる時はショッキングなぐらい白い布に包まれている事が多いが、実物のそれは黒い布に包まれていた。僕は決して道に落ちているものを一つ一つ拾って調べる様なタイプの人間ではない。ただそれを見逃す事が出来なかったのは、黒い布から少しはみ出した部分がが明らかに見えたからだ。いわゆる銃口。それは拳銃だった。僕が大学に入ってから出会った友人の中に一人、かなりディープなガンマニアがいる。彼女と出会うまで僕は本屋の雑誌コーナーの隅においてある様なモデルガンの類を扱う雑誌に本当にニーズがあるのか疑問視していたが、実際彼女の部屋にはその、長年僕にとって存在を疑問視されていた類の雑誌が山積みになって並んでいて、それなりに納得したものだった。彼女から何度か拳銃の魅力について講義を受けた事があるが、結局それらは僕の両の耳から脳を通らず鼻の穴へと抜け出てしまった。そんな僕でも、その布にくるまれた拳銃が、いわゆるリボルバーという種類のものである事と、いわゆるモデルガンでは無い事は分かった。偽物はどれだけ精巧に作られても、本物とは違う香りの様なものを醸し出す事が出来ない。この事を理解出来ない人間が世の中には随分と多いのが問題を複雑化させているが、この領域の自分の技能については僕は割と自信を持っていた。そして、僕の拾ったそのリボルバーは明らかに本物の匂いを漂わせていた。僕は恐らくは随分と危なっかしい手つきで、弾倉を開いた。そこには申し合わせた様に弾丸が一発、静かに収まっていた。

 

 殺したい程の人間というのは、意外といないものだ。日本はつまらないことに、あるいは有り難いことに法治国家で、人を一人でも殺せば基本的には捕まる仕組みになっている。基本的には、というのは捕まらない事もある、という意味だが、僕の知る限りその可能性は試しにやってみるには少し低すぎる。それでもテレビのニュース番組は物騒な殺人事件を、まるで天気予報と何ら哲学的意味が変わらないかの如く、毎日毎日伝えている。つまり、こういう事だ。法治国家というのは、誰もが法律を守っている限り安全な国家である、という。そこから外れてしまえば、刑法も24秒バイオレーションもまるで変わらない。いや、むしろシュートに25秒かけて入れても点にはならないが、人を殺してしまえば生き返らない、という観点から、刑法の方が程度が落ちる、とも言える。少し現実から目を背ければ、もし殺したい人間がいるならば、一人ぐらいは、相手がNWOのレスラーでも無い限り、まずいつでも殺す事が出来る、という新しい現実の存在に気付くはずだ。

 

 ある人間に「子供」がいた場合、その「子供」から見たそのある人間は絶対に「親」である。親子関係というのは、詩的に表現しようとさえ思わなければ、実に簡単なものだ。だが、恋人関係というのはそうではない。ある人間に「彼女」がいた場合、その「彼女」から見たそのある人間が絶対に「彼氏」であるとは限らない。これは、恋人関係というのは所詮、詩的な範疇に存在するものに過ぎないからだ、と言えば詩的に過ぎるだろうか?内谷春子は僕の彼女だが、どうやら相手にとってはそうではないらしかった。そして残念な事につい最近まで僕はその事を知らずに生きてきた。それはいつまでも咲き続ける事を信じて疑わない鳳仙花の様な日々だった。しかしそれはちょっとした風で弾け飛んでしまうのだ。

 

 彼女は僕より二つ年上で、フリーライターだった。「火ある?」と彼女は僕に声をかけてきた。それが全ての始まりだった。

 

 ハロウィンの日、彼女は分厚いジャンパーを着て現れた。僕の住む街はいわゆる盆地にある。盆地には夏には熱気が、冬には冷気が集まるという素晴らしい特性がある。「ミッシー・エリオットみたいだ。」僕は彼女の姿を見てそう言った。転ぶと起きあがれなさそうに見えた。「何、それ?」発言は文章にすると疑問系にカテゴライズされるものだったが、実際は答えを求めている様には見えなかった。「ビープ、ビープ。ジープの鍵持ってるの誰?」僕は言った。「え?何?」出会った時から、僕と彼女との会話は好意的に言っても自転車で階段をかけ降りる様なリズムの悪さがあった。しかし同時にそこには幼い頃に何故か誰もが惹かれたスリリングさがあった。趣味はことごとく一致しなかった。マクドナルドで言うならば彼女はフィレオフィッシュ派であり、僕はモスバーガー派だった。

 

 僕より五分遅れてやってきた彼女は、何だか上機嫌に見えた。最も、相手の心中を察するという類の事が僕の一番苦手とする所だったから、それはエッシャーの『滝』の様な錯覚に過ぎないのかもしれない。僕は今からするであろう事を考えると良心がチクリと痛んだ。

 

 あの日、彼女は突然に用事を思い出して僕を繁華街に一人取り残して去っていった。僕と彼女の関係において、それは特に珍しい事では無かった。彼女は目覚まし時計のタイマーの午前と午後を間違える様な所があったし、むしろそういう気まぐれさは僕にとっては適度の刺激だった。もちろん寂しく無いといえば嘘になるが、それは一度作ったジグゾーパズルを再びバラバラにする様なもので、無駄だと思う人間にはとことん無駄な刺激であり、そうでない鈍感な人間には十分な刺激だった。そして僕は筋金入りの鈍感だった。仕方なく僕は本屋が閉まるまで本屋で東野圭吾の『秘密』を読んで、ゲームセンターが閉まるまでゲームセンターで踊る人を観察しようとした。人間観察というのは、これまた僕にとってなかなか刺激的な行動の一つだった。見知らぬ人をただ見つめていると、この世の自分以外の人間には意志なんてないんじゃないか、と思えてくる。ありがちな格好をした人間が、その格好から推測されるありがちな行動をとっている。僕はそういうのを一つ一つ微笑ましく観ていた。微笑が凍ったのは、そこに彼女が現れた時だった。彼女は僕の存在にまるで気付いていなかった。僕と別れた瞬間に僕を認識するフィルタを外したかの様だった。彼女の隣には見たことも無い男がいて、僕が何か行動を起こすべきなんではないかと考えつく前に二人は100円玉を入れて踊り始めた。僕よりもずっと踊りの巧い男だった。周囲にギャラリーが集まるぐらいに巧い男だった。僕は集まるギャラリーの更に外から動くタイミングを計りきれずにただ見ていた。そしてその男は4曲をほぼパーフェクトに踊りきると、彼女の手を引いて颯爽とゲームセンターを出ていった。瞬間、僕はその男と目があった。そして次の瞬間、その男は彼女を抱きしめてキスをした。さっきまで二人を見ていたギャラリーはもう次のプレイヤーの方を見て、その行為はただ一人の観客の為に行われた事に思えた。彼女は不思議そうな顔をしていたが、それ以上ではなかった。僕は脳にぽっかりと空白を感じ、そこを目眩が埋めた。ずっと使っていたノートをめくり戻していったら突然に空白のページがあった時の気分だった。そして一度ノートに現れた空白は、その前後を順番に空白にして、最後は買ったばかりの様な真っ白なノートにしてしまうのだ。気付いた時にはその二人はいなかった。まるで地球を救う為に現れたヒーローの様な素早さだった。

 

 それからも僕は普通に彼女と会った。鈍感な人間はナイフで内蔵をえぐられても血が出るのに一週間かかるのだ。セックスをしている時も、僕は今までと変わらないやり方で彼女に接する事が出来た。誰でも努力次第で気付かないままに生きる事は出来るのだ、と僕は思った。だが、気付かないままに生き続ける事は誰も出来ない、というのも僕は知っていた。

 

 待ち合わせ場所から少し歩いて、僕と彼女はゲームセンターに行った。「踊るよ。」「珍しい。」そして僕達は一緒に踊った。平日の真っ昼間で、周囲にはギャラリーどころか人影もまばらだった。しかし、会心の踊りだった。あの日の様に土曜日の夜中なら、ちゃんとギャラリーが集まったはずだった。終わると、彼女はにっこり笑って言った。「巧くなったね。何時の間に、」「ところで、」僕は遮って言った。「拳銃を拾ったんだ。」僕はリュックから拳銃を取り出して、そのまま彼女の額に押しつけた。何故か制服を着た女の子のグループがゲームセンターの入り口でプリクラを始めていた。「新しい趣向?」「そう。」「何の?」相変わらず、彼女の疑問系は答えを求めていない様に思えた。それとも、僕が答えを持ちあわせていないからそう思うのか?僕が答えを持ち合わせていない事を彼女は知っているからそう言うのか?「これは一種の、」「一種の何?」「愛情表現。」僕は引き金を引いた。

 

 引き金というのは、引く為にあるのだ。誰が何と言おうと、拳銃は人殺しの為の道具だ。

 

「うぅん、でもやっぱり僕は君の目を疑うよ。」ディープなガンマニアは、僕の拳銃を手のひらで弄びながら、長い口上の末にそう言った。「何とでも言いなよ。」僕は言った。「これで救われる人がいたんならそれで十分だろ?」

 

1999/11/03

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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