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恋の三角だか四角

 大学に入って最初の夏休みを、僕はアルバイト三昧で過ごした。コンビニ、ガソリンスタンド、喫茶店。僕には欲しいものがあった。長年夢見た物だった。具体的には、小学校中学年の頃から。

 夏休みの終わり、全て給料を受け取った僕は、まんをじして、躊躇無くそれを購入した。正真正銘高級ブランドの、真っ新な、最新商品。ネットを巡回に巡回し、ようやく出会った納得の品だった。とにかく頭から足先まで透けるようにピカピカ、そのシルエットたるや語る術さえ無いほどに美しく、ただただ美しいマネキン、僕はマネキンを購入したのだ。

 ボディは樹脂で肌色、ボディを支えるベースはアクリル。股関節と膝が若干動き、腕は取り外し可能になっている。肘と肩、手首が動くのはもちろんのこと、指も付け根だけならくねくねと動く。身長168センチ。頭の天辺まで肌色一色ながら、何しろ実に魅力的なフォルムで、一年以上経った今でも時々小一時間程見つめてしまう。バスト79、ウェスト59、ヒップが85。しかし重要なのは数字ではなく、曲線だ。36センチの肩幅から腕へと流れる曲線。腰から足へと下りて行く過程の曲線。どれも文句の付けようが無い。それは完璧なマネキンだった。バラバラになって宅急便でやって来たそれを組み立て我が六畳一間の部屋の隅に置いてみた時、僕は思わず息の飲んで、それが随分と安い買い物だったことを悟った。ほんの53000円だったのだ。送料、税別で。

 マネキンの魅力についてこれ以上語るのは控えておく。僕は僕が少数派の一員であることを知っている。大学に入って一年半強、僕の家にも何人か友人が遊びに来たが、誰一人として彼女を見て僕と同じようにはっと息を飲んだり、思わず手の甲で彼女の腕を撫でてみたりするようなことはなかった(僕の前だからかもしれないが)。

 僕の家に遊びに来た男がやる行動はいつも以下の通り。ドアを開けて対面する彼女を見て「わっ」と小さく叫ぶ。そのまま部屋に上がると真っ直彼女の前に立ち、しかし八十センチ以上は距離を置いて「ふーん、趣味?」と僕の目を見ずに言う。僕が「まぁ」と答えると「そうか」と答えて、後は彼女が微妙な距離で彼女が見守る中、僕と友人は普通っぽくマリオカートをやったり、スマッシュブラザーズをやったり。そして翌日か翌々日、別の友人やあんまり親しくないクラスメイトに「なんかいい趣味してるんだって?」とにやにやしながら言われる。「俺も遊びに行ってもいいか?」と言われることもある。「うん」僕が答えると彼は程無く遊びに来て…また「わっ」。一方僕の家に遊びに来た女は…女は遊びに来たことが無い。

 中高男子校だった。大学もほとんどそうだ。僕が所属する工学部電気工学科応用電気研究コースには、女の子が一人しかいない。男の子は僕含め五十四人。即ち女子率僅かに、いや、考える気も失せる。記憶にある限り、まともに喋ったことのある女の子というのは妹くらいのものだ。妹とは、不思議と小さい頃から仲良く付き合えた。一人暮らしを始めてからはその妹とさえ、会話する機会が失われてしまったのだが。

 しかしそういったこととマネキンを愛することには何の相関も無い。少くとも僕はそう思っている。先にも述べた通り、僕がマネキンに目覚めたのは小学校中学年の頃。それは女子とか、恋愛とか、もちろんセックスとか、そういったものに目覚めるよりも前のことだった。つまり、僕にとってマネキンは、女の子とか恋愛とかよりも純粋に愛することの出来る対象だったのだ。僕が不純な方から虜になったのでなければ。

 実際、僕は彼女を純粋に愛していた。遠目に眺めたり、指先で肩のあたり触れてみたり、ぴかぴかに拭いてみては、腰のあたりに口づけてみたり。時には不純に利用してみたりもしたが、それもせいぜい週に二回程度。いわゆる性欲というものが、そんなに旺盛な方では無かった。

 ここで強調しておきたいのは、そんな風に彼女を愛する一方で、例えば彼女と「二人で」生きていこう、というような錯覚を抱いたりは決してしなかった、ということだ。彼女は彼女、あくまでマネキンであり、僕はマネキンを愛しているのだ。彼女を何かの代用品にするつもりは全く無かった。彼女はマネキンであって、人間でなければ、ダッチワイフでもない。だから、例えば彼女に名前を付けたりするようなことは絶対にしなかった。

 今年の秋までは。

 先回りして言うと、僕は恋に落ちた。まっすぐ、まっさかさまに。相手は生身の人間。木下さんという苗字で、その時まだ名前は知らなかった。僕と同い年で、僕と同じ工学部電気工学科応用電気研究コース所属だった。即ち、僅か一人の一人に僕は恋に落ちたのだ。

 何かきっかけがあったというわけではない。夏休みが終わって後期が始まったある秋の日、応用電子総論の講義を受けていたら、すぐ前で鉛筆をくるくると巧みに右手で回している木下さんが目に入ったのだ。シャーペンでもボールペンでも無くて、鉛筆。それで、僕は恋に落ちた。気付いた時には、鉛筆になってくるくると彼女に回されたらどれだけ幸せだろうと、僕は考えるようになっていた。恋に落ちるなんてそんなもんだ、と初めてその気分を味わった僕が言ったところで説得力があるかどうか。

 ほとんどの講義で一緒なのだから、彼女に近付く機会は幾度となくあったはずだ。しかし結局、冬休みに入るまで僕は彼女に声をかけることさえ出来なかった。彼女の名前は分かった(「好」と書いて「このみ」と読むらしい。友人が嘘を言ったのでなければ)。さりげなく話題に挙げて(「そう言えば彼女ってさあ…」)彼女が北海道出身だということも知った。彼女の下宿は僕の下宿のすぐ近くということも知ったが、これはリサーチの結果ではなく、たまたま近所のコンビニまで歩いていたらアパートから出てくる木下さんとすれちがったのだ(そしてその時でさえ僕は何も彼女に声をかけられなかった。目は合ったにも関らず)。

 僕はマネキンの太股を撫でた。太股は内側より外側の方がいい。何故かは分からないが。僕は彼女の不器用に動く指先を曲げ、鉛筆を持たせてみた。裸のままのマネキンに鉛筆はシュールだ。彼女に何か服を着せてあげたかったが、自分と同じような不細工な格好を彼女にさせたくなかった。一方で彼女の為に街に出て、綺麗な女性服を調達することが出来るとも思えなかった。店に入る。「いらっしゃいませ」と店員。こちらは一人。相手の不審な目。冷汗が腋から流れる。

 冬休み、僕は実家に帰った。父と母は僕を中学生のように扱うので、僕は中学生のようにそれを甘受した。「何かいるものはないのか?」と父。身長168センチの女性に似合うカジュアルな服装、僕がそう言ったら父はどんな顔をしただろう。

「最近何か面白いことあった?」と妹が尋ねた。「大学は楽しい?」彼女は高二。来年大学受験だ。「まあまあ」僕は答えた。「ふうん」「ふうんって何だ」「なんとなく」「なんとなく何」「なんとなく、困ってそうだから」妹は、鋭い。少なくとも両親よりは。あるいは、僕が単純過ぎるのかもしれない。顔に「女性服か鉛筆を巧みに回す女性が欲しい」と書いているのかもしれない。両親はそれを見て見ぬふりをするが、妹はしない、そういうことなのかもしれない。なんとなく全て見通されているような気がしたので、僕は妹に打ち開けてしまった。

「余っている服をくれないか?」

 もちろん妹は全てを見通していたわけではなかった、当然。僕は一から説明する羽目になった。マネキン、鉛筆、女性服。妹は黙って聞いていたが、全てを話し終えると(十五分くらいかかった)彼女は不意に言った。

「で、何が必要なの?服?木下さん?鉛筆を巧みに回す人?」

 手に入るなら何でも、と僕は心で呟いた。すると今度こそ見透されてしまったように「可哀想」と妹が小さく言った。そして彼女が僕の前まですっと近寄ったかと思うと、そのまま僕を抱きしめた。

 さて、その夜僕が妹のベッドで眠ったことを両親は気付かなかったのか、それとも気付かないふりをしたのか。誰の為にでもなく一応言っておくと、ただ眠っただけだ。もう少し具体的に言うと、彼女は僕の頭を抱いたまま、僕に自由を与えなかった。僕がもぞもぞと腕を動かすと、妹はびくっと体を固くする。「触っていい?」僕がそう聞くと妹は「今は駄目」と言った。いつになったら駄目じゃなくなるんだろう、と思いながら、もちろんかなり緊張していたこともあって全然眠れなかったのだが、それでも気付いた時には朝を迎えていた。僕が実家にいる間、僕は三度妹のベッドで眠った(最後にはいい加減両親も気付いていたに違いない)。しかし妹は僕の頭を両腕で抱えて時々髪を撫でてくれるだけで、「もういいよ」とか「今ならいいよ」という声は、遂に聞けないままだった。そのかわり「今は駄目」は二十三度聞いた。一々数えたので、よく憶えている。

 下宿に戻ってマネキンと目を合わせてから、僕は服を一着も貰わなかったことを思い出した。彼女の指にはまだ鉛筆がからまったままだった。僕はその指を舐めてみた。彼女に名前をつけようかな、と僕は思った。

 

2002/12/29 - 2003/01/03

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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