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健忘症

 忘れっぽいというか、そもそも憶えていない。忘れていることさえ理解出来ないこともある。「そうだった!」じゃなくて「そうだったっけ?」一つ一つ説明を受けて、ようやく思い出すという次第。ちなみに僕、今年二十歳になった。

 記憶には短い間だけ憶えておくところと長い間憶えておくところがあって、みたいな話を聞くけれど、そもそも短い間だけでも憶えていないのだから論外だ。風呂に入る為に服を脱いだらトイレに行きたくなって、トイレに入って出たら何で裸になってるんだろう?と一瞬疑問に感じる自分がいる。流石に一瞬だけど、一瞬でさえそう思ってしまっているのが怖い。昔はそんなこと、絶対に無かったのだから。人間はある日突然死ぬんじゃなくて、毎日徐々に死に向かっている、と誰かが言っていたことを思い出す。

 もっとも、死に向かっていないとしても、忘れっぽくなることはある種当然の話だ。例えば二歳の頃の僕は、マクロ経済について何一つ知らなかったし、信じ難いことに九九さえ出来なかった。脳味噌にはまだ余白がたっぷりあった。その割には二歳の頃のことなんて何一つ憶えていないが、それはそれ。重要なのは脳味噌の余白という概念だ。

 十歳の時の自分とも比較してみよう。その時の自分にも、まだ余白はあったはずだ。そして、余白以外の、既に埋まってしまった部分も、全然大したものではない。おしべとめしべがどうとか、昆虫の腹と胸とか、月の満ち欠けとか、だいたいどうして小学校の理科はあんな豆知識ばかり教えるのだろう。いや、それはそれ。つまり十歳の僕の脳味噌には零歳から十歳までの記憶があって、何らかの理由で古い記憶を消して新しい知識で置き換える必要がある時、消される記憶というのは零歳から十歳までの記憶の中で一番不要なものになる。多分。一方で二十歳の僕の脳味噌は二十歳までの記憶で充満していて、明らかに不要な記憶というのはこれまでの機会に置き換えられているから、残った記憶は種類はともあれ脳味噌にある程度必要とされたものばかりのはずで、そこを改めて新しい知識や刺激で置き換えるには、その新しいものはそこそこ重要度のあるものでなければいけないはずだ。しかし実際に何を忘れている事と言えば図書館で借りた本の返却期限であったり、教授が先週の講義の最後に言った「来週はやりませんよ」であったり。例えば、同じ返却期限でもレンタルビデオについては憶えている。延滞料金がかかるからだ。

 それでなくても、新しい刺激に乏しい毎日である。例えば中学の時に味わった初恋であったり、高校の時に味わった…色々なごたごたであったり、そういうものまで置き換える必要に迫られるような新しい知識や刺激が、今後の人生で味わえるとは正直思えない。あんまり明るい話じゃないが、年寄りが自慢するのはだいたい十代の話である所を見ると、そんなに間違ってもいないはずだ。

 

 そういうわけで、僕は恋人の誕生日を忘れた。翌日の朝に彼女から電話があって、「昨日は何の日だった?」と今思えば気持ち悪いくらい明るい声で言われた時に、ようやく思い出したのだった。僕はもちろん謝ったが、彼女は「電話代がかかるから」と今度は恐ろしいくらい素気無い言葉を残して一方的に切った。

 僕の言い訳はだいたい先に述べた通りだが、彼女の誕生日がレンタルビデオの期限よりつまらないことだと言いたい訳ではない。ただ、彼女は丁度正月休みを利用して家族とフランスに旅行中で、彼女の存在自体が、どこか脳味噌の中で遠くへ行ってしまったのだ。僕はフランスに行ったことが無いし、彼女が何をしているのかもよく知らない。だから、脳味噌は彼女を意識の対象外に追いやってしまった。彼女と一緒に、彼女の誕生日もフランスへ行ってしまったと考えたに違いない。

 それから、あえて付け加えるなら、彼女の誕生日も良くない。僕の父はクリスマスイヴの生まれで、一度聞いたが最後、誰からも忘れられようがない。イヴと聞く都度、父の、あの顔を思い出してしまう。一方で彼女の誕生日は一月四日。慌しく三が日が過ぎて、ようやく一息、そんな一日だ。ひょっとすると一年で一番日本人が何もしない日かもしれない。何かしているのは帰国に備える海外旅行者達だけだ。

 念の為言うと、誕生日を忘れたのはこれが初めてだ。去年はちゃんと旅行先のスペインまで国際電話をかけてスティーヴィー・ワンダーの「ハッピー・バースデー」を歌ったし、一昨年は、相手は違うが、ということはつまり誕生日も違うが、とにかく一昨年付き合っていた恋人の誕生日にしかるべき方法でちゃんと祝った。

 とは言え、忘れたことは事実だし、それが良くないことであることも認める。逆の立場だったら僕は相当不機嫌になって、彼女が思い出してくれるまで、そして忘れた分も挽回させるくらい素晴しい誕生パーティーを開いてくれるまで、多分彼女に対して何のアクションも取らないだろう。そう思うからこそ、僕はすぐ電話をかけ直した。考えてみればわざわざ泊まるホテルの電話番号と部屋番号を教えてくれている時点で、電話をかけてくることを期待しているのだ。「何かあったら」と彼女は言ってメモを残してくれたのだが、わざわざ両親と海外旅行中の恋人のホテルまで電話をかけるほどの何かが、この平和な正月に起きるとは思えない。メモを受け取った時には、これは誕生祝いの電話をかけろということだなと思って、今年は何を歌おうかと考えていたのだ。そして、そういった全ての事々は一緒に忘れ去られていたのだ。

 結局、僕はその翌日に空港までケーキを持って出かけ、大勢の帰国者達と彼女、彼女の両親の前で「ハッピー・バースデー」を歌う羽目になった。本当は他の曲を歌おうと思ったのだが、いざ歌おうとすると流石に緊張して何もメロディーが思い浮かばず、仕方無しに一番スタンダードな「ハッピー・バースデー」を歌った。マリリン・モンローがケネディ大統領に歌ったやつだ。

 彼女は笑って、「あとはプレゼントだけど」と言った。

 

 日が変わって、五月六日になった。彼女からの連絡は無し。三月の終わりに別れたが、別に後味の悪いものでは無く、ただ互いに互いの求める役割を終えた、というような別れ方だった。二年半くらい続くと、そういった別れ方もある。

「誕生日くらい祝ってくれよ」と僕は言ったはずだ。「後二ヶ月で新しい恋人が出来るとは思えないから」彼女は確か「いいよ」と言ってくれた。

 五月五日の子供の日が僕の誕生日だ。別れたカップルの関係ってそんなものか、僕は考える。前の彼女、いや、正確に言うと前の前の彼女の誕生日には、今でも電話をかけるようにしている。そしてその彼女からは、昨日電話があったのだ。「前の彼女からまだ連絡が無くって」僕が言うと「そういうものでしょ」と彼女は言った。彼女は、そういうものではないらしい。

 とにかく、日は変わった。彼女、つまり今の彼女、でなくて前の、僕が誕生日を忘れた彼女は、今ゴールデンウィークを利用してメキシコに旅行中だ。その話を聞いた時、誕生日当日に面と向かってどこかおいしいレストランで誕生日会が行なわれるのではないかという僕の何とない夢は、幻と消えた。すると電話だなと思っていたのだが、零時八分現在、まだ電話は鳴らない。僕は眠れずにいる。

 そう思った矢先、電話が鳴る。ぷるるる、と今時シンプルな着信音にしている。この音は彼女だ。僕は時計を見る。まだ八分、今九分になった。お互い様というわけだ。僕は誰の為でもなく苦笑しながら電話に手を伸ばす。そして、ふと考える。待てよ、メキシコは今何時だ?もし「時差が」なんて言われたら…。

 まあいい、とにかく祝って貰おうじゃないか。

 

2003/01/06 - 2003/01/07

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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