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最後の物語

 僕の友人の話をしよう。名前は竹本博史。彼は僕と同じ会社に勤める、まぁ普通のサラリーマンだったが、実は作家志望で、暇を見つけては何か物語を書いていた。ところが今の今まで、彼の作品は一度も完結した事が無い。何故か?それは、彼がこと、自分の作品の事になると、極端に凝り性になるからだ。

 

 何しろほんの短いストーリーでさえ、時代背景からその日の天気、気温、星の様子、家から駅まで何歩必要か、という、まぁ普通の人にとっては考えられない様な細かい所まで、一つ一つ彼には気になって仕方が無い。それは恐らく、何か精神性の病気であるのだとは思う。しかし、普段の彼は待ち合わせ時間を忘れたり、同じ文庫を二冊買ってしまったり、あるいは本棚の雑誌の号数がバラバラになっていても特に気にならない、ごく普通の人間だ。また、他人の作品に対して、例えば「どうして『スターウォーズ』は宇宙での戦闘で音が響くのか?」とか、は全く気にしない。ただ、自分の物語の世界においてだけ、異常なまでに細かくなる。

 

 特に彼は、人物のリアルな設定に異様に執着する。最近はまだマシになった方で、僕が初めて彼と会った時は、登場する全てのキャラクターの「リアルな設定」を一人で延々と考えていた。例えば小学校最後の年に学級委員だった男の子が、中学校で生徒会長になるのはリアルか?とかを。一度、学級委員になっていると、人をまとめるややこしさを知ってしまって、とてもじゃないが生徒会長なんかになろうとは思わないかもしれない。あるいは、そこに魅力を感じて、すすんで生徒会長になろうとするかもしれない。それを「どちらがリアルか」と言われても、答えられる質問ではない。

 

 マシになったのは、彼が物語の登場人物に、現実の知人を引用し始めてからだ。だいたい作家というのは、大なり小なり、現実の人間の中から物語のキャラクターを創り出す。彼もその手法を使って、ようやく物語が巧く書ける様になった、と僕は思っていた。

 

 だが、それには一つ、欠点があった。徹底的にリアリティを追求した彼が描いたのは、もはや物語では無かった。彼は知人を引用するのではなく、全くそのままにして、物語に組み込んでいた。中途半端に引用するのは、彼の美意識からは考えられない事だったのだ。お陰でストーリーは全くの、現実そのものになった。彼の友人が不倫をしていたのをを彼はそのまま物語に記し、その事でちょっとしたいざこざにもなった。

 

 もちろん、彼は不満だった。彼は決して克明な日記を書きたい訳では無かったのだ。彼は自分の想い描く物語を記したいのだ。だが、彼の美意識がそれを邪魔した。結局彼は…もう分かってくれただろうか?彼は自分を物語の主人公にして、彼が思うがままに、彼は行動させられる事になった。

 

 しかしそれ以降、物語は順調に進んで行った。もちろん、幾つか困難な事もあったが、それは容易に想像出来るだろう。例えば、主人公が恋人と別れるシーンを彼が描きたいが為に、彼は恋人と別れなければならなかった。別れる?いや、逆はもっと大変だったのだ。

 

 言っておくが、彼は決して馬鹿ではなかった。これを続ければ、最後にはどうなるかは分かっていた。彼は物語の思うままに生きなければならないのだ。そしてその物語が終われば、彼は当然、主人公としての役割を失うのだ。ならばその後、彼はどの様にして生きるのか?逆に言えば、彼が生きる限り、物語は彼を主人公として続くのだ。だから、彼は自分の物語を完結させる為には、主人公の死でストーリーを終え、その通りに自らも死ななければならなかった。

 

 

 

 以上が、僕の友人の話だ。だが、この話には一つだけ嘘がある。それが何か分かるか?あぁ、正直に言おう。これは友人の話では無い。僕の話だ。僕の部屋の机の上には、この全てを記した物語が置いてある。これがどういう意味だかは分かってもらえるだろう。もちろん本当は、一つも嘘など吐きたくなかった。だが僕は、死ぬ前に何とか自分の物語を、誰かに聞かせてみたかった。そして、この話に対してどんな顔をするかを見てみたかった。ありがとう、願いは叶った。僕は今から自宅に戻って、左足から飛び降りる。「その顔は満足そうに笑っていた。」ってちょっと難しいかもしれないけど。

 

1999/03/25

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