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だれかの死

 ゴールデンウィーク、中学の同級生が出張で京都にやって来た。彼は外車のディーラーをやっている。先斗町の、近付いたことさえない一角の店に私は連れて行かれた。まったくどちらが地元民なのか分からないが、私はしがない大学院生。お代はあちら持ちだから文句ない。

 彼と会うのは年に一度くらいで、会うたび酒癖が悪くなっている。今回は浴びるようにワインを飲み、それから今付き合っているという女子高生の自慢を延々と話していた。「高校生ってのは肌のハリがすごいのよ」彼がうるさく言うので、私は思わず反論した。「私たちもかつては高校生だったんだ」

「そうだった」彼は目に見えて、しゅんと落ち込んだ。そしてぽつりと「でも女子高生じゃなかった」と言った。「俺は女に生まれて、肌の綺麗な悪い女になりたかったんだ」

 私の専門は心理学だったので女性化願望についてなにか助言しようかと思ったが、やめた。先斗町に男二人、一人が酔って女性化願望を告白という、なんだか気まずい雰囲気になった。幸い、彼が新しい話題を提供してくれた。不幸なことに、それは暗い話題だった。

「そういえば、君が中学のとき、好きだった女の子がいただろう」彼はそう言ったのだった。

「ああ」今さら隠すことでもないので、私は頷いた。昔は頑なに認めなかったが、人は歳を取ると素直になる。「水谷さん」

「そう、あの背の高い、おっぱいの大きな子」彼は言った。「あの子、俺とは同じ高校だったじゃないか」私は知らなかったが、頷いた。「地元でプロボーラーになった高校の同級生から聞いたんだが、あの子はこの前の正月に死んだらしい。車を運転していて、トラックとぶつかったそうだ」

 

 下宿に帰ると既に二時だった。アルコールにやられて、早くも頭が痛み始めていた。それでも私は押入の奥から段ボールを取り出し、卒業アルバムを開いた。

 水谷さんと私は三年とも違うクラスだった。彼女は陸上部で、私は理科実験部だった。彼女は保険委員で、私は気象観測委員だった。彼女には友達がたくさんいて、私にはあんまりいなかった。

 会話を交わしたのは一度だけ。二年生の時、男友達に会いに彼女のクラスへ寄った。もちろん実際は彼女を見に行ったわけだけれども。男友達は羨しいことに水谷さんの隣の席だったので、私は彼と話すという名目で水谷さんの席に座った。彼女は教室の隅で女友達と話をしていたが、ややあって、席のほうに戻って来た。私は「あ、椅子借りてるね」と自然に言った。彼女は「いいよ」と言って微笑んだ。その瞬間の二人は幼馴染のようだった、たぶん。そしてそれが三年間で唯一の成果だった。

 水谷さんはとても大人っぽかった。話し方、歩き方、笑い方。しかしアルバムに残った彼女は、今にして見るとどれも中学生そのものだった。無邪気さが美しさと直結する姿が眩しかった。憤慨したくなるくらい写真映りの悪いものもあったが、ほとんどは見事な笑顔で彩られていた。

 卒業後、彼女がどう暮らしていたかは知らない。どこの高校に行ったのかも知らなかった。それでも、彼女がもうこの世のどこにもいないということが信じられなかった。ハリウッド映画みたいに、いつかどこかで偶然出会うことがあると私は根拠なく信じていた。あらゆる手を尽くしても彼女と二度と会話できないなんて、許されることではなかった。

 私は熱いシャワーを浴び、酔いを冷まそうとした。いつの間にか私は泣いていた。自分でも気付かないくらい静かに、そっと。

 

 翌日、私はすこし立ち直って、朝御飯を食べながらまたアルバムを開いた。水谷さんは昨日と同じ笑顔だった。それから洗濯をした。そして洗濯機が回っているあいだ、悪趣味だと思いつつ、インターネットで彼女の名前を検索してみた。ほどなく東北の大学でゲノムの研究をしていたことや、登山サークルに所属して日本アルプスに挑んでいたことが分かった。写真も経歴もなにもないので、あるいは同姓同名の別人かもしれない。

 私は何を求めているのだろう。自分の下着を干しながら、私は自分に問うた。十年前どう考えていたのか、その感情は記憶に残っていなかった。ただ、もう一度話をしてみたかった。

 

 その年の末、帰省途中のJR車内で、その願いは叶った。私は水谷さんに出会ったのだ。声をかけてきたのは彼女のほうだった。「あれ?もしかして?」と彼女は言った。私は彼女を見た。間違えようがなかった。あの無邪気さがそのまま、私の目の前で輝いている。まるで卒業アルバムから抜け出してきたみたいだった。ただ私が大きくなったのか、記憶より小さく見えた。

 これはきっと幻の類だと私は考えた。服装が変わり、化粧もしているが、いくらなんでも中学生のころと変化がなさすぎる。もしかすると幽霊なのかもしれない。だからといって、無視するのが正解だとは思えない。私は「久しぶり」と言った。声が乾いて、不自然だった。それでも彼女は気にしなかった。

 それから終着駅が二人を分つまで、古い親友のように近況を語りあった。彼女は東北の大学でゲノムの研究をしたあと、今は製薬メーカーで働いているとのことだった。登山サークルではなく茶会サークルに所属し、小学生のとき祖父が運転する軽トラックにぶつかられて以来、交通事故には縁がないということだった。

「また今度、ごはんでも行きましょうね」と彼女は言って、ひらひらと手を振った。私は彼女の後ろ姿をいつまでも見守り、消えてしまってから、連絡先をなに一つ聞いていなかったことに気付いた。

 

 年明け、下宿に戻って、私は卒業アルバムを再び開いた。そして、別のクラスにいた別の水谷さんに気付いた。背が高いことと、中学生にしては巨乳なこと以外、全く雰囲気の違う女の子だった。記憶のどこを掘り返しても、こちらの水谷さんの思い出はなかった。

 季節外れの暑い一日だった。私は頭を冷やすために冷たいシャワーを浴びた。もう一人の水谷さんのためにも涙を流すべきだろうか。別の誰かが泣いてくれればいいが、と私は思った。

 

2008/05/05 - 2008/05/08

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このページにある全ての記述は、特に明記のない限りフィクションです。また著者である小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。
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