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寝ると死ぬ気分

 事故以来まったく眠らなくなった。寝ないと死ぬよと母は言うがむしろ私は瞼を閉じると死んでしまいそうな気がする。眠らなくても特に不都合はない。ただ一日が倍になったような感じで五食か六食とるし風呂にも朝夕二回入る。朝夕というのも外が明るか暗いかの違いで今どちらなのか分からないこともしばしばだ。

 

 家にいるあいだはテレビを観たり小説を読んだりゲームをしたりときどきは外出して映画を観たりタワーレコードで新譜を買ったりして過ごしている。映画は楽しい。映画館にはいつも人がいて孤独を感じない。特にサスペンスものだ。観客が息を飲む瞬間、館内にひゅっという音がこだましてまるで世界の一部になったような気分を味わえる。こんな素敵な場所が夜になると閉じるのは不思議なくらいだ。そんなときだけ時間の感覚を思い出す。外に出ると真っ暗闇でそういえば深夜だったと気付くこともある。仕方がないので家でじっとネットを眺める。いつもそこには誰かがいる。誰かと会いたいけれど心配されるのは御免だ。こんな重要なときにあの人がいればなと思った。

 

 あまりに眠る気がしないので睡眠時間を売ってはどうだろうと考えた。さっそくオークションに出品してみる。はじめは一時間で千円なんて価格をつけていたがはたしてみるみるうちに入札が増え一時間で七万五千円というまで高騰した。もちろん売った。売って困るものではない。思わぬ収入を手にしてハードディスクレコーダーを買った。これでいつでも好きなテレビ番組を観られる。

 

 落札したのは七海という名前の若い女性だった。売れっ子の占い師で雑誌に何本も連載を抱えておりあまりの注目度にプレッシャーを感じてなかなか寝つけないとのこと。私は彼女の広い家にお邪魔して彼女がふかふかのベッドで眠る様を見届けた。寝顔に飽きてからは持参したスティーヴン・キングの新作を読んで時間を潰した。死んだペットが生き返る話だった。七海が目覚めたのは十時間後。「こんなにぐっすり寝たのは二十年ぶり」と彼女は笑顔で言った。彼女はまだ二十歳。そういうジョークセンスの持ち主だった。

 

 それから私は何度も睡眠時間を出品した。いろいろな人が落札していった。過食症の老人や受験戦争に疲れた中学生や収穫を終えた農家や売れない画家や出産真近の妊婦など。売れない画家は大男なのにさめざめと泣きながら冷えた布団に入って隣で横になってくれなどと言うので大変だった。高校の担任に落札されたときは会うなり説教されて困った。ともあれ一番のお得意先は七海だった。私はたびたび彼女の家で彼女が眠るのを見守った。彼女の寝顔は額に入れて飾りたいくらいにいつも素晴らしい。額に皺を寄せて苦しそうな顔を見せたかと思うとぱっと晴れやかな笑顔に戻るのだ。私はいつしか小説を持参するのをやめてつきっきりで彼女の寝顔を見ていた。

 

 彼女が起きたあとも最初のうちこそ「じゃあ」と言って家に帰ったけれどそのうち自然と世間話をするようになった。「占いなんて本当に下らないって言われるし私も読者もそれは重々承知してるんだけど、でもそれで勇気付けられる人達がいるのよ実際の話」彼女はそんなことを繰り返し言った。「毎日毎日どうすればみんなの運命を良い方向に導けるのか考えるの。すごく疲れることなんだけれど」彼女の家にはたくさんの手紙が届く。おかげで高校に入学できましたとか就職に決まりましたとか結婚に至りましたとかいう感謝の手紙だ。「でもきっとそれ以上に呪いの手紙も来てるのよ絶対。ただ出版社が私に転送しないだけで」と彼女は言う。私はもう長く手紙なんて書いていないので彼女の家に溢れる手紙の束を宝石のように眺める。

 

 あれよあれよと事故から半年が経った。私は相変わらず眠らずに相変わらず毎日毎日ゲームをしたりテレビを観たりときどきは外出してサスペンス映画を観ては場内でひゅっという音がこだまする瞬間を楽しんだりしていた。なにかアルバイトでも始めたのだろうと誤解したのか母は私になにも言わなくなった。あるいはただ新しい彼女を見つけたとでも思ったか。七海が締切に追われていないときは二人で買物などに出ることもあったので母はどこかでその様子を目撃したのかもしれない。あるいはただ諦めたのか。

 

 あるときコンビニでテレビ情報誌を立ち読みしていたら巻末に七海の占いが掲載されていた。よく読む雑誌だったけれどこんなところに連載があったとはまったく気付かなかった。私は自分の星座欄を読んだ。それからまっすぐに家に戻り彼女のいうとおりベッドで横になった。目を閉じる。今なら眠れそうな気がする。長い映画を観終えたような晴れやかな気分だった。すべて忘れられるんじゃないだろうか。あの人と再会できるかもしれない。もしそんなことになったら、私も、彼女に感謝の手紙を書かなくちゃ。

 

2010/05/07 - 2010/05/20

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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