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82

 82になってすべてが変わった。目が覚めた瞬間からはっきりと分かった。81とはまったく違う。体に気力がみなぎっている。鳥のさえずりが聞こえる。窓を開けて叫び出したい気分だった。もちろん実際にそんなことはしない。叫んだりするのは、53くらいの人間までだ。

 辞令は一月前に伝えられていた。驚かなかったと言うと嘘になる。誰でも82になれるわけではない。ほとんどの人は70にさえなれない。たとえば父は57で死んだ。仕事一筋の立派な父だった。祖父の個人商店を引き継いで、フランスパンのチェーン店に育てあげた。それでも57だったのだ。

 82へ辿り着くのに特別に難しいことはない。ただ絶え間ない努力と摂生、そして誠実さが必要なだけだ。長い間、一切の気の緩みなく、それを続ければ良かった。それこそが、ほとんどの人にはできないことだった。

 自分が82に値する人間だと言うつもりはない。そんな横柄さが許されるのはせいぜい60までだ。ただ、私には自信もあった。自信と過信は違う。だから辞令を受けて、驚きはしたが、一方でついにその時が来たと受け止めることもできた。だからそのあとも今日までただなすべきことを続け、十分に心の準備をしてきた。そのつもりだった。

 しかし迎えた82の朝、私は興奮を抑えることができなかった。私はダブルベッドからまっすぐに立ち上がると、思わず呟かずにはいられなかった。「82……!」。午後一番に正式な葉書が届いたとき、私はまたも呟かずにはいられなかった。「82……!」。

 この日のために買っておいた写真立てに葉書をそっと収め、下駄箱の上に飾る。81を飾った写真立てはもうずいぶん奥へと押しやられ、埃をかぶっていた。私はそれをライターで燃やした。過去の栄光は今日の障害である。23でも知っていることだ。

 

 70以上はもう大した差がないという人もいる。70も82も変わらない、と。ただ後者の態度が大きいだけじゃないか、と。そう揶揄する人達の多くが70未満であるのは皮肉なことだ。

 もっとも、傍目にそう見えるのも仕方がないことかもしれない。82がなんであるかを説明できる人間はとても少ない。82の本人であっても、81と82の違いを説明するのは容易ではない。

 82になって二週間が経った。私もまた82とはなんであるかを考える一人であった。おそらく答えが見つかったとき、私は83に辿り尽くのだろう。

 卑近な例を挙げることはできる。朝、ちゃんと起きられるようになった。声が大きくなった。異性には期待したほどもてないが、同性からの評価はとても高まった。こころなしか食も進むようになった。おかげで体重は増えた。まだまだ例は挙げられるだろうが、残念ながらこうして象を撫でても答えは見つからない。それに太ったのはほんの3キロだ。

 

 その夜、祝賀会が催された。ちょうど同じ時期に谷田が59になったこともあって、大勢が集まり祝ってくれたのである。

 82はどうですか、というのが皆の挨拶だった。なかなかうまく説明できないのがもどかしい。65、いや、72くらいまでであれば、まわりを見渡せば一人くらいいるものである。しかしさすがに82ときては、そうそう存在するものではない。だからこそ皆も尋ねるのだろう。そして私も自分自身以外を参考にできないのだ。

 もちろん何事にだって例外はある。岸がそうだ。二年前に空港で会ったとき、彼はもう9Eだった。彼は小男で、いつもなにかに追われているかのように早く歩く。私はその姿を見るや彼を追いかけ、なんとか挨拶をすることができた。こうして私が82になれたのも、そのときの挨拶のおかげだろう。

 82はどうですか。そう問う人達に対して、まだどういうものなのかはっきりと理解できていないと、私は正直に語った。その誠実さこそが82に求められるのである。すべてを失ったときに残るのが誠実さである。変わったという実感が自分自身の内側にある、そして朝ちゃんと起きられる、それだけで今は十分ではないか。これから一年、二年と過ごすなかで、82の構造を理解し、いつしか言語化でれば良いのだ。感じるな、考えよ。

 

 祝賀会は隣駅にある洒落た一軒家の居酒屋で行われた。日本酒の揃った店だった。そういうわけで私以外はみんな酒を飲み交わしていた。知ってか知らずか私も何度となく酒を薦められたが、アルコールを口にすると70台に逆戻りである。私は笑顔で断わった。

 ただ菊地が薦めてきたときは、はっきりと飲めないことを宣言しなくてはならなかった。彼は二十歳のころに80まで到達したホープだったが、酒に始まって読書に献血、アボカドを食すなど次々と問題を起こし、いまでは往時の見る陰もない。たしか67か66だったはずだ。まさに転落である。本人は60くらいが気楽で心地良いと言っているが、転落者は誰だってそう言い自分を慰めるのである。巻き添えにされてはたまったものではない。一杯くらいいいじゃないですか、監督官も見てませんよ、と菊地は繰り返すが、こういう男が裏で監督官を待たせているのだ。

 

 祝賀会は次第にただ酒乱の集まりとなり、誰かが下らないことは笑い声が店内にこだました。私は店の隅でウーロン茶を飲んだ。食事は油ものばかりで、私は野菜スティックを別途注文することになった。

 二時間ほどして店を追い出されるようになったとき、皆は不満そうだったが、私はほっとして皆の分の会計を済ませた。大半はどこか別の店で飲み直そうとしていたが、私はもちろん日が変わるまでに布団に入らなければならなかった。

 けっきょく、駅へ向かおうとしているのは高瀬という若い女性と私だけだった。彼女はふだんあまり打ち解けるところのない人物だったが、その晩はいくぶん酔っていて、鼻歌など歌いながら機嫌よく歩いていた。いい気分なものだと私は思った。歌など長く聞いたことも、口ずさんだこともなかった。歌は他人の成長物語であって、自分を成長させるものではないからである。

 外は春らしい暖かさに包まれ、私は80になって以来着続けているコートのせいで汗だくになった。もうすぐ改札かというところ、ようやく高瀬の鼻歌から解放されるかというところで、しかし彼女は私の袖をぐいと把まえて、せっかくなのでどこかもう一杯飲みませんか、お酒が無理ならお茶でも、と彼女は言った。彼女の化粧の匂いがした。昔は妻もこのような匂いがした。もちろん、私は化粧をやめさせた。

 いかがですか、と彼女は言った。私は口を開く気にもなれなかった。だからただ首を振って、彼女の手を払いのけなければらなかった。それが82の生き方なのだ。

 

 家は真っ暗だった。妻と娘は家に戻らないことにしたようだ。私は牛乳を電子レンジで温め、日が変わるまえに布団に入った。酒の匂いと化粧の匂いが鼻に残っていた。私は固く目を閉じた。娘の顔が曖昧に思い浮かぶ。一人になれて良かった。82は楽しい、82はすばらしい、82なら一人でも大丈夫だ、82で本当に良かった、82は最高だ、82にな、82は、82、82で、82、82。

 

2003/05/19 - 2010/04/30

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このページにある全ての記述は、特に明記のない限りフィクションです。また著者である小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。
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