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アクセス不便

 大学生のころラブホテルの裏に住んでいた。地元から遠く離れた大学へ進学することになり、下見もせぬままアパートを決めたせいだ。七色に輝くネオンの裏で僕は大学生活をはじめた。ホテルの名前はベイシャトル。地元ではテレビコマーシャルも放映中である。「大切な夜に……禁断の夜に……そう、ベイシャトル」。一方、アパートの名前はハイツ木下。どちらの名前も気に食わない。

 

 何度となく引っ越しを試みた。しかし場所が場所だけに、家賃は他よりかなり安かった。お金に余裕があったなら、引っ越しただろう。高層マンションでも買っていたかもしれない。でもそうではなかったので、だらだら住み続け、そのうち荷物をまとめるのも面倒になり、けっきょく卒業まで四年間暮らし続けた。そう、ベイシャトルの裏で。

 

 周辺環境のことを気にしなければ、ハイツ木下はただ八畳一間の落ち着いた家だった。たまにシャワーが冷水になるくらい。ときどき玄関の鍵が閉まらなくなるくらい。冬場、底冷えがひどくなるくらい。周辺環境を気にしたとしても、せいぜい夜中に近くで猫が集会を開いてうるさいとか、早朝からベイシャトルより男女の仲睦まじい声が聞こえてくるとかいう程度。実害らしい実害はなかった。あとは半年に一度くらい、忘れたころにパトカーか救急車がやってくるなど。朝の登校時、たまに実家通いの同級生と出食わすなど。僕は寒い地方の生まれだったから急な冷水にも耐えられたし、猫は嫌いじゃないし、出食わして気まずくなるような親しい友人もいなかった。人は家を選び、家は人を選ぶのだ。僕はそれほどちゃんと選んだつもりはなかったけれども。

 

 ベイシャトルの七色ネオンは大きくて明るい。街中の悪い虫を集めようとしているみたいに、いつだってピカピカと輝いていた。おかげで夜、どれだけ酔っぱらって道に迷っても、簡単に家の方向を知ることができた。あまりに明るいので、夏場などは大学の読書サークルが近くに集まって哲学書を読みはじめるくらいだった。あたりはそれほど治安のいい地域ではなかったが、やはり明るすぎるせいか、我が家のまわりに限っては事件の類はほとんど起きなかった。もちろん、ラブホテルに直行するパトカーを除いて。

 

 冬のある晩、コンビニで唐揚げを買った帰り道、家の前に女の子が座っていたことがある。彼女はバスローブ一枚という格好で、寒さに震えていた。おおおボーイ・ミーツ・ガール、とそのころ村上春樹を愛読していた僕は思った。彼女が羽織ったバスローブにはベイシャトルと書いてあって、かの地ではこんな衣服が支給されるのかと知った。どうしたの、と聞くほど僕は野暮ではない。スープでも飲む、と言って彼女を部屋に上げた。長く姉以外の女性とまともに会話をしていなかった人間にしては上々の誘い方だった。彼女はそのあとスープを飲み、一人で唐揚げを平らげ、シャワーを浴びて裸のまま僕のシングルベッドで寝た。僕は床で寝た。いつものように底冷えがひどい夜だった。

 

 それからしばらく彼女は家に住み着いた。僕が大学に通うあいだも、彼女はほぼ裸のままで毛布にくるまり、テレビを観たり、窓の外を見たりしていた。気の効いた言葉は浮かばなかったが、今日も寒いね、ほんとにね、というくらいの会話はあった。ただタイミングを逃したせいで、彼女の事情についてはいつまでも聞けずじまいだった。名前も分からなかった。ただメイクを拭うと幼く見えた。風呂場からはいつも鼻歌が聞こえてきた。

 

 結局、彼女は一週間近く家にいた。そしてある夜、窓の外を眺めていたかと思うと裸のまま家を急に飛び出して、持っていた包丁でホテル前にいた男を刺した。我が家の包丁だった。一人暮らしをはじめる前に東急ハンズで買って、以来ほとんど使わずにいた包丁だ。事件現場にはフッサールと竹田青嗣の本を持った人達が駆け付け、騒然となった。事情徴収のため僕ははじめてパトカーに乗った。このあたりにパトカーがやって来るのは、僕の知る限り半年ぶりくらいだった。彼女は佐伯真里という名前で、住所不定、無職、32歳だった。

 

 あるとき、雑誌のラブホテル特集にベイシャトルが掲載されていたことがある。ラブホテルの特徴が五つ星で評価されていて、たしか清潔度は四つ星、オリジナリティーが五つ星、コストパフォーマンスが三つ星、アクセスが二つ星だった。寸評には、趣向を凝らした作りで何度も楽しめるが、アクセス不便、と書いてあった。僕は結局、一度も中に入ることなく卒業してハイツ木下を去った。裏に住む人間にとってさえ、ベイシャトルはアクセス不便だったのだ。

 

2009/11/19 - 2010/04/06

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このページにある全ての記述は、特に明記のない限りフィクションです。また著者である小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。
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